梨というものがある。秋を代表する味覚で、その季節にスーパーに行けば、いろいろな品種の梨が並んでいる。ジュースにもなっているし、アイスなどにもなっている。瑞々しく、とても美味しい果実だ。
しかし、我々はどのくらい梨のことを知っているだろうか。秋になれば必ず食べるけれど、梨のことを全く知らずに食べている。あんなに美味しいのだから、もっと彼のことを知っていいと思うのだ。ということで、梨のことを知ってから梨を食べようと思う。
好きだから知りたい
我々は毎日いろいろなものを口にする。野菜も食べるし、肉も食べるし、魚も食べるし、果物も食べる。ただ我々はよくわからないまま食べているのではないだろうか。栽培方法や生産地を知っている、ということではない。もっと歴史的なことだ。
たとえば、好きな人ができたとする。すると、いろいろ調べるじゃない。どこで生まれたのかとか、どんな学校に通ったのかとか。食べ物もそういうことなのだ。好きならもっと知らなくてはいけないのだ。味に深みが出るかもしれない。
私は梨が好きだ。とても好きだ。真夏の麦茶より梨が好きであり、ふかふかのお布団の次に梨が好きなのだ。秋になると必ず食べる。ただ私は漫然と梨を食べており、彼のことを知らずにいた。しかし、それではダメだと思い、ここ数年勉強していた。その結果、梨の美味しさが増した気がする。
私の住む東京は実は梨で有名な産地。「多摩川梨」というブランドがあるのだ。また梨の歴史を振り返る時に、避けることのできない品種も多摩川沿いの街で生まれている。今回梨狩りに出かけたのも、多摩川に面する現在の東京での梨の中心地である稲城市だ。
梨について
梨狩りの途中だけれど、梨について学んでいこうと思う。狩る時から梨について知っていた方が狩りに力が入るのだ。まず梨には「洋梨」「中国梨」「和梨」の3つがある。今回この記事で書くのは「和梨」についてだ。以後、ただ梨と書いてあったら和梨のことです。
果実には海外からやってきたものが多い。梨と形が似ているリンゴは中央アジアなどに自生している。一方で梨は日本固有の種と言える。日本書紀にも梨は登場するし、弥生時代の遺跡からも梨の種が見つかっている。
梨自体に3つの種類があり、和梨はさらに2つに分けることができる。それが青梨と赤梨だ。梨には青っぽい見た目のものと、赤っぽい見た目のものがあるのだ。最近の流行りからすれば、梨といえば赤梨を思い浮かべる人が多いだろう。
梨は日本の果実産出額の約9%を占めている。産地としては、千葉、茨城、栃木、福島、鳥取などが挙げられる。栽培面積は1980年代をピークに減少傾向にある。ピーク時と比べると4割ほど減っている。なぜ減っているのだろうか。
もちろんそこには、現在の農業では必ず挙げられる後継者不足と高齢化がある。ただ梨の場合はそれだけではない。手間がかかるのである。梨は自家不和合性という特徴を持っている。同じ品種同士では実をつけないのだ。別品種を人工受粉させる必要がある。
また10アール辺りの年間作業時間はリンゴと比べると約120時間ほど梨の方が多い。そのリンゴ農家も、一部の地域では作業時間の多さと単価の問題でモモ農家へと変わっているという話を聞いた。どれも大変だけど、梨もまた大変なのだ。
梨は美味しいけれど、いろいろな苦労の末に実をつけるのだ。現在は自家不和合性問題を解決する品種もできている。突然変異により生まれた「おさ二十世紀」や、「新王」、「秋甘泉」などがそれに当たる。
人工受粉をする際の品種では味は変わらないという話を梨農家さんから聞いた。ただ別品種を準備するのが大変。近い品種で人工受粉させないように、海外から花粉を仕入れたりもしているそうだ。
長十郎の時代
梨の歴史を語る際は、1893年に販売が始まった「長十郎」という品種誕生の以前と以後に分けることができるだろう。江戸時代にも多くの場所で梨は育てられ、品種としては150を超えていた。後述するが「淡雪」などが、長十郎以前を代表する品種だ。
長十郎以前の品種を食べるのは難しい。スーパーに行ってもまず間違いなく並んでいないからだ。では、どんな味だったのだろう。たとえば、1878年に日本を旅したイザベラ・バードが書いた『日本奥地紀行』に梨についての話があった。「酸っぱくて香りがない」と書いてある。今の梨とはかなり違うようで、彼女はあまり美味しくないという感想を持ったようだ。
また淡雪を数年前に食べたという人にも出会った。今も育てている人はいるようだ。その人は「大根を食べているようだった」と言っていた。やっぱり我々が思い浮かべる梨とは違うようだ。
そんな淡雪など江戸時代から育てられた150もの品種を、過去のものにした品種が「長十郎」なのだ。この梨が生まれたのが多摩川。今では梨の産地として多摩川下流域が大きく出てくることはないけれど、梨の革命はそこで起きた。
長十郎は多摩川の下流域である「川崎」で生まれた。それは偶発的なものだった。ある年に黒星病で梨園が全滅しかけた時に、1本だけ大粒の実がなっている木が見つかる。その木は野生の梨を接ぎ木したもので、大粒の赤梨で甘みも強く、病気にも強かった。これが長十郎だ。
これが1889年頃の話で、1897年に全国の梨産地で黒斑病が流行る。多くの品種が壊滅的な被害を受けるのだけれど、長十郎だけは被害をあまり受けなかったことから、全国的に長十郎が注目を浴びることになる。
ここからの長十郎がすごい。1970年代まで長十郎は全国各地で育てられ、地域によっては育てている品種の9割が長十郎というところもあった。ほぼ全ての梨を過去のものにしたのだ。それくらいに長十郎はすごかったのだ。
正岡子規の闘病中の日記を読むと1日1個ほど梨を食べている。長十郎も登場する。正岡子規も長十郎を食べたのだろう。ただ現在では長十郎を見かけることは少ない。育てている地域もあるけれど、かなり少ない。
長十郎は食べてみるとなかなかに美味しかった。硬めで酸味も適度で甘みもある。ただ甘みとしてはそこまで強くない。ただ懐かしい梨の味なのだ。近年の品種は甘さに舵を切っていることが多い。
これは梨に限った話ではなく、野菜などもそうだ。種苗会社の方に聞いたのだけれど、昔と比べると甘い野菜が好まれる傾向にあると言う。人参も昔と比べると臭みがなくなり甘くなっているし、トマトもフルーツかと思うほど甘い品種がある。人々は甘みを求めているのだ。
梨でいえば、鳥取の「新甘泉」などがまさにそれだ。とにかく甘い。いい意味でだけれど、これ梨なの? と思うほどに甘い。新甘泉は筑水におさ二十世紀を交配したものだ。2008年に品種登録された新しい梨と言える。
二十世紀の登場
長十郎の次に時代を築いたのが「二十世紀」である。梨と言われて思い浮かべる名前が二十世紀という人も多いと思う。この品種もまた長十郎と同じように偶発的に生まれたものだ。千葉県松戸市のゴミ捨て場から、二十世紀の幼木が発見されたのだ。1888年のことだった。
そもそも千葉は現在もそうだけれど、古くから梨の一大産地だった。江戸時代後期に描かれた「江戸名所図会」にも千葉の梨園の様子が登場する。「梨下駄」と言われる下駄を履き、梨を収穫する様子だ。
この品種が何かはわからないけれど、面白いのはやはり梨下駄である。この記事の最初の方に私が梨狩りをしている写真があったと思う。梨棚というものが作られるのだけれど、高さは160センチほど。いろいろな作業がしやすい高さである。
一方で江戸名所図会の梨棚は高い。だって、歯の部分が長い梨下駄を履いているわけだから。またイザベラ・バードは「日本奥地紀行」で梨の木を8フィートと言っているので、240センチほどあったということになる。育て方にも変化があったことがわかる。
ポイントは二十世紀は千葉で生まれたということだ。二十世紀といえば鳥取のイメージを持つ人も多いだろう。現に鳥取で一番作られている品種は二十世紀だ。しかし、千葉のしかもごみ捨て場で誕生したのだ。
その幼木が実をつけるまでになるのに10年を要した。実は甘く、瑞々しく、口触りもよかった。最初は「新太白」と名付けられたが、1904年に「二十世紀」と改名する。長十郎は病気に強いという理由で全国に広がったが、二十世紀は美味しいという理由で全国に広がった。
1904年に10本の二十世紀の苗木が鳥取に植えられる。黒斑病が流行った時も鳥取は二十世紀を諦めることはなく、突然変異による「おさ二十世紀」も誕生している。先にも書いたように「おさ二十世紀」は自家不和合性という問題を解決している。
さて二十世紀は長十郎と共に時代を築いた。1970年代はほぼ二十世紀と長十郎だけと言ってもいいほどの栽培面積を誇った。やがて長十郎は減っていき、もはや幻くらいの勢いだけれど、二十世紀は今も栽培面積としては4番目に位置している。
幸水の誕生
長十郎が衰え、二十世紀だけの時代が来るか、と思ったけれど、そこで誕生したのが「幸水」である。1989年に幸水が生産量1位になった。幸水は甘かった。江戸時代の品種より長十郎や二十世紀は甘く、幸水は長十郎や二十世紀よりも甘い。時代は甘さを求めているのだ。
いま日本で一番育てられている品種が「幸水」。栽培面積の約4割が幸水となっている。菊水と早生幸蔵の交配で生まれたもので、1959年に発表された。特別病気に強いということもなく、最初の頃は決して流行らなかったけれど、埼玉県が力を入れ、栽培方法を確立して、現在に至る。確かに幸水は梨としてのバランスがよい味わいだ。
同時期に2種類ということもあるけれど、基本的には30年、40年くらいで次の品種が流行りだしている。長十郎が流行り、二十世紀が流行り、幸水が流行る。そのような流れだ。そして、幸水が流行って30年ほどが経った。ということは、そろそろ次の品種が来るかもしれない。スーパーにもいろいろな品種が並んでいる。
パッと手に入れただけで、6種類の梨を集めることができた。どれも食べ比べると味が違う。私の好みで言えば茨城で生まれた「あきづき」が好きだった。新高と豊水を組み合わせたものに、幸水を交配したものだ。2001年に品種登録された。
あきづきは超エリートなのだ。現在の栽培面積の1位が幸水、2位が豊水、3位が新高である。全部入っているのだ。栽培面積も増えており、現在5位という感じだ。食べてみると粘りのあるねっとりした食感に瑞々しさと甘さ。美味しかった。味を考えると、今後、彼が天下を取るのではないかと思っている。
多摩川梨について
さて、話は最初の梨狩りに戻る。とても長い梨のお話だったけれど、梨についてはだいたいわかったのではないだろうか。短くまとめると、「梨は古くから日本各地で育てられ、明治に入ると長十郎が生まれ、二十世紀が生まれ、それまでの梨が過去のものになり、さらに現在は幸水が天下を取っている」ということ。3行もあればまとまるところをたぶん4,500字以上書いた。
私が梨を狩っているのは、先にも書いたように多摩川に面する東京都稲城市。長十郎が川崎で生まれたことでわかるように、古くから梨の生産をしてきた地域だ。川崎あたりは江戸時代頃、多摩川沿いは延々に梨園だったそうだ。今では工場や家々が建ち、その面影はないけれど。
ただ稲城市は現在も梨農家さんが多く、東京の梨の中心地になっている。稲城市での梨栽培は元禄年間(1688〜1704年)頃に始まった。代官が公用で京都に出かけ、先にも登場した「淡雪」という品種の梨の苗を持ち帰り、稲城市に植えたのが始まりだ。
その原木は1889年まで稲城市の「清玉園」にあった。そして、私がいま梨狩りをしているのが「清玉園」。「多摩川梨発祥之地」という石碑が庭の片隅に建てられている。
多摩川梨という名前は1927年に多摩川沿いの梨生産組合が団結して誕生した。つまり品種の名前ではなく、その地域で作られた梨の総称みたいなことだ。今も稲城市を歩けば、多くの梨園を目にするし、梨の街だからの注意書きも街中に普通にある。
稲城市の梨園の特徴は観光果樹園が多いことではないだろうか。1955年頃から梨のもぎ取りが始まった。関東一円から婦人会や家族連れ、幼稚園などがもぎ取りに訪れ、稲城市の梨園は完全に観光化する。同じ時期に梨の街頭販売も盛んになり、今も街を歩くと直売所を目にする。
稲城市には「稲城」という品種の梨がある。一部では幻の梨と言われている品種だ。収量は決して多くなく、人工受粉も何度もしないといけないと聞いた。稲城はそんなには市場に出ていないと思うので、稲城市に行って買った。
新高と八雲の交配で生まれた品種だ。柔らかく多汁で酸味はない。食べてみると確かに美味しかった。稲城もまた偶発実生だそうだ。稲城市ではこの品種を使ったワインなども作っている。
そもそも論として、多摩川の下流域は梨作りに向いた土地だった。黄河文明が黄河による肥沃な土壌がキイになっているのと同じように、多摩川により肥沃な土壌が作られたわけだ。もちろん梨だけではなく「高尾ぶどう」なども作られている。
清玉園で梨を狩った。狩った梨の品種は「清玉」。この梨園で生まれた品種で、私はこの品種を食べたいと、もう数年思っていた。それはなぜか、時代を築いたものたちの組み合わせで生まれた品種だからだ。
長十郎と二十世紀の組み合わせで生まれたのが「清玉」。最高ではないか。「あきづき」と同じように、時代としては古くなるけれど、エリートと言える。見かけからわかるように、青梨ということになる。スーパーなどではお目にかかれない品種だ。
梨に限った話ではないのだけれど、品種を知ると楽しくなる。競馬をする人ならわかると思うのだけれど、夢の組み合わせがあるのだ。メジロドーベルにディープインパクトは12冠ベイビーと言われ、テイエムオーシャンにテイエムオペラオーは10冠ベイビーと言われ、共に盛り上がった。
いや、これは例がよくなかった。いま挙げた馬は残念ながら強くはなかった。ただ野菜等も品種を知っているからこその興奮があるのだ。食に対する新しい興奮ではないだろうか。栽培法ではない、料理法でもない、産地でもない。品種に興奮するのだ。
長十郎に二十世紀ですよ。熱が出るのではないのかと思うほどの興奮と共に多摩川に出かけ、清玉を切り食べた。感動を超える何かがあったと思う。実際に美味しかった。酸味はなく、実はシャリシャリ感があり、適度な甘み。梨だ、梨だ! という王道の味だ。
長かった。興味があり梨について勉強を始め、長十郎と二十世紀に出会い、その組み合わせの「清玉」があると知り、梨についての理解を深めてから食べようと思っていた。その結果、美味しかった。とても美味しかった。梨についての歴史を知っているので、甘みが増幅した気がする。知らなくても甘いと思うけど。
梨は秋の代表
梨について、とても長々と書いた。これでもかなり端折っている。普段何気なく食べている梨にも、ものすごい歴史があるのだ。それを知ってから食べて欲しいけれど、知らなくて食べても別に美味しいから梨はすごい。
ちなみに梨は品種によって出荷時期が違うので、8月から11月くらいまで食べることができる。品種が変わるので、その期間中は食べ続けて欲しい。ぶっちゃけね、どの品種も美味しいから。
あと、途中で「うちの子たちも」と書いたけれど、知り合いのお子さんで、私の子供ではないです。なんとなく書いてみました! また梨については私が、見たり聞いたり、または読んだものをまとめたものなので、思い違いがあるかもしれない。その時は、なんか、すみません。
参考文献
日本園芸農業協同組合連合会『果実日本 第75巻 第8号』2020
稲城市教育委員会社会教育課『文化財ノート』2001
竹下大学『日本の品種はすごい うまい植物をめぐる物語』中央公論新社 2019
多摩川果物協同組合連合会『多摩川梨変遷史』1963
川島琢象『東京多摩川 梨の歩み』1981
天野秀二『図説 世界のくだもの366日事典』講談社 1995
イザベラ・バード(時岡敬子)『イザベラ・バードの日本紀行』講談社 2008
梨狩りをした梨園
清玉園
TEL:042-377-6156
著者プロフィール
地主恵亮
1985年福岡生まれ。基本的には運だけで生きているが取材日はだいたい雨になる。2014年より東京農業大学非常勤講師。著書に「妄想彼女」(鉄人社)、「インスタントリア充」(扶桑社)がある。
Twitter:@hitorimono