- ■ ■ ■ ■ ■ 大観楼の歴史 ■ ■ ■ ■ ■
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- 創業は江戸時代 文政5年
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十二支のうち丑寅辰巳生まれの人は愛宕山にある守本尊を信仰し
鰻を食べず蛇を獲らない風習があった。
この習わしは、藩政時代から特によく行われており、
一般の人々にも信じられてきたが文政5年(1823年)その禁制を破って鰻屋を開業したのが「大観楼」の遠藤忠造であった。
忠造はこの禁制を犯した罪により謹慎を命ぜられ、家老の家に一時お預けの身になってしまった。
ときたまたま、家老の息女が暑い土用にはいって体が衰弱しているのをみた忠造は、人の命には代えられないとお叱りを覚悟で鰻の蒲焼を料理して食べさせたところ、病人の身体に精力がつき日増しに快方に向かって、間もなく病人は全快した。
この効き目を知った家老は、事の次第を11代藩主伊達斎義(なりよし)公に報告して、お咎めを解く旨を進言したところ、伊達公もその効果に敬服し、忠造を自由の身にするに加えて城下において鰻業の元締めとなる仰せ付けをしたという。
当時の屋号は遠藤屋であったが、明治二年に片平丁に移転し青葉城がよく見える絶景であったことから「大観楼」と屋号を改め仙台における鰻蒲焼の元祖として、高く評価された。
戦後、換地により東一番丁に移り現在に至る。 -
- ■ ■ ■ ■ ■ 自慢のうなぎ ■ ■ ■ ■ ■
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- うなぎ酒
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1,210円
- 【なんで全ての鰻重に肝吸いがつかないの?】
2000円も出して鰻重をたべるのに、肝吸いではないのはおかしい!というご意見をいただきます。
弊店では肝だけを仕入れることはせず、すべて自前の鰻の肝を使用しております。当然ながら一匹の鰻には肝がひとつ。
ですので、鰻をまるまる一匹使う「竹うな重」や「松うな重」には肝吸いをつけることができるのですが、それ以下の量をつける鰻重の場合にはおつけすることができないのです。
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