なぜ西村雄一はW杯で世界のトップ選手から信頼されてきたのか……誤審と批判されても貫いた審判としての哲学

有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回はレフェリーの西村雄一さんに登場していただきました。JリーグやW杯で西村さんが試合を裁いている姿をご覧になったことがある方も多いと思います。2010年W杯ではブラジルvsオランダ戦で退場者を出しつつも正確な判断で試合を裁ききり、2014年W杯では開幕戦でのPK判定が世界で賛否両論となりましたが、トレーニングで培った正確な動きと揺るぎない哲学で誤審と批判されても一切ブレることなく審判としての哲学を貫きました。その姿勢が選手からはリスペクトを受けています。そんな西村さんに名ジャッジの裏側と世界大会や帰国後の食事事情を伺ってみました。 (羽田のグルメランチ

なぜ西村雄一はW杯で世界のトップ選手から信頼されてきたのか……誤審と批判されても貫いた審判としての哲学

f:id:g-mag:20180117184726j:plain

 

快挙だった。2014年ブラジル・ワールドカップの開幕戦

ブラジルvsクロアチアを日本人の審判がさばいたのだ。

ところが71分、ブラジルのFWフレッジがクロアチアのDFデヤン・ロブレンに倒されてPKとなると

判定ミスではないかという声が沸き起こった。

 

西村雄一が難しい試合を任されたのには理由があった。

高く評価された能力を発揮していたからだ。

2010年南アフリカ・ワールドカップ、準々決勝のオランダvsブラジルは

退場者を出しながら名ジャッジと高評価された。

 

ブラジルのフェリペ・メロはオランダのアリエン・ロッベンを踏みつけ退場となる。

難しい状況の判定だったにもかかわらず正確に判断した

おかげで両チームの選手は騒動にもならず、

その後も試合は熱を帯びながらも冷静に続くことになった。

 

西村の手元にはフェリペ・メロやフレッジをはじめとした

選手たちのユニフォームがある。

それはチーム・選手からの信頼の証。

2回のワールドカップを振り返るとともに背景を聞いた。

 

批判を受けた2014年ブラジルW杯開幕戦の裏側

間違った判定を下してしまうかもしれないという恐怖はいつもありますね。人間なんで、パーフェクトじゃないので。ほんの数メートル、少しでも角度が違えば見間違えてしまうことはどうしてもあって。

 

ただ、誰かが判定を委ねられる役目を果たさなければならない。レフェリーの語源になっている「refer」という単語は、「委ねる」「任せる」の意味なんです。この「refer」される立場を誰かが務めなければならないんだったら、自分が選手のために全力でやってみたいという思いなんです。その気持ちが恐怖より勝るというか。

 

私がレフェリーになろうと思ったのは、少年サッカーチームのコーチをしていたとき、判定が原因で負けてしまったことがあったからなんですよ。そのときの悔しがる少年たちの顔を見て、「これは何か違う」って。それで自分がまずやってみようと思ったのがきっかけですね。

 

そのときまではコーチとして選手の夢を支えたいと思って活動してたんです。選手の夢を支え、選手のかなえる夢の側にいたいなって。今は、その立場をレフェリーに変えたという感じですね。コーチのときもレフェリーになったあとも、選手の夢をサポートするということは、まったく変わってなくて。今でも心に強く抱いたままですね。

 

たとえば、今活躍している日本代表選手たちは、私と一緒にJリーグの同じピッチに立ち、そのゲームで活躍し、そして海外のクラブへ移籍していきました。彼らが一歩一歩夢をかなえていく過程で、同じ時間をともにしているんです。もしその試合で私が判定を間違うことがあれば、それは選手の夢を変えてしまう可能性がある。その責任の重さに対して、チャレンジしていくということに魅了されたんです。

 

私はワールドカップに出場するためにレフェリーになったわけじゃないんです。選手がかなえる夢をサポートするためにレフェリーになったので。それは今でも変わらないですね。

 

レフェリーの存在は、自分が大会で活躍するためとか、ファイナルで笛を吹くためというわけじゃないんです。ファイナルであろうが少年サッカーであろうが、一生懸命努力してきた選手が試合でたくさん輝いてもらえるように、支えられるかどうかなんです。それ以外の役割は何もない。だから私が一番最初にレフェリーになろうと思った、「選手の夢の実現をサポートしたい」という思いは、いいきっかけだったと思います。

 

判定をする役割の中で、その判定に不満を持つ人たちはどうしてもいます。それでも2014年ブラジル・ワールドカップの開幕戦ではそんなにブーイングされた記憶はないんですよ。あのPKのシーンに関して言えば、大きな騒ぎになったのは、試合後の監督コメントのあとで、ゲーム中は囲まれはしましたがPKで再開しています。ということは、選手本人は自分が手を出したことをわかっていて、その場では受け入れているんですね。

 

試合後、多くの方々からお叱りを受けたのは、「フレッジ選手の動作が大げさだから、あれはシミュレーションだ」ということでした。ですが、サッカーのシミュレーションというのは、まったく接触がないにもかかわらず、大げさに倒れてレフェリーを欺き、自分に有利な判定を受けようとする行為なんです。なので、接触を仕掛けられたにもかかわらず大げさだからシミュレーションと判断してしまうと「誤審」になっちゃうんです。

 

それから、「あの程度は大丈夫なんじゃないか」という意見もたくさんいただいたんですけれど、サッカーのルールでのホールディングは「程度」の判断ではなく「行為」で判断されるんです。これがなかなか世の中には伝わってなかったですね。

 

あの時、フレッジ選手がトラップしたボールが浮いて、落ちてくるまでにボレーシュートを打てる可能性が出てきた。フレッジ選手は利き足の左足でシュートを打てる体勢でした。

 

ロブレン選手は相手の体勢が崩れる可能性がありながらも自らの意志で後方から手を掛けました。そして、その結果として相手を倒しシュートを打たせなかった。

 

この一連を見て、ホールディングのファウルがあったと判断せざるを得ないのが、委ねられた者としての見極めです。

 

もしこの場面で、フレッジ選手が体勢を崩しながらもシュートを打てていたり、トラップしたボールが跳ね上がらずに足元で自由にボールキープできたとしたら、ロブレン選手が同じホールディングをしていても見極めは変わったでしょうね。まだホールディングの結果が出ていないぞ、と。

 

それから、あの場面ではもっと難しい判断が迫られる可能性がありました。それは、ロブレン選手がフレッジ選手をポンと押した場合です。というのは、「押す」という行為は「程度」を判断しなければならないからです。本当に倒れるほど押してるのかという、それこそ最も難しい見極めです。だから、私はまだ簡単な場面の判断だったんですね。

 

そして実は、大会準備期間中にあのプレーの場面を想定したトレーニングをしていました。あの場所でファウルがありそうな場合、レフェリーはどこに位置すれば見極められるのかって、何度も練習してるんです。

 

ワールドカップのレフェリーチームは、準備期間中に大学生年代のプレーヤーの協力を得てトレーニングをしていました。ペナルティエリア周辺のファウルを、どこの位置にいたら見られるのか、見極められるのか、という練習を何度も繰り返していて、あの場面はこの練習のケースにとても似たシーンだったんです。ですから、私はあの場面でボールが来る前にあえて右に動き直して、ここだったら見られるはずだという位置取りをしました。その結果何が起きたのかはっきり見えたんです。

 

でも、なかなかそこまで世の中には伝わらないので「あの野郎、笛吹きやがって」と、ジャイアントキリングを願っていた方々の期待を裏切ることとなりました。ブラジルが負ければ、うちのチームがワールドカップを取れるかもしれないと思う人たちが大勢いるわけで、それでたくさんの批判を受けることになってしまいましたね(笑)。

 

f:id:g-mag:20180117184747j:plain

 

2010年南アW杯の踏みつけ退場……「位置取りを失敗していたらおそらくダメでした」

2010年南アフリカ・ワールドカップの準々決勝では、ブラジルのフェリペ・メロ選手がオランダのアリエン・ロッベン選手を踏みつけてしまいました。実はあのケースでも、自分がどこに位置取りすれば、すべての選手を掌握できるのか、というトレーニングの成果が出ているんです。

 

あの場面は、サイドラインに近いところでのファウルでした。笛を吹いてピッチ中央から走り寄ってそのままレッドカードを出していたら、背後から次々に選手がやって来て、たぶん両チームの対立は収まらなかったですね。

 

あのとき、判定をした位置から両選手を越えて逆に回って、タッチラインを背にする位置でレッドカードを出しました。そうすることで、すべての選手を視野に入れ、この後に誰が何をしてもしっかり確認できるし、「まだ他に何かするのであれば見ているぞ」という雰囲気を出すことができました。そして、選手同士がお互いに「静まれ」と声を掛け合ってくれたのでなんとか収まったと思います。

 

もし、あの位置取りを失敗していたらおそらくダメでしたね。ファウルがあった場所に、他の選手から数秒遅れて到着してもダメだったでしょう。それから、自分が到着する前に、誰かが誰かを突き飛ばしたりしていたら、もう試合はアウトですね。誰よりも早くファウルのあった場所に駆けつけ、どこの位置からどう収めるかということはとても大切なんです。

 

判断するときの距離感と、もめ事から集団的な対立に発展するのを防ぐための距離感というのは別の話なんですね。こういう状況では、もめ事を作ろうと思ってやってくる人たちもいて、それは判定が合っていようが間違っていようが関係ない。もめ事を大きくすることが狙いですから、とにかく「おい!」ってことになるんですね。

 

サッカーのレフェリーは判定を下して終わりじゃなくて、ファウルを取ったあとのマネジメントというのが、また新たに求められます。選手同士でお互いに納得してくれるケースだったら私たちは必要ないんですけど、他の選手を巻き添えにして大きな争いに発展するというケースもあるんですね。

 

たとえ大きなもめ事に発展したとしても短時間で収めることができるか、というのはレフェリーのマネジメント力になってきます。それには位置取りであったり、レフェリー1人対複数の選手という構図を、1対1の状況にもっていく能力だったりが必要となります。

 

そのスキルを研究し身につけるためのセミナーが、2010年のプロジェクトに入っていたんです。レフェリーはそういう訓練を積み重ねて、試合に臨んでいます。

 

フェリペ・メロ選手のファウルに話を戻すと、私はファウルされたロッベン選手が倒れている背中側から見ていたので、踏まれた部位は確認できていません。メロ選手の膝の曲がり具合で、これは相手選手を踏んでいるから膝が曲がっているんだというのがわかったんです。足が地面まで行っていれば膝は伸びきっているはずなんですけど、膝が曲がったままリバウンドしたので、その角度だったら踏んでるなって。

 

ちなみに接触の見極めに方にはコツがあります。私はそのとき、フェリペ・メロ選手を見ているというよりは、ロッベン選手にずっとフォーカスを当てていました。なぜかというと、ロッベン選手が倒されたあとに何かやり返すんじゃないかと予測してたんです。そうしたら突然「ポン」と踏まれたって感じでした。

 

2つのフォーカスしたい対象があるときは、どちらかに絞るのがポイントです。たとえば、左右の手のひらを、自分の前でぶつけてみてください。両手とも見ようとすると、どちらがどれくらい動いたか見えにくくなります。そんなとき、どちらかの手にフォーカスを絞ると、対象の手がどのくらい動いたかはっきり見えるようになるんです。これが見極めのコツですね。

 

インプレー中は、「ボールを持っている選手がファウルするよりも、ボールを持っていない選手がファウルするケースのほうが多い」ということを知っておくのもポイントです。もし、ボールを持っている選手にフォーカスを当てた場合、他の選手が急に視野に入ってきて「あれ、どんな感じで当たったのかな?」と、正しく程度を見極めるための情報が足りない見え方になってしまいます。

 

でも実際は、遠くからすごいスピードでぶつかってきたのかもしれない。つまりフォーカスする選手を間違うと、ファウルやカードの基準がぶれてしまったり、一定感がなくなったりするんです。ボールを持っている人にフォーカスを合わせると、エラーが増える可能性があるんですね。接触が起きそうな時はボールにチャレンジする人にフォーカスを合わせて、どれくらいの距離から、どのくらいのスピードで、どんなタイミングで接触したのか見ておくと、ほとんどのケースで正しく判定でき、基準が安定します。

 

それから、フォーカスの合わせ方は重要ですが、「こんなファウルをするだろう」と思い込みながら見るのは要注意です。この「先入観」に引っ張られて正しく見極められないことがあります。レフェリーに必要なのは、「先入観」でも、「予想」でも「予期」でもないんですね。

 

例えば、ボールが空中にあるという状況から、レフェリーはボールが選手の手に当たるかもしれないという「予測」をたてます。「予期」はボールが手に当たらなければいいなぁ、という期待を込めた気持ちで、「予想」はボールがたぶん手に当たるだろうという疑いをもった想像です。「予期」や「予想」を用いて判定すると、偏った判定になる可能性があるんです。

 

「こうなったらいいな、ならなければいいな」という気持ちがあると、何か起きてしまったときに後手に回り、正しい対応が取れません。「こうなるんじゃないか」と疑っていると、まだ起きていないのに何かが起きたように見えてしまいます。これはどちらも先入観に引っ張られてしまった結果ですね。レフェリーに求められる見極めの能力は、いろんな要素の組み合わせから「予測」をたてることです。

 

ボールがこの角度とスピードでバウンドしたら手に当たる可能性があると、バウンドの質から「予測」しているので正しい判断につながります。ところが何も「予測」しないで突然起きるとよくわからなくて判断できないんですね。レフェリーは正しく予測できていれば、ほとんど見間違えることはありません。

 

その中で、特にハンドリングの見極めはレフェリーにとって難しい判断になります。というのは、我々は選手を90分間疑い続けているのではなく、選手はフェアにプレーしてくれると信じていることが理由です。

 

ハンドリングはすごく判断しづらいんです。なぜなら、選手の心の中に急に「ボールを手で触ってしまおう」というアンフェアな部分が出てきて、突然ハンドリングのファウルが起きるから。そこまで信じていた選手が急にアンフェアになるんです。これはレフェリーにとってとても難しい判定になりますね。

 

ズルをしようと思った人たちを相手にするのは、本当に難しいですね。「スポーツやってるんだから、プレーヤーはフェアに振る舞うだろう、そうであってほしい、そこはやっぱり信じていたい」という気持ちがあるので。もちろん、ボールの弾み方によっては意図せず手に当たってしまうかもしれないということも「予測」しています。しかし、ボールのバウンドや距離、タイミングやスピードを頭に入れていても、ハンドリングの見極めは本当に難しい判断になりますね。

 

f:id:g-mag:20180117184825j:plain

 

 

JリーグやW杯に出てくる選手に悪い人なんていない

先程、「選手を信じたい」と言ったのには理由があります。それは、Jリーグや、ワールドカップに出てくる選手は、節制に節制を重ねたスペシャルな方々なんですよ。厳しく自分をコントロールして、自分の夢や応援してくれる人たちの夢まで背負ってピッチに立つ。そんな人に、悪い人なんていないんです。

 

でもフィールド上で、サッカーのルールに基づいて戦う中で、ルールを守れないケースも当然ありますよね。その「行為」が悪い訳で、その「人」が悪いのではありません。アンフェアになったり激しく怒ったりしても、落ち着きさえ取り戻せば、努力した結果をピッチで出そうといういつもの選手に戻りますからね。

 

私は、「この選手は前にこんなことがあった」というネガティブな事前情報を頼りにしません。先入観に引っ張られて「ほらまたやった」というのは、本当に失礼なことですよね。あくまでも、そのゲームで、そのポジションで、その監督の指示の下で、その状況において、仕方なくファウルになることはありますからね。

 

ある方と話をしたときに、「僕はたくさんカードをもらってるから印象悪いでしょう」って言われたんです。

 

私は「でも、そのカードでチームを救ったこともありませんでしたか?」って答えました。「自分がカードをもらうことを覚悟して、チームの勝利のためのファウルがあったことを知ってますよ」と。

 

チームのために、あるいは監督の指示によって、選手は覚悟してファウルをすることもあるんです。誰だってフェアプレーをしたいけど、たとえ自分の評判が落ちたとしても、そこはカードを覚悟してファウルを行う。そういうチームの勝利のためのファウル、ある意味勲章みたいなカードもあるんじゃないかと私は考えてます。ですから、「人」ではなく「行為」を見極めることが大切なんですね。

 

ただし、相手を傷付けるファウルはダメです。「競技」なので技の競い合いをやってるんです。試合をするのは「対戦相手」であって「敵」ではないんですね。相手を傷つけるというのはサッカー仲間を傷つけることだからダメなんです。

 

レフェリーは、ケガにつながるファウルを事前に止めることはできません。プレーヤーが自分自身で、「これはやっちゃいけない、ケガさせちゃいけない」と、相手へのリスペクトだけは最後まで忘れないでいてほしいと願っています。

 

ケガをさせないチャレンジでファウルになる。それはあり得ることだと思いますし、チャレンジを受ける側もそれは覚悟していると思います。そのあとが大切で、ファウルをした選手がファウルをされた選手に一声かけて、お互いのリスペクトの確認さえしてくれれば、おそらくゲームは私たちがあまり関与することなく、うまく進むんじゃないかなと思っています。

 

厳しい判定をした時には、異議を言ってくる人もいます。今の異議は「本当に違う」と言ってきているのか、一応「違う」と言ってみようという感じなのか。2008年頃から、だんだん試合を重ねていくたびに、相手の仕草や所作からその真意を感じられるようになりました。

 

これは、2010年南アフリカ・ワールドカップのときに、レフェリー能力向上プログラムの中で「マネジメント」や「ボディランゲージ」のセミナーを受けているからですね。そのセミナーの中で、「シグナル」や「ジェスチャー」を組み合わせながら、選手や監督、観客の方々に、自分が今どう判定をしたのかが伝わるように「ボディランゲージ」を意識するという内容がありました。そのプログラムを受けて、選手のいろんな所作から、「本当にこちらが間違えているのか」それとも「選手はアピールとして言わなきゃいけないのか」ということを感じとれるようになったんです。

 

それから、異議を言われる時に、周りの人の異議に耳を傾けると惑わされることがあるんです。選手たちに囲まれた場合、該当の選手と対応するというのが大切です。ブラジル・ワールドカップのPKの場面で囲まれた時、私はロブレン選手とだけ会話してます。他の選手が「おいっ!」とやって来ても、ロブレン選手だけを見てずっと対応してるんです。

 

ロブレン選手と私の間で「どうだった」「こうだった。それはホールディングだ」という話をしています。彼は「キャッチ」とか「タッチ」と言っていましたが、「シュートを打てなくしているから『ホールディング』だ」って説明して、ロブレン選手に集中して対応しています。他の選手は聞いてもらえないから諦めますね。真実を知っている本人との対応が大切です。

 

そして、テクニカルエリアから監督やコーチたちが文句を言ってくることもあります。フィールドの中から見ているのと、フィールドの外から見ているのでは、違って見えることがあると思うんです。フィールドの中で自分が下した判断に対して、選手の納得度が高かった場合はおそらく判定は合ってると思われます。それに対して監督が怒っているのであれば、そこは監督に対しては少し時間をかけて、監督が「わかった、俺も冷静にならなきゃいけないな」と思ってもらえる「間」を作ることを大切にしています。

 

逆に、選手のリアクションがおかしい場合は、自分が間違っているケースが多いので、当然監督やコーチは異議のアクションはするし、そこで「どうなってるんだ」と言うのが監督の役割のひとつだと思います。そんな状況に対しては私が直接説明しなければいけないケースもあるでしょうし、第4の審判が全部引き受けてくれて、監督をなだめてくれることもあります。総じて、判定がおかしいかもしれないときこそ誠意をもって対応しなければなりません。そのために、選手たちの納得度をいろんな所作から感じとることを大切にしています。

 

 

選手とお互いリスペクトしあう関係になるまでは時間がかかる

ごく稀に「レフェリーだって間違うことがあるから仕方ない」という気持ちを、選手や監督にいただくこともあって、そのおかげでゲームが落ち着いて進むこともあります。それはお互いのリスペクトから来るもので、そのあたたかい心には本当に感謝しています。自分がつまらないミスをした時に、「そりゃあるでしょう、でも次は頼む」って言ってもらえることもあります。

 

これは、本当にありがたいことで、そう思ってもらえるには理由があると思っています。私は今年で1級審判員として18年目のシーズンになるんですけど、この期間にミスやうまくいかないことを重ねながら、選手と一緒に私も成長してきたんですね。

 

Jリーグで10年以上プレーする選手は、チームで主軸になっていますし、代表選手にもなっている可能性が高い。そういったベテランの選手と一緒にやってきた時間が、お互いのリスペクトにつながるのだと思います。日常でもそうですが、初めて会った人にリスペクトってなかなか難しいじゃないですか。お互いが打ち解けるまでに時間が必要ですよね。

 

例えばJリーグで、レフェリーがあるチームのホームゲームを担当するのは年に2回あるかないか。時には、ホームでもアウェイでも1回も担当しないチームもあったりするんです。もし、お互いの信頼関係が構築できるまでに最低10回ぐらいかかると仮定すると、10回会うには最低5年はかかります。

 

年に2回しか会えないにもかかわらずミスをしてしまうと、悪い記憶はしっかり残り、向こう2年間ぐらいは有効期間があります(笑)。その印象を変えるのはとても難しいんです。2年間の信頼関係はマイナスからのスタート。「今日もよろしくお願いします」と友好的な関係になるまでの期間が延びるんですね。

 

一生懸命頑張ってもどうしてもミスは起きてしまうので、5年なんていう短期間ではなくて、もしかしたら8年や9年ぐらいかかって、やっと選手とレフェリーという立場を超えてお互いに人として信頼関係ができるようになるかもしれません。それでやっと「今日もお願いします」「がんばってますね、先週のゴールよかったですね」とか、そんな会話ができるようになるんです。

 

すると、そういったチームの主軸のプレーヤーとのやりとりや信頼関係を見て、若い選手たちが「うちの先輩がああ言ってるんだから」と、短い期間でもリスペクトしてくれるような関係になったりするんです。そういうことがあるので、選手に信頼されるレフェリーに成長するためにはどうしても経験年数が必要なんですね。

 

一方で、長期間に渡って同じチームで監督業を継続される方は少ないので、なかなか信頼関係を築くのは難しいですね。一度悪いイメージがつくとそこから先は大変で。また、各チームのサポーターのみなさんの悪い印象を払拭するのもとても難しい。特にベテランレフェリーは、「またあいつだよ」、「ダメだ、あいつじゃ」ってなってしまうんですね(笑)。まずできることは、選手との信頼関係をひとつひとつ積み上げていくこと。これが何よりも大切なことですね。

 

観客のみなさんにいろいろ言われるのも、サッカーならではですね。サッカーはルールがわかりやすいし、行為もわかりやすいので、判定も含めて楽しんでいただけるスポーツなんです。サッカーは、見ていただく観客のみなさんのそれぞれの見解で判定し楽しめるスポーツなんですね。

 

ですから、判定に対する大ブーイングも当然起きることだと思います。見る楽しみ方のひとつですね。これは、経験を重ねて、やっと正しく理解できるようになったことかもしれないです。

 

「あれはファウルだろう」「ファウルじゃないだろう」「カードはどうだ」ということまで含めて楽しんでいただいています。ですので、どんなにブーイングがあってもレフェリーとしてできることは、最大限の努力を尽くして見極めに徹することです。

 

レフェリーの取り組みは、サッカーの発展に貢献するということしかありません。たくさんのサッカーファンのみなさまがスタジアムやテレビでサッカーを見ていただけるのは、選手がフェアで清々しい、一生懸命のプレーで創り出した感動が見たいからなんです。

 

数あるスポーツの中から、サッカーにお金をかけ、時間を割いて見に来てくださる方々に、たくさんの素晴しい感動を届けられるのは選手にしかできません。我々レフェリーは、直接感動を創れません。我々にできることは、選手がたくさんの感動を創り出せるように下支えすることだけです。

 

それはどのレフェリーもよく自覚していることです。そして、見に来てくださる観客のみなさまの楽しみの中に、レフェリーに対するブーイングが含まれていることは、我々はちゃんと覚悟して受け止めなければいけない。それもレフェリーに求められる役割なんです。辛いことは辛いのですが、でも、それはサッカーの楽しみ方のひとつとしてあり得るということだと受け止めています。

 

今までのレフェリー人生で、自分が一番苦しかったときっていつだろうと、ずっと考えたんですけど……その時期ごとに、辛い出来事がありました。でも、その出来事を、私を育て、応援し、協力してくれた方々とともにひとつ一つ乗り越えてきてたので、あれが辛くて困ったというのが心に残ってないんですよね。うまくいかなかったことはたくさんあるんですけど、その都度乗り越えてやって来られました。

 

日本のトップリーグを担当できるレベルになるまでに、いろんなうまくいかないことを経験させてもらって、なんとか改善策を見つけ出し、それをひとつ一つチャレンジして、こうやれば正しくできるんだというのを積み上げて来ました。

 

国際審判員としての活動にフォーカスが当たりやすいのですが、そこに至るまでの活動のほうがとても大切なことでした。生まれながらにしてレフェリーという人はいないので、導いてくださったみなさまに心から感謝しています。

 

レフェリーになった誰もが、何かのきっかけがあってレフェリーへの道を志し、その成長の過程には必ずよき指導者だったり、よき仲間がいる。その仲間、指導者、レフェリーを愛する同志がぎゅっと集まって、それぞれが大好きなサッカーを支えるという同じ目標に向かっていくというのが、我々審判員の世界なんだということが、今よくわかってきたところです。

 

自分自身がうまくいかないこと、仲間がうまくいかなかったこと、それをみんなで一丸となって乗り切っていく。そういうことを継続していくのだと思っています。ということは一番辛いことは、レフェリーができなくなったときになるんだろうなって思っていて。まだその時が来てないので、どれだけ辛いことがあってもそれは自分が成長していくための必要な通過点だと。そういうふうに考えています。

 

「正直さ」がなければ信頼関係が根底から崩れる

レフェリーとして成長していく中で、私が考える一番重要なことは「正直さ」です。自分が見ていたことにはしっかりと対応できるんですけど、見てなかった、あるいは判断材料が乏しいにもかかわらず、たぶん「こうだろう」と思って判断することは、たとえたまたま判定が合っていたとしても、ゆくゆくは信頼を失ってしまいます。それから、自分が見て確認できたにもかかわらず、なかったことにすると、これも信頼関係が根底から崩れてしまいます。そうすると、お互いのリスペクトが崩れて結果的にゲームはうまく収まらなくなるんです。

 

私が心がけていることは、自分が見えたものに対しては正直に対応し、見えなかったときは正直に謝っています。「申し訳ない。角度が悪くて見えなかった」と。ただ、それが試合中に3回も4回もあると話は別です。「ちょっといいかげん頼むよ」って不信感になりますね。

 

委ねてもらって、任せてもらって、「うん、いい判断してくれた」と選手から受け入れられることを積み重ねて、そして、ひとつ一つ小さな信頼関係を築き上げたときに、もし何かミスをしても「まぁそういうこともあるかもしれない」と、選手もレフェリーが人間だということで許してくれるかもしれません。

 

選手がレフェリーをリスペクトしてくれるので、1試合にひとつぐらいあるかもしれないミスは、それが得点や選手の運命を変えないものであればわかり合える。「わかった。次、頼むね」って許してもらい、「ごめんなさい」と謝って、次にまた正しい判定に全力を尽くす。そして、「あ、大丈夫じゃん」ってまた信頼関係を戻して、それを90分間つなぎ続ける。これがレフェリーの仕事というか。この「正直さ」がないと、自分を見失ってしまうんじゃないかと思っています。

 

そう考えると、今まだ道半ばという感じなんですよね。まだまだうまくいかない部分もあります。厳しいことを言われることもあります。パーフェクトな判定はなかなかできないですね。もしかしたら、いつまでたってもできないかもしれません。だからこそ、どれだけ苦しくても委ねられている者として、飽くなき挑戦、終わりなき挑戦を続けていくことが大切だと思っています。

 

世界大会から日本へ戻ると魚が食べたくなる

世界大会に行くと、世界中からレフェリーが集まってくるので、必ず食事はブッフェスタイルになるんです。そのブッフェスタイルで気をつけていたことは、自分の好きな食べ物を取り過ぎないことですね。つい食べ過ぎちゃうんです(笑)。それから、どうしても安心して食べられるメニューに偏るので、同じメニューにならないようにも気をつけていました。

 

食べるということは、自分のパフォーマンスを発揮するために欠かせないエネルギー源なんです。だから、しっかり食べていました。食事に関して何か制限を設けると、ストレスになっちゃうんです。大会では、拘束される期間が1カ月に及んだりするんで、その間に食事でストレスを感じると、なかなか力を発揮できませんからね。

 

ブッフェなのでいろいろな物が食べられるんですけど、それでも日本に戻ってきたら、やっぱり和食に行きますね。特にお魚。外国でお寿司を出されることがあるのですが、やはり生ものを食べるのはちょっと怖いから。ですので、帰国後はよくお寿司を食べに行きました。それに日本は焼き魚もおいしい。日本人ですから、最終的にはご飯が食べたいんですよね。

 

私の好物は「鯖の塩焼き」で、帰国するとよく食べに行ってました。別に特別な店に行くわけじゃないんですよ。みなさんもよく知っている、街の定食屋さんです。お店の具体名は伏せておきますね。バランスよいメニューを提供してくれる、みなさんも行ったことがあるお店ですよ。

 

ところで、今日はたくさん喋ってしまいましたが、こんな内容で大丈夫でしたでしょうか? 本当はもっと面白そうなワールドカップの裏話やレフェリーがどんな準備やトレーニングをしているかとか、そんな話をしようと思ってたんですけど、残念ながら今日はもうお時間ですね。ぜひ、またいつかご紹介したいと思います。それより、もし次にお話しする機会をいただけた時は、もっと食べ物の話をしなければいけませんね(笑)。

 

 

西村雄一 プロフィール

f:id:g-mag:20180117184918j:plain

1999年に1級審判員、2004年からはスペシャルレフェリーとして、Jリーグや国際試合で活躍。2014年をもって国際審判員からは退任し、現在は国内でプロフェッショナルレフェリーとして活動している。
2010年南アW杯では4試合、2014年ブラジルW杯では開幕戦で主審を務め、そのジャッジが世界で評価された。
1972年生まれ、東京都出身

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

f:id:g-gourmedia:20150729190216j:plain

佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

バックナンバー

                             
ページ上部へ戻る