試合中止で世間からは厳しい目…グランパスを裏から支える大森征之の証言【ごはん、ときどきサッカー】

サッカージャーナリスト・森雅史がお送りする「ごはん、ときどきサッカー」は、サッカー関係者の人生をテーマにしています。第8回は名古屋グランパスエイトのスポーツダイレクターとしてチームを統括する大森征之さんにインタビューしています。新型コロナ感染の影響でJリーグの試合が中止になった前後のチーム内部とこれまでのサッカー人生について語っていただきました。 (栄周辺のグルメ焼き鳥

試合中止で世間からは厳しい目…グランパスを裏から支える大森征之の証言【ごはん、ときどきサッカー】

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©浦正弘

 

Jリーグが今シーズンを最終節まで終えたのは奇跡だったかもしれない

新型コロナウイルスの影響は計り知れず

中断期間は延び続けた

その中で新型コロナウイルス感染者も出ることになった

 

Jリーグで最初に大きな影響を受けたのは名古屋グランパスだった

感染者が出て試合は中止となりチームは2週間の活動停止に追い込まれる

初めて試合ができなくなったということで注目は集まり

大森征之スポーツダイレクターは針のむしろの上にいると感じたことだろう

 

その時どんなことが起きたのか

すべての人に役立つ情報とするために

インタビューに応じてもらった

大森氏は静かにシーズンを振り返ってくれた

 

コロナで試合中止…世間からは厳しい目

7月にチーム内で新型コロナウイルス感染者が出て、Jリーグで初めて試合が中止になったんです。試合相手のサンフレッチェさんにもご迷惑をおかけしてしまいましたが、サンフレッチェの足立修強化部長からは「いつどこのチームで出てもおかしくないから」と温かい言葉もいただきました。

 

ただ、クラブには多くの選手がいますし、トップチームだけに留まらずにグランパスというクラブ全体が大丈夫かと疑われることにもなります。練習場がある敷地内にはグランパスのアカデミーもありますし、その施設側にも負担をかけたと思っています。ただ誰がどこでかかるか分からないし、感染者が謝るとか、そういうのは違うと思います。

 

新型コロナウイルスは感染経路を含めてチームとしてとても気をつけていて、クラブハウスの使用なども衛生上十分注意を払っていたのですが、その中で感染者が出た、陽性者が出たというのは……本当に残念な事実でした。

 

6月のリーグ再開前に金崎夢生の感染が判明したときはみんな10日間ぐらい家にいました。そのとき選手とトップチームに関わるスタッフは全員PCR検査を行って、そこでミチェル・ランゲラックの感染も分かったんです。

 

私も普段は朝から選手が帰るまでクラブハウスにいて、いろいろな人とコミュニケーションを取る立場なので濃厚接触者と判定されてPCR検査を受けました。結果が出るまでは、自分は感染しているんじゃないかととても心配で、メンタルを削られる感じがしました。

 

そういうことがあったので、クラブはかなり厳しい制限をかけるようになったのですが、それでも感染者は出てしまいました。

 

通常ロッカールームは1つなのですが、それを1階と2階の2つに分けて、選手同士のロッカーの距離も広げ、使用する時間もずらしながら使っていました。お風呂は使用禁止でシャワーだけにして、そのシャワーも2メートル間隔にし、一度に使用する人数も制限していましたし、もちろんクラブハウス内では常にマスク着用というルールで日々を過ごしていました。

 

ミーティング中もマスク着用で、いろんな所にアルコール消毒薬を設置して、どこかの部屋を出るとき、あるいは入るときは必ず消毒するようにしていました。またマシンでトレーニングするときも、使ったらすぐ除菌するということを徹底していました。

 

窓は常に開けて換気していて、通気性も確保していますし、掃除の専門スタッフもいらっしゃいます。クラブハウスはまだ新しいので衛生上、いい状態は保たれていたと思います。選手の私生活にも制限を設けていて、基本的に外食は禁止です。

 

ところが7月24日、宮原和也の新型コロナウイルス感染が判明し、25日に渡邉柊斗とチームスタッフ1人も感染していると分かりました。そして26日の午前中、その日の予定されていたサンフレッチェ広島対名古屋グランパスの試合を中止するという決定がなされました。Jリーグで初めて新型コロナウイルスの影響で中止になったんです。

 

24日に感染者が出たので、近隣の感染症の専門家の先生や地域のコロナ対策の窓口になっている方たちとコミュニケーションを取りながら、より早くPCR検査を受けられる体制づくりをしていただきました。それで試合に関係している選手やスタッフ全員を検査してもらって、そこから最短で結果を出していただきました。

 

そういうご協力をいただいたおかげで陰性が分かった選手とスタッフで広島に移動しました。検査結果がいつ出るかというのはわからないのでみんなで待機して、陰性が判明した選手とスタッフが新幹線の広島行きの最終列車に飛び乗って移動したんです。

 

ですがその検査のときに渡邉とスタッフの2名の陽性者が出て、その濃厚接触者がいるのかどうか、遠征に行った時点では分かりませんでした。濃厚接触者の特定は保健所の方にやっていただくのですが、保健所の方が一生懸命やっても時間がかかるので、試合当日に分かるにしても何時に判明するか分からないんです。

 

それで26日の朝8時にJリーグの村井満チェアマンとグランパス社長の小西工己とで話をして、中止という決定がなされたんです。当然、安全や安心のほうが大切で、確認できない状況で試合を行うとサンフレッチェさんにもご迷惑をおかけすることになるし、その判断はよかったと思いました。

 

ただ、感染者が出たというニュースは報道されていましたし、新幹線に乗るときはグランパスのジャージを着ているので、どうしてもそういった目で見られてしまうというのはありました。最終の新幹線はそこまで人はいなかったのですが、広島に泊まって帰ってくるときの朝の移動行程などは、より厳しく人目にさらされて、相当ストレスを抱えて帰ってきたのは事実ですし、そこは選手やスタッフに苦労をかけたと思います。

 

いろんな行動の制約をしていたんですけど、宮原の感染経路は分かりませんでした。

 

選手も生活したり食事をしたりしなければいけないので、スーパーやコンビニ、ドラッグストアのように必要な日用品を買いに行く場面は止められません。たとえ選手が行かなくても、結婚してる選手であれば奥様は買い物に行かなければいけないわけですし。

 

すべて禁止にするわけにはいかないので、その中でも相当気を遣って生活して、みんなストレスを溜めながら生活していた状態で、あれだけやっていたのに感染者が出て……。これだけ注意しててもどこかでウイルスを拾ったのか分からなくて……それに感染者は責められないですから。

 

24日に感染者が出たあとは、同居している家族の方の行動履歴まで残してもらうように、選手たちにより注意喚起をしました。その考え方の共有は家族にもしてもらいました。

 

同居している家族以外のところは行くのも禁止しました。友人達とも距離を取ってもらっていて、辛いだろうと思います。会いたくてもサッカーを止めちゃいけないし、ウイルスを外から持ち込んじゃいけないというところで理解してもらいました。

 

世間からは初めての試合中止ということで厳しい目がありました。一番最初ということでインパクトも大きかったですしチーム全体を預かる身として非難されたと、そういう自覚はあります。

 

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あの時代にいられてよかった…鳥栖での2年間

1998年にグランパスへ来る前は1996年に鳥栖フューチャーズ、1997年はサガン鳥栖という2年間も経験しましたしね。当時はJ2がなくて、フューチャーズは旧JFL所属でJリーグの準会員でした。そのころのJFLにはヴィッセル神戸やFC東京の前身の東京ガスなどのチームがいました。

 

フューチャーズでのデビューは富士通川崎との試合だったんですけど、バスで出発する前に先輩の選手にバリカンで頭を刈られたんですよ(苦笑)。「デビュー戦でスタメンだからバリカンでカットする」って言われて。それでデビューは坊主頭だったんです。試合はその先輩も点取ってくれたんですけどね。

 

フューチャーズには、1990年と1994年のワールドカップに出場したカメルーン代表のキャプテンのステファン・タタウ(編集部註:故人)とかもいて。デリー・バルデス、松永成立さん、上原エドウィンさんとか、FC東京の強化部にいる石井豊さんとか、みんな懐かしいです。

 

監督は1986年メキシコワールドカップ優勝メンバーのセルヒオ・バチスタでした。

(編集部註:鳥栖フューチャーズは1996年に運営会社が撤退し、1997年に解散。そのときまでチームに残った選手8人を中心にサガン鳥栖が誕生した)

 

1997年にサガン鳥栖が出来て楚輪博さんが監督としてセレッソ大阪からやって来たという感じでした。最初の合宿は佐賀県内の武雄温泉のホテルで、しばらくチームバスがそのホテルのバスでしたね。

  

手作りでずっとやってるクラブで、フューチャーズで1年、サガンで1年の計2年は、それはそれでいい経験になったんで。グランパスが長いんですけど、あの2年は本当にいい思い出です。

 

サテライトのコーチの張外龍さんとか、本当に大事にしてくれましたしね。鳥栖スタジアムのこけら落としも経験できましたし。

 

フューチャーズの最後の試合は天皇杯でベルマーレ平塚とやったと思います。あのときも熱はちゃんとあったんですよ。あれはあれで、あの時代にいられてよかったと思います。

 

ただ僕は現役時代の最後、ずっとケガを抱えてたんです。2004年に右ヒザ前十字靱帯を切ってからは、そのヒザと向き合って2008年シーズンの引退まで付き合っていて。もともと相手からボールを奪うというところを大事にしていたので、そこが出来なくなったというのは選手としては辛かったですね。

 

何とか試合には出ていたのですが、自分のプレーじゃない。ただボールを動かすとか、それぐらいしか出来なかったので。それでも試合に使ってもらって、読みや準備でこなしてはいたのですが、やっぱりボールを奪いにいったり激しくプレーしたかったんです。

 

グランパスに移籍して来てレギュラーを取って試合に出ていて、何か自分の中で……何か慢心があったと思います。だから……辞めたかったですね。現役の最後のほうは。前十字切ってからは、自分が一番好きだった、ピッチの上で自分を表現するということが出来なくなって。

 

2008年、春のキャンプの時点でヒザがもうダメでした。だから4年間ずっと苦しんでそれで引退したんです。でも、ヒザのケガをしてから相当苦労したという経験があるからこそ、そのぶん今の仕事にも、選手を見るところなんかに生きてると思います。選手はいいときばかりじゃないですからね。

 

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©浦正弘

 

コロナ感染の情報開示をした理由

今回、グランパスは新型コロナウイルス感染に関する情報を全て出しましたけど、それは社長の「クラブとしてきちんと説明しなければいけない責任がある」という判断がありました。情報開示することで、サッカーのためにもなるだろうと考え、しっかり対応させていただきました。

 

今後もいつ感染者が出るか分からなかったのですが、その中でもチームが停滞しないように、活動が止まらないようにという最善の体制は整えていました。

 

選手も頑張ってくれたし、とにかく何が起きてもその次の対策を取って、陽性者が出てもチームを止めないように、より早く準備をしていこうと思っていました。ただ2週間チーム活動が出来ませんでしたから、今季の成績には影響しないわけはないと思っていました。

 

リモートで自宅トレーニングを行っていましたが、コンディションを作って行くところで選手に負荷がかかったと思います。今季は短期決戦で、2週間の活動停止でさらに日程は過密になりましたから、正直に言うと不安でした。

 

最終的には3位ということで、優勝は出来なかったのですが2021年のアジアチャンピオンズリーグのプレーオフ以上の出場権が得られましたし、大きな順位変動なく最終節まで来ることが出来た、課題を見つけながら修正して、常に上位にいられたというのは、みんなで戦い抜けたと言えるのではないでしょうか。

 

そう出来た要因は、各自が役割をしっかり果たしてくれたからだと思います。マッシモ・フィッカデンティ監督をはじめ、フィジカルコーチのアルベルトやメディカルインテグレーションマネジャーのギレルメ、それにメディカルスタッフも含めてしっかりマネジメントして、コンディションを維持してくれました。また、体調だけではなくてメンタルの部分へのアプローチも含めてしっかり出来たと思います。

 

医療体制にしても、私たちは常々ドクターも何人かの体制を組んでクラブハウスにいてもらうようにしていて、近隣の病院との連携もしっかり構築しています。今シーズンは新型コロナウイルスの影響でチームドクターも体制を変えながらやりましたが、それもうまくやれたのではないでしょうか。

 

それに一番大きかったのは、シーズン前の社長の言葉だったと思うんです。観客をなかなか入れられないという予想がある中で、「無観客でも、オンラインで見てくれている人は必ずいるのだから、その人たちのためにも1メートル、50センチ、こだわって走り抜こう」とみんなに伝えたんです。そのメッセージはみんなをまとめたと思います。

 

来シーズンもこの状況は大きく変わらないかもしれません。なので、警戒を怠らず、対策を万全に整えた上で、選手の意識などをしっかりマネジメントしなければいけないと思っています。優秀な選手が集まってくれているので、見ていただいても気が抜けた試合は1つもないですし、このまま強いチームにしていきたいと思っています。

 

焼き鳥食べながら飲むのが好き

え?ごはんの話ですか?

 

おススメのご飯屋さん……なんでしょう……最近はスーパーにしか行ってないので。このコロナウイルスが終息したら行きたいところでいいですか? 焼き鳥屋さんなんですよ。場所は名古屋の錦です。「千亀」っていう店の焼き鳥が美味しいんです。

 

そこで1人、焼き鳥食べながら飲むのが好きです。名古屋コーチンなんでどれも美味しいんですけど、鳥に限らず野菜を焼いたり、締めのそぼろごはんや鳥スープも美味しいし、名古屋ですから手羽ももちろんあります。

 

あとは東京の自宅に帰ったときに吉祥寺の駅の近くに「カッパ」というもつ焼き屋さんがあるんです。井の頭公園側ですね。

 

 この両方の店は本当においしいと思います。サッカー関係者とか友達も連れて行くんです。とても好評ですよ。

 

紹介したお店 

千亀
〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄3-1-19
カッパ
〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-5-9

 

大森征之 プロフィール

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大宮東高校からサンフレッチェ広島に入団。その後、鳥栖フューチャーズ、サガン鳥栖を経て名古屋グランパスへ。2009年に引退を発表。2016年からグランパスの統括部入りしスポーツダイレクターとしてチームを支えている。1976年生まれ、埼玉県出身。

 

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

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