家での晩酌で飲むお酒が、ホワイトリカーの水割りでも困らない(好ましくはないですが)ライターの玉置です。
そんな私がお酒を飲みにいく場所は、メニューに料金が書かれた明朗会計のお店が当たり前なのですが、今回ご紹介する店は料金が一切書かれていません。
料金がわからない店といえば高級なお寿司屋さんですが、さにあらず。大の酒好きである友人に教えていただいたのは、新橋の飲み屋街にあるバーなのです。本格的なバーは値段が書かれていないことが普通なのだとか。
この値段が書かれていないようなバーで、緊張しながらも楽しむ方法を学ぶというのが本日のテーマ。いつかこういう店に来ることがあったとき、オドオドしない男になるための修行です。
……もちろん、そんな予定は私の生命線に刻まれていないでしょうけど。
本格派バーを、"洋酒ほど高くない" 日本のお酒で
ビルの地下にあって看板だけでは何屋なのかすらわからない店、玉箒(たまははき)。いつもの私なら絶対に入らないようなお店です。
看板にはお酒の文字がずらり。右上の「酒肆」が読めません。
※正解は「しゅし」で、酒屋とか酒を飲ませる店という意味。
酒の史料館で大人の秘密基地。そして純和風の店名ですが、店内はカウンターとテーブルが一卓の本格的なバー。ただし扱っているお酒は国産にこだわっているのが特徴です。ウイスキーはもちろん、焼酎や泡盛の瓶がずらり。日本酒やワインも多数あります。
店内にはカウンターの左端とテーブル席に男性客が一人ずつ。とりあえず真ん中あたりに着席して、本格的なバーとしてはかなり特徴的な品ぞろえの理由を伺ってみました。
「バーのサービスやバー自体が好きで、この店を4年前にオープンしました。お酒をガンガン飲んで発散するぞーっていう店もあると思いますが、人生のアクセントとしてゆっくりお酒を楽しみたいという場合もあります。
バーはまさにそういう場所で、味わいの良い、なにかヒストリーのあるお酒を目の前に置いて、その香りと味を楽しみながら、一日を思い返したり。ただそういうお酒を置いている店はお安くないので、それができる店を日本のお酒でやろうと思ったんです。日本のお酒だと洋酒ほどは高くならないですからね」
どんな酒でも受け止められそうな万能つまみの数々
まずは1杯目の注文ですが、いつも行くような店なら「とりあえず生!」となりますが、せっかくなのでオススメの日本酒をいただきます。
「フレッシュで甘いフルーツを思わせる香りで、1杯目にはいいと思います」
勧めていただいたのは、小左衛門の特別純米。果物と共通の香りの酸が含まれているそうで、ふわっとマスカットのような香りがして驚きました。
こんな日本酒を出されたらツマミも欲しくなりますが、この店にはフードのメニューが一切ありません。ただし席料の500円についてくるサービスとして、手作りの素敵な料理が出てきます。これがうまい。
この日のツマミは(左上から時計回りの順)、
・自家製塩辛
・ホヤの島漬け(マスターが蒸して漬けにした手作り)
・よだれ鶏
・エビのタイ風チリマヨネーズ
・宮古島のモズク酢
・コンニャクの田楽
・トマトと味噌を練り込んだクリームチーズの生ハム巻き
というラインナップ。
「主役級のお酒が揃っているオーセンティック(本物の、信頼できる、といった意味)なバーは、おつまみがない店も多い。そういったお店の雰囲気を日本のお酒でやりたいからフードメニューは置きたくない。
ただ焼酎でも日本酒でも、すこしアテが欲しくなりますから、サービスという形で用意させていただいてます。他のお料理は提供していないので、いろいろなお酒が飲めるように味の数を多くしました」
ちょっとしたツマミというレベルではなく、もはや小さなフルコース。なんでも各国の料理人が働くダイニングバーで店長を務めていた経験があるのだとか。
これは迷う。どんな酒でも受け止められるツマミとしての万能感がすごい。どれから食べるべきか、そして何を飲むべきか。
「このツマミに合うなにかと注文なさっても、飲みたいお酒を注文して合いそうなものをつまんでいただいても。お好きな方を優先して注文してください」
さらにしばらく迷って、「では、このホヤに合うお酒を」とお願いして出てきたのは、朝日山酒造のゆく年くる年。年末年始に出る限定酒で、普通は年末に買って正月には飲んでしまう酒なのだが、これはなんと平成七年のもの。なんでも知り合いの酒屋さんが冷蔵倉庫で低温熟成していたものが出てきたのだとか。
「20年以上前の日本酒です。古酒や熟成酒というと、茶色くてヒネがある独特の味と香りみたいなイメージがあるかもしれませんが、これは上手に低温で寝かせているため、柔らか~いお酒になっています」
バーカウンターに置かれた一升瓶が織りなす、違和感と安心感の融合。上等であろうグラスに注がれたそのお酒は、とても上品でアルコールの角がまったくなく、柔らかいお酒とはこういうことなのかと納得の味。唐辛子をちょっと効かせたホヤを包み込みます。
バーではどんどんマスターに質問してみるべし
遅れてこの店を紹介してくれた友人がやってきて、外は寒かったからとお燗を注文。この店構えで熱燗が普通に出てくることにびっくりですが、ここはそういうお店なのです。
友人が出してもらっていたのは惣譽酒造の特別純米酒。
「これは泣けるほどうまいですよ。惣譽酒造の特別純米酒を冷蔵熟成させたもので、2009年産とは思えないくらいにヒネがなく、ほどよい米のふっくら感と香りが堪らないお酒です」
ちなみにどのお酒の紹介でも、実際はここに書いている3倍くらいの情報量を丁寧な口調で語っていただいています。ラベルには書かれていないお酒のヒストリーや生産者の想いを伝えてくれる店なのです。
さて援軍が来たこともあり、この辺りでようやく緊張がほどけてきました。
続いてはエビや鶏のエスニックな料理に合うお酒を選んでいただきましょう。自分がいつものように居酒屋で頼むとしたら生ビールかハイボールあたりですが、さて何が出てくるのでしょうか。
「もちろんビールやハイボールもいいですが、たとえば天吹という吟醸酒の酒粕で作った焼酎はどうでしょう。四川の白酒(パイチュウ)に似た香りがします」
「あるいはアルコール度数が高めで旨味の強い日本酒もいいと思います。これは玉川の生原酒。辛いものにはフルーティーなお酒も合いますから、飫肥杉(おびすぎ)もおもしろいですね。芋を蒸留したお酒ですがメロンのような香りがしますよ。ほかにはパクチーが入った梅酒とか……」
とても楽しそうにお酒を選んでくれるマスター。心からお酒が好きなのでしょう。
聞けばいくらでもおすすめが出てきそうですが、私の脳がオーバーヒートしそうなので一旦ストップ。
全部飲んでみたいですがそうもいかないので、最初に勧められた酒粕焼酎を少し水で割ってもらいました。
酒粕焼酎というとなんだか臭みのある酒というイメージですが(あまり飲んだことはないけど)、この店なら違うかなとあえて頼んでみたところ、なるほど想像と全然違いました。これは米の旨味がしっかりと残ったお酒です。
世の中に悪いイメージを広めた粕取り焼酎が出回ったのはほんの数年であり、それで酒粕焼酎に安酒というイメージがついてしまい、真面目な酒造さんはかなり気の毒なのだとか。
友人曰く、「それそれ!っていうような本をサッと出してくれる古本屋みたいなバー」なので、マスターと会話をしながらお酒を頼むというスタイルが楽しくなってきました。
「こういうバーでは、どんどん相談してください。言っていただければなんでも出せるのに~っていつも思ってます。隠れた役者がいっぱいいますから。
この酒は何年前にこういう製法で作られたと話を聞く、スペックを聞く、口に含むとアルコールが揮発して、温まって、鼻に抜ける香りを楽しむ。その変化を読み解くのが楽しい。お酒とその背景に含まれる情報量を楽しむのは読書と同じです。あ、確かに古本屋のオヤジと一緒ですね」
体が温まってきた友人が頼んだのは、BREWDOGの「JACK HAMMER」というスコットランドの地ビール。いわゆるIPA(インディア・ペールエール)です。いわゆる、とかいって全然なんのことかは理解してないのですが、このプロレスの技みたいな名前のビールは強烈な苦みが特徴で、口に含むとグレープフルーツの皮を齧っているような鮮烈さが襲ってきます。しかしそれがうまいのです。
そうなんです、この店には外国のお酒もあるのです。
「日本のお酒がメインですが、日本のお酒といっても日本酒や焼酎だけではなく、ジンもあればウイスキーもあります。となると比べた方がおもしろいですから、比較しておもしろいような外国のお酒も用意してあります。これが日本のラムだといっても、海外のいろんなラムを飲まないと日本のラムがどう違うのかわからないですから」
続いて友人が冷やの日本酒を注文すると、御園竹の大吟醸が登場。
「これはだいぶ旨味が乗ってますね。最初は酸が立っていましたが、落ち着いてまろやかになり、冷やしあめを思わせる芳醇な酒になっています」
飲んだ感想は「気の利く30代イケメン男子みたいなお酒!」だとか。私も一口いただくと、米の旨味がすごく、しっかりと味が開いている感じがしました。
なんて、マスターに感化されて今まで使ったことのないような味の表現をしてみたり。
値段をあえて書かない理由は「お酒への愛」
ここまでの会話で少しずつマスターとの距離感が縮まってきたと信じて、野暮を承知でそろそろ一番気になっていた料金の話を聞いてみましょう。
「1杯300円くらいから上は数万円まで。喉が渇いているんだという人に高級なモルトウイスキーを出すようなことはありませんし、それなりのものをご希望されている方にはお高いものも出します。
トータルでならすと客単価は3400~3500円です。もちろん一回2000円以下の方もいるし、2万円いただいている方もいます」
あえて料金を伝えずにお酒を提示するのがここのスタイルのようですが、そこにはどんな理由があるのでしょうか。
「いきなりお酒の説明も聞かないで、値段だけ聞いて高い安いっていう人に対して、商品に愛のある人は良いものを勧めようと思わないです。なにをもって高いっていったの?まだなにも聞いてないじゃないと。
もちろんこちらのお話を聞いていただき、『すごく興味あるんだけれど、お高いんでしょう?』とか『なになによりお高い感じですか?』みたいな質問はアリだと思います。昔の商売はこういう売り方だったはずです。
着物屋さんにいって、これこれこういうものが欲しいと言えば、こういうものがありますよと出して品定めしてもらって、最後にこれはおいくらですかっていう話になったのですが、その辺の『味』が無くなっちゃいましたね」
確かにメニューのある店であれば、どうしても味を知っているお酒を頼みがち。そしてそこに値段が書いてあれば、「100円安いからこっちにしよう」みたいな注文の仕方に、私はなります。
そういうことを考えなくていい店だからこそ選べるお酒があり、1杯のお酒から自分の世界が広がるのかもしれません。
「今の時代向けではなく、面倒臭いと思われる方もいると思います。でもバーではそこを楽しんで、一杯一杯を真剣に選んで味わってください。値段がわからないからこそ、惰性でなんとなくアルコールを流し込むということがないんです」
熱心にマスターの話を聞いていたら、「そんなの大丈夫だって~。ちゃんと大失敗しないようにコントロールしてくれるから~」と友人に笑われました。
ハイボールにレモンサワー…見知ったお酒も違う顔を見せる
さてこの店には料金の書かれたメニューはありませんが、黒板に書かれた定番メニューというものも実はあります。値段こそ書かれていませんが、きっと安心して頼めるお酒なのでしょう。
「あの定番メニュー、前に友達と全部頼んでみたけど、全部おいしかった!間違いないよ!」と友人も言っています。
このタイミングで頼むのも変かもしれませんが、ならばと定番メニューから「七十年代ハイボール」を注文してみました。頼んでから『七十年代』のウイスキーだと高いのかなと背筋がヒンヤリしましたが……
「ニッカウヰスキーのBLACK-50という1975~79年にだけハイボール用として販売されていた安いウイスキーで、もちろん貴重ではあるのですが、時間が経てば高くなるというものではありません」
はい、安心しました。ちなみにネーミングの「50」はアルコール度数ではなく昭和50年の意味だとか。
まずはグラスを氷でよく冷やして、氷を入れずにハイボールを作るという丁寧な作り方は、氷の解けるプレッシャーを感じることなく、最後まで楽しんでもらいたいから。
ハイボールなんてよく知っている酒のはずなのに、初めての出逢いを楽しめるのがバーの醍醐味かもしれません。
友人は定番メニューから「BARのレモンサワー」を注文。こちらには酒粕焼酎を使うそう。
酒粕焼酎には果物にも含まれる香り成分があるため、レモンサワーのような果物を使ったお酒に使うと、香り成分が自然に馴染むんだとか。そのおかげで、果汁を無理にアルコールで割った感じがしないそうです。
確かに甲類焼酎で作ったレモンサワーとはちょっと違う、アルコールっぽさを感じさせない味わいでした。
バーは「察する文化」
長く居座る店ではないとはわかっていたのですが、今宵は天気も悪く席に空きがあるようなので、もうちょっとだけと長居をさせていただきましょう。お酒を楽しみたいというのもあるのですが、マスターからの話をもっと聞きたいのです。
「私もいろいろなバーにいきました。値段はお店側がなんとなくわかるようにしていますから、それを感じ取ります。察する文化っていうとハードルが高いかもしれませんが、バーでのたしなみですよね。値段がわからないからこそシビアに味を判断します。そして思いのほか安かったり高かったり。
これがトレーニングになり、だんだん経験値が上がっていくと良いものがわかるようになり、予想と差が埋まっていくようになる。味だけではなく器とかサービスとかにも目が肥えますよ」
なぜか、トナカイの肉がおいしいらしいよという話の流れで出てきたのは、北欧で作られるジャガイモの蒸留酒であるアクアビット。「命の水」とも呼ばれるお酒で、様々な香草が使われており、良くも悪くも台所クレンザーみたいな香りがジビエに合うのだとか。
私の感想としては、歴史あるペルシャ絨毯を絞ったような味ですかね。この店に今日来なかったら、一生知ることが無かった味だと思います。メニューのない店だからこその出逢いです。
最後にもう一杯だけ。
「イチゴで作ったワインよりもイチゴっぽい」という、マスカット・ベリーAを使った朝日町ワインのロゼ。ゴクっとやって喉の奥から帰ってくる香りがイチゴそのもの。ワインに慣れていない私でも、わかりやすく美味しいワインです。
友人はソーヴィニヨン・ブランにセミヨンを少し使ったチリの白ワイン。これぞ飲みたかったワインだと喜んでいます。
このように幅広くお酒を楽しませていただき、すっかり満足させていただきました。お酒にはいろいろな楽しみ方がありますが、「この店ではこうなのだ」というしっかりとしたルールがマスターの中にあり、それを楽しめる客が来る店のようです。
『酒は憂いの玉箒』、酒は悩みや不安を掃うホウキのようなものという意味だとか。
今後も、私は串焼きのおいしい店、ホッピーの似合う店、気楽に飲める店で飲むことが多いとは思いますが、人生のアクセントが欲しくなったタイミングで、またぜひこの店を訪れたいと思います。
ちなみにこの日のお会計は……秘密にしておきます。もちろん私にも現金で払える額でした。
紹介したお店
店名:玉箒(たまははき)
住所:東京都港区 新橋3丁目18‐3 三青ビル B1F
電話:03-3436-5502
プロフィール
玉置標本
趣味は食材の採取とそれを使った冒険スペクタクル料理。週に一度はなにかを捕まえて食べるようにしている。最近は古い家庭用製麺機を使った麺作りが趣味。