女子芸能人フットサルに名場面がある
フジテレビ739カップ決勝戦のPK戦だ
規定の3人で決着が付かず
ゴールデンゴール方式で7人目までもつれた
Gatas Brilhantes H.P.(ガッタス・ブリリャンチス・エイチピー)で
誰が蹴るかと話し合っているとき
意を決したようにサッと手を挙げたのが
いつもは大人しい「みうな」(斎藤美海)だった
そのPKを決めてガッタスが優勝する
だがこの決勝ゴールはまぐれではない
みうなはプライベートでもサッカー観戦に訪れ
日々自分を磨き続けていたのだ
13年前にアイドルを辞めた後は
様々な職業に挑戦している
新たな道を模索しているみうなの
現在の状況を聞いた
会場がどよめいた伝説のPK
そう言えば埼玉スタジアムで試合後にお会いしましたよね。覚えてます。私、プライベートでよく試合に行ってたんですよ。自分でコンビニでチケットを買って、Jリーグとか日本代表戦だけじゃなくて、本田圭佑選手がU-20日本代表に入ってたころの試合も見に行ったりしてました。こんこん(紺野あさ美)と行った時もあったし、里田まいちゃんと行った時もあったし。
そのころは現役アイドルでした。確か、雑誌「サッカーマガジン」でコラム連載をさせていただいてて、ちゃんと試合を見に行って書かないとダメだなと思ってたんですよ。私ってサッカーだけじゃなくて、1回時間をかけてやったことに対しては、とことん追求しちゃうところがあって。凝り性なのかもしれないです。
あのころは生活のかなりの部分をフットサルが占めてたんです。全体練習は週に2回だったけど、私はもっと上手くなりたいとすごく思ってて。サッカーにも興味があったし、フットサルそのものにも興味を持って、それでプライベートの時間に1人でスタジアムに行ってたんです。私、周りの人にそんなにバレないと思ってたし。
元々生まれが静岡で、体育の授業なんかでサッカーをやってました。それに静岡って基本的にみんなサッカー上手いじゃないですか。だから学校の先輩とかサッカー部とか、そういう上手い人を普通に見てたというだけだったんですけどね。自分が特別そんなにサッカーをやってたということはなかったです。
私は「ハロー! プロジェクト」加入とほとんど同じタイミングでフットサルをやることになって。ガッタスは選抜だったんで、ハロプロは基本的にみんな運動神経がよいほうだと思うんですけど、特に運動神経のいい子でフットサルをやりたいという子たちがやってたという感じです。
ガッタスは「アイドルがチャラチャラしながらフットサルやってる」って見られたくないって、みんなで言ってたんです。それでみんな愚直にスポーツに向き合ってました。最初はそうでもなかったんですけど、都大会に出て負けた時から、なんかスイッチが入って。
メンバー内で「これは何を目的でやっているのか。やらされている感じでやるのはよくない」ということになったんです。だから1人ひとりがそれぞれ目的とか目標を持って取り組むというふうになってたと思うんですよね。練習は本当にピリピリしてました。
フットサルをやり始めて1年目ぐらいはよく分かってなかったけど、2年目になったら試合に出られないとか、練習のスピードとか、「私は本当に練習を理解できてるのかな」とか、腑に落ちないところもあって。自己評価がすごく低いと言うか、自信が持てないし。自分の精神的な問題も大きくて。
「なんであの人たち(周りのメンバー)はあんなに強いんだろう」と思いながらやってたんです。みんなとの差に悩む、みたいな、そういうのがあったと思います。「どうして私はうまくできないんだろう」とか、「どうして強くならないんだろう」とか、そういうのがあったんですよ。
ガッタスの人たちってメンタルも強くてアスリートみたいな感じだったじゃないですか。そういうスポーツ選手のような人たちに囲まれてやってたから、自分の心の弱さというのがハッキリ分かって。
みんなに遅れをとっていると自分の中でどっかで思ってて、補欠マインドみたいなのがあって。「自分に打ち勝たなきゃ」というので1年ぐらい悶々としてて。そういう自分も少しでも変えていきたいという思ってたし。だから手当たり次第に何かやりたいと思ってて。
それにサッカーにもうちょっと詳しくなりたいとか、自分の中で気になって引っかかってる問題があるのに何もしないのがすごく嫌だったから。だから行動することで何か変えたいと思ってたんです。
そういうのがあったから週に1、2回は体幹トレーニングもやってたんですよ。体幹トレーニングやってたのはメンバーの中で私とミキティ(藤本美貴)だけでしたね。トレーニングに通って体をちゃんと作ったら、やっぱりボールを止められるようになったりしましたから。
あとはジムに通ったりもしてました。真剣にやろうというモードにすごく入ってて。あそこに行くまで準備してたから、PK戦の時に手を挙げたと思うんです。あのときはPKという形だったけど、もしPKがなかったらまた別のシーンがあったかもしれません。
今でもあのPKのシーンのことを言われることがあって、みなさんの中に鮮明に残ってるんだって思うんですよ。いろんな試合があったじゃないですか。ああいう細かいシーンもたくさんあったはずなんですけど、それを覚えていただいてて。
私が手を挙げたときに会場全体がどよめいてるのが『万才 ! フットサル』というDVDに残ってますね。あのときって衝動的に手を挙げたんです。
でもPKの練習もすごいしてたんですよ。フットサルの練習は2時間で、全体練習の後に所属してた「カントリー娘。」はよく残って練習してましたね。私たち練習好きでした。そのときにPKの練習もしてて。やってたから自信があったと言うか、手を挙げられたというのがありますよね。
チームの中ではお互いのライバル心とかあったと思うんですけど、私あんまり感じないタイプだったんです。私自分の事でいっぱいいっぱいだったから。今考えてみれば、所属グループ内でもそういう競争心が私以外はあったのかなと思いますね。
私がもっと気が強くて張り合っていくタイプだったら、バチバチにやってたかもしれないんですけど、そこまで人と争いたいというのがなかったんで。そういうがめつくないところが、良くなかったかもしれないです。
普通にいい子じゃ、普通の人なんですよ。がめつくガンガンやれたら、もうちょっと芸能人に向いてたかもしれない。人を蹴落としてのし上がってみたいなことはやりたくないってところがあったんで。そういう性格してないんですよね。
でもフットサルに対してはまだやり残した気持ちもあって。今だったらもうちょっと賢くプレイできた、ああやればよかったとか、そういうのが今でもあるんです。
芸能界を辞めた後も、最近もフットサルをやったんですよ。友だちに男女混合のフットサルに誘ってもらって静岡でやりました。ガチなんですよ。すごくレベルが高くて、渋谷とかでやってたフットサルとは全然違って。
男女混合なんですけど、みんな静岡の人たちだったからちゃんと蹴れるんですよ。静岡のフットサルは本当にレベル高くて。だから私はみんなの足を引っ張らないようにゴール前で待機してました。パスをもらってシュート(笑)。昔みたいに走れないから。
YouTubeが楽しくなってきたけど、そろそろ子供を産みたい
2007年1月に芸能界を辞めた後はいろんな職業をやってます。最初はエステティシャンをやって、セラピストになって、セラピストはなんだかんだで今でも続けてますから、もう10年以上やってます。セラピストって自分のペースで働けるから、やるときは行って休む時は休むという感じでできるんですよ。
エステは自分でやりたいと思ってやっていたんですけど、リラクゼーションに移ったのはなんかきっかけがあった……と思うんですけどね。うまくいかなかったとか、タイミングが合わなかったとか。あまり覚えてないですけど。
私は、タイ古式マッサージも出来ますし、リフレクソロジーとかアロマテラピーとか、施術者として顔も体も全部できます。その後は来た仕事を受けてたら黒歴史みたいになっちゃったこともありますし、モデルの事務所に所属したときもありましたね。恋愛コラムの連載も2年ぐらいやりましたし、今もたまに書いてます。
いろんなことをやってきたんですけど、自分で選んだものと、自分がやるしかなかった仕事と、それから来た話に乗ったというのがあります。ホント、なんか知らないけど流れに乗っていろんな事やってますね。
どういう基準でやることを決めたかというのは、たまたま選んでるパターンが多いです。周りの人にこれやったほうがいいんじゃない?って言われたから仕事を始めたこともあります。私は、つきあう人に恵まれているのでみんながきっかけを作ってくれるんですよね。
最近は YouTube の動画を作ってますよ。昨年末ぐらいから YouTube をやるという流れになって。今はめっちゃ面白いですね、仕事が。YouTube をやり始めて生活が全部 YouTube になっちゃいました。
YouTube にしても、そもそも自分で選んでないんですよ。仲良くなった YouTube に詳しい人がいて、その人が私の実家は「ウイングホーム」という工務店だと言ったら、「家の通販やりなよ」ってその人に言われて。「家はブログで見るより映像で見た方が絶対いいから」って。それで洗脳されて(笑)、私と父が YouTuber になっちゃったんです。
周り固められた感じですね。でも、YouTube 始めるのって、なんだかんだ費用もかかるんですよ。パソコン買ったりとか、照明とか、いろいろ揃えなきゃいけないから。私1人だったらやってなかったんでしょうね。最初すごく嫌がっていたというか、私、ブツブツ言いながらやってました。
映像に出演するほうだけだったら問題ないんですけど、私、編集もやってるのでそれを覚えるのが大変なんですよ。編集の合宿なんかにも行って「必死で作れば週に2本作れるよ」って言われて。それが年末年始ぐらいで、そのころって毎日使い方とかを覚えるのに吐き気してました。
3カ月ぐらい経ったら、ちょっと上達して楽しくなってきたけど、まだわからないこともあって。そんなときどうしてるかって、YouTube の検索窓に「YouTube 編集 やり方」って入れて調べてるんです。やばくないですか(笑)。私が使ってるソフトは Final Cut Pro なんですけど、使い方を解説してくれる YouTuber の人がいたりしたから、無料で覚えました。
ただ、そもそもMacを仕事で使ってなかったから、そこから分かんなかったんですよ。でも分かんないところを Twitter でつぶやいて「教えてください」って言ったら、全国のすごい優しい人たちが教えてくださって。
今は、私よりちょっと前に YouTube を始めた人がいて、その人も自分で出演して編集もするんで、電話して聞いてます。「この編集どうやるんですか」「どうやって顔にモザイクかけますか」「ここだけアップしたいんです」「画像を入れるにはどうしたらいいですか」とか。何か詰まったら YouTube で検索するか、その人に電話してます。
動画を作るってすごい時間かかるんですけど、でもこれって一度覚えれば一生使えるかなって。これから絶対動画だから。すみません話長くて。
今は新型コロナウイルスの影響がすごくあるから、リラクゼーションの仕事がメインじゃなくて良かったと思います。たぶんやろうと思ってもできなかっただろうから。だから人と関わらないでできる YouTube の編集なんてすごくいい仕事ですよね。家に閉じこもってできるから。
私、今33歳なんですけど、20年後にどうなっていたいというのは見えてきました。私、自分のやりたい事って最初に見えてこないんですよ。やりながら見えてくるんです。20年後の資産形成とか最近見えてきました。ぼやっとしたイメージがなんとなく。ビジネスパーソンになるというのは19歳ぐらいの時から思ってましたね。
今年から自分の父親と仕事を始めたんですよ。これまでは父と娘の関係だったけど、今はビジネスパートナーとして、父の仕事のスキルとかをちょっとずつ教わってるんです。
そろそろ子供を産みたいとも思ってるんで、あと20年経って子供が20歳の時には、父が持ってる仕事のスキルを全部自分にインストールしておいて、経済の世界で強くなっていたいなって。だって子供ってめっちゃお金がかかるじゃないですか、高校とか大学とか。そうなった時に、お金をすぐ出せる親になりたいなって。
ただ、父は私のこと職人ぽいって言うんです。父は80点の仕事でお金を儲けなさいと言うんですけど、私は120点のクオリティを目指してしまうんですよ。父からは、今のやり方では、私が経営者になるのは無理って言われてて。私は今まで知らなかったことを知っていくというのがすごく好きだから、研究者とか職人とかそういうタイプなんだと思います。
生粋の経営者を見てると私はこだわりが強すぎちゃって。時間を忘れて没頭したり、どんどん追求するというのは得意なんですけど、「管理」がすごく苦手なんですよね。自分で自分のことを管理するのもすごくダメだし。だからビジネスパートナーが大事だと思ってます。
じゃあビジネスパートナーはどういう人がいいかというと、私の中で仕事イコール家族経営というイメージで。祖父と祖母はパン屋さんを立ち上げて、高度経済成長だったんで当たって、それで父が建築会社にしたんです。私もその延長でやっていくんじゃないかなと思ってます。
YouTube やってて「いいな」と思うのは、家族をビジネスパートナーにできるという部分なんですよね。そこは私が惹かれるところで。芸能界は他人がビジネスパートナーで、他人と会社を経営するというのは、切ろうと思えば切れるじゃないですか。でも家族、血縁って切っても切れないから。結束とかいうのも全然違うし。
そう思えるのは、私の家庭環境がいいからだと思うんですけどね。外の環境よりも家の環境の方がよかったし。そこからわざわざ離れなくてもいいんじゃないかな、そこを使えばいいじゃん、と思ってるんですよ。私一度外に出たから自分がすごい、いい環境に居たっていうのが今よくわかるし。
でもあまり固執しないようにしてて。流れに身を任せる感じで生きて、うまくいかないのに「これやりたい」ってしがみつかないようにしようと思ってて、だからなんとなくぼやっとした枠組みだけを作ったんです。
新型コロナウイルスが落ち着いたら新しい展開もやろうとしてて、そうしたら父はどんどんビジネスパートナーになっていくと思います。つい最近まで父とこんなに組むことになるとは思ってなかったんですけどね。それから強い母にもなりたいですね。ちゃんと子育てができるように。このままじゃだめだからもっと頑張んなきゃと思います。
エネルギッシュな人はみんな肉を食べている
私は質量の軽いものが好きです。おいしそうだけど大きなパンがあったら、私は絶対選ばないです。この質量が体に入るとそのまま体重になるんだろうと思っちゃうから。
こんにゃくとか食卓にあったんですけど、大きかったから食べなかったです。超大盛りとかも絶対頼まないです。小さいものを食べます。スタバとかでも一番大きなサイズとか絶対飲まないです。今日はごぼうチップスとか食べてました。
でも最近は牛丼にはまってます。牛丼屋さんに1人で行くんですよ。牛肉が疲労回復にいいって聞いたんで。鳥だと弱くなっちゃうんですよ。「チキンハート」で(笑)。
私は疲れやすいことが悩みだったんで、どうやったら疲れない体になるんだろうということをずっと考えてて。それで、体力があって強靭な人とか、回復が早い人がいるじゃないですか。その人たちに食生活を聞いたら、赤身の肉を食べるようにしてるって。エネルギッシュな人ってみんな肉食べてるんです。
焼肉屋さんに行ってもみんな赤い肉を食べてるんですね。そういう人たちの食生活を真似しようと思って。だからいきなりステーキに行ったりとか、牛丼屋さんに行ったりして、3食牛丼にしたことがあるんですけど、全然疲れなくて。だからおすすめの食べ物は牛丼です。
お勧めの店ですか……じゃあ私の地元に最近できた白いとんかつの店があって、そこがすごくいいと思います。「とんかつ 心」というお店なんですよ。東京の人を連れてっても、すごく美味しいって言ってくれるとんかつ屋さんです。静岡だと「さわやかハンバーグ」はみんな知ってるけど、ここはまだあまり知られてないかもしれません。紹介して流行っちゃうといやだったけど、でももっと流行ってもいいくらいです。今度静岡に行くことがあったら探してみてくださいね。
紹介したお店
「みうなノート」…みうながフットサル活動をしていた時代の日記
みうな プロフィール
2003年、カントリー娘。のメンバーとして芸能界デビュー。その後、ハロー!プロジェクトのフットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」に加入。2007年にハロー!プロジェクトを卒業した。1987年生まれ、静岡県出身。
取材・文:森雅史(もり・まさふみ)
佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。
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