「おいしいものを、家でも食べたい!」
そう思ったとき、レシピ本を買わなくても、私たちはいろんなものから情報収拾できます。YouTubeもその一つ。動画を見るだけで簡単に料理のレシピを知ることのできる時代です。
そんな中でも「自宅で魚をおいしく食べる」ことに特化した発信をしているのが、東京・中野にある「宮城漁師酒場 魚谷屋」。「刺身を綺麗に盛り付けるコツ」、「殻付きの牡蠣を楽しむ」、「魚の保存=調理である」など、調理法から考え方まで、便利な情報を日々伝えています。
【魚谷ch.第21回】祝!20話突破記念のスペシャル総集編
「定番メニューはありません。そのときに心から良いと思う魚を漁師から仕入れて、お客さんに食べて欲しいから」。そう語る店主・魚谷さんはお店を開いてからの4年間、毎日のように厨房に立ち、魚に対する尋常ではない愛とこだわりによって、多くのお客を楽しませてきました。
そんな魚谷屋も新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、3月下旬から9月上旬まで、店舗の営業をストップ。目の前のお客さんへ向けてきたサービス精神を、オンラインでの発信に注ぎ込むことになります。
お客さんに会えなかった6ヶ月間。魚谷さんは何を思い、オンラインでの取り組みを行なってきたのか? その背景には、魚谷さんの抱える「一次産業への罪滅ぼしがしたい」という深い動機と、「飲食店は一次産業のために何ができるのか?」という大きな問いがありました。
「休業中」の裏で過ごした、多忙な3ヵ月間
——まずは、営業再開おめでとうございます。半年間もの長い間、お客さんに会えない日々を過ごしていたわけですが……その間はどのような気持ちで過ごしていましたか?
お客さんと会えない時間はやっぱり寂しかったですよ。元々、「お店を通して、多くの人に魚食文化を伝えたい」という思いではじめたお店でしたから。
ただその一方で、店を休業してからの3ヶ月間はとても忙しく過ごしていました。コロナ禍をきっかけにスタートした「YouTubeチャンネル」「鮮魚のEC販売」「お魚捌き教室」の3つの対応に追われていて。
全て初めての取り組みだったので、もうスタッフもてんやわんや。休業中のお店は、ECの受発注センターか、YouTubeの撮影スタジオみたいになっていました。
——そんなに忙しかったんですね……! でも、外から見ていると「居酒屋がECや、YouTubeをやるってどういうこと?」という疑問があります。営業がストップする中で、「専門外」な活動をはじめた理由は何でしょう?
ただ休むのではなく、将来の種まきになるような何かがしたかったんです。「家にいる時間が増えたなら、魚を捌いて食べる時間もあるだろう」と考えて。それなら、家庭で作れる魚料理を伝えることには意味があるだろうと、YouTubeで「魚谷屋チャンネル」を開設しました。
もちろん、多くの人にとって「魚を家で捌いて食べる」のはハードルが高いこともわかります。だからYouTubeチャンネルでは、魚の料理人だから話せる「ニッチななるほど感」を伝えることを動画作りのテーマにしました。
——ニッチななるほど感?
そう。例えば「包丁を研ぐ前に、実は研ぎ石を研ぐことが大事なんだよ」とか。僕が後輩の料理人に教えるような内容を、家庭向けにわかりやすく伝えることを意識して。結果的に、たくさんの人に見てもらえました。
【魚谷ch. 第1回】おうちで魚介を楽しもう!「包丁を研ぐ、その前に...。」
——料理の細かい部分って、慣れていない人ほど「どう調べたらいいのか」もわからないですもんね。動画で教われるのはありがたい。
それから続けていくうちに「このYouTubeと、生産者さんの商品(鮮魚)を紐づけられたら、インターネットで販売できるのでは?」という考えに繋がって。YouTube動画の第4回を公開する頃には、専用の「鮮魚ボックス」をECで販売できるように準備していました。
——確かにあの頃、「家の中で新しいことにチャレンジしよう」という風潮がありました。でも、どうして飲食店が鮮魚の販売までできたんでしょう?
うちの経営母体は、宮城県石巻市で漁業支援の活動をしている「フィッシャーマン・ジャパン」という団体なんです。EC事業のノウハウを持ち、現地の漁師たちと強い結びつきを持っていた彼らのおかげで、すぐに動き出すことができました。
——飲食店とは別の事業、別の関係性を持った仲間がいたんですね。
仲間たちがいたからこそ、漁師さんたちと連携がとりやすかったことはもちろん、経営の資金面でもサポートしてもらえたので、救われましたね。個人だけでコロナ禍を乗り越えようとしたらと思うと……ゾッとします。
——有事に助け合える関係性があってよかったですね……。取り組みの反応はいかがでしたか?
鮮魚販売のニュースは、新聞にも何紙も取り上げていただいて。多いときには1日に200件の注文がサイトに届くようになっていました。これだけで、店にとっても漁師にとっても大きな売り上げでした。
——コロナ禍では、新しい収益ルートは貴重ですね。同時に、鮮魚を購入したお客さんに向けた「オンラインお魚捌き教室」もスタートされました。反響はどうでしたか?
海のある県からも、海のない県からも、全国から生徒が参加してくれました。ご高齢の方や、親御さんに見守られながら包丁を握るお子さんまで。
教室を開く中で感じたのは、やっぱり「魚を捌いて家で食べる」ことに「難しいでしょ?」って偏見がまだまだあるということ。でも、家庭の魚料理はポイントさえ抑えれば難しいものではないんですよ。魚の捌き方を伝えながら、少しずつ「実は難しくないよ」ということを伝えていきました。
例えば、「レシピ次第で、魚は捨てるところなく食べられるんですよ」とか、「実は4〜5日の間冷凍した方が美味しく食べられる魚もあるんですよ」とか。
——4〜5日も魚を置いておいて、大丈夫なものなんですか?
そもそも多くの人は水揚げ=魚が死んだ日、と思われていますが、そうではないんです。
——え! そうなんですか?
漁で獲られた魚は、陸に戻るまで漁船の上で何日も冷蔵されるもの。本来なら港での水揚げ・市場での仕入れ・スーパーへの流通、という工程がありますから、鮮魚ボックスは市場を通していない分、スーパーより新鮮な状態でご家庭に届くんです。
——なるほど〜!お店のコンセプトである「魚食体験を広める」活動を、オンラインを通して取り組まれていたんですね。
罪滅ぼしのために、「漁師たちのライブステージ」を作った
——9月上旬にお店の再営業を決断されました。きっかけはなんだったのでしょう?
7月くらいになると、毎日のように店に電話がかかってきはじめたんです。「今日はお店開いてないの?」って。
何ヶ月も直接会えていなかったお客様から、そういう声が上がるのは嬉しかったですね。ちょうど、7月には鮮魚販売の方も落ち着いてきていたし、店としてもそろそろ新しい風を入れないといけないと思っていたところで。
常連さんたちのガス抜きの意味合いも込めて、客席を減らした状態での営業再開を決めました。これまではアラカルト中心だったけれど、初めてのコース料理も用意して。魚谷屋の魚食を楽しみにしてくれる人たちに、最上のパフォーマンスを提供したいなと。
——最上のパフォーマンス……。そもそも、魚谷屋って飲食店としてもかなり特殊ですよね。「魚食文化を広めよう」と意気込んだり、漁師さんと深く繋がっている居酒屋はあまり見たことがないです。生産者さんたちを大切にするのには、なにか理由があるんですか?
そうですね……。強いて言うならば、
罪滅ぼしの意識があるのかもしれません。
——罪滅ぼし……?
僕は前職の頃、市場から「美味しい食材を安く、たくさん仕入れる」仕事をしていました。でもその結果、回り回って、生産者さんを苦しめていたんだと気づいて。その罪滅ぼしを、店を通してできたらと思ったんです。
——その考えに至るきっかけはあったのでしょうか?
石巻の震災ボランティアに参加したことが大きかったですね。以前所属していた飲食店経営の会社を辞めて、いざ自分の店を持とうと考えた2011年に東日本大震災が起きて。
数ヶ月間だけ手伝いに行くつもりが、気づけば4年間も石巻に住み、ボランティア活動をしていました。漁村の復興をお手伝いしていると、漁師さんが「お礼に牡蠣を食ってけ」って言うんですよ。その牡蠣が本当に美味しくて。
——うわあ、仲良くなった漁師さんからもらう牡蠣は格別の味でしょうね!
しかも話を聞いてみると、驚くほど安い値段で市場に売っている。いわゆる「浜値(※1)」というやつです。市場でひとつぶ数十円で売られている牡蠣も、東京のオイスターバーに行けばひとつぶ500円とかで売られている。
※1浜値:水揚げされた水産物の、港で取引される値段のこと
そこで、そんな漁師さんたちから、自分は食材を安く安く買っていたんだ、と気づきいたんです。前職の会社では、従業員みんなの給料を上げてやることを第一に追い求めていて、その先の豊かさが見えていなかった。これまでの仕事に対する考えを、ひっくり返すような出会いでした。
——今まで見えていなかった、現場の人たちとの出会いだったんですね。従業員のためとはいえ、誰かに無理をさせていたことに気づいてしまったと。
それで自然と「魚食文化を広める仕事をしよう」と考えるようになりました。魚を食べる文化が広がれば、一次産業に関心を持つ人も増える。そうしたら漁師さんたちの立場ももっと良くなるかもしれない。
その第一歩として、魚谷屋で提供する魚はすべて、漁師から直接仕入れてます。そうすれば、市場から買う時と同じ高い金額を漁師に支払うことで「あなたの獲った魚にはこれだけの価値があるんです」と伝えることができる。
——魚谷さんがおっしゃった「罪滅ぼし」とは、「漁師さんたちに適正な対価を支払う」ことだと。
あとは、魚食文化とお魚の本当の価値を伝えたいという目的もあります。僕みたいな関西出身のおしゃべり好きは、やっぱり対面で人に伝えるのが向いてるだろうから、東京に店を出すことに決めました。
——それで魚谷屋ができたんですね!
ええ。僕が石巻で体感した「漁師の魅力」を存分に伝えたくて、店のあり方を考えてきました。彼らと飲んでると、アテもいらないくらい面白いんですよ。海のこと、魚のこと、魚料理のこと、知らないことをたくさん教えてくれる。漁師の生き様は、もはや一つの地域資源だと思います。
——魚谷屋では、イベントもたくさん行なっているそうですね。
漁師たちの魅力を、お客さんたちに直接届けたいと思って、漁師を店に招いてカウンターに立ってもらう「漁師ナイト」を何度も開催しました。「この土地で獲れた」を知ることはあっても、「この漁師が獲った」まで知って魚を食べることなんてないでしょう。顔を見せれば、「漁師のライブステージ」ができ上がるんです。
——そうやって生産者と消費者を繋げていると。魚谷屋に来るだけで、「海」や「漁師」、「魚食」という世界への解像度が上がるような気がします。
それは目指すところですね。そのためなら、僕は魚谷屋は“ハブ”でいいと思っています。魚谷屋はテーブル、カウンター合わせて53席あるんですが、反対に言えば同時に53人にしか魚食の魅力を伝えられない。
でも、皆さんの食卓をお借りできたら、もっと多くの人に魚食文化を伝えられる。鮮魚のEC販売とお魚捌き教室で、魚谷屋は「家庭の食卓」にまで出張できました。コロナ渦中の取り組みとして見ていただくことも多いけれど、実は、お店でやっていることも、オンラインでやっていることも、目指すところは何も変わらないんですよ。
これからの外食産業の変化
——この数ヶ月で世界は大きく変化したと思います。魚谷屋として、これからの外食産業をどう考えていますか?
この新型コロナ感染症は、これまで通りの外食産業は戻ってこないほどの大災害だと思っています。だからこそ、飲食店は「どうありたいか」を改めて考えて、コンセプトチェンジする柔軟さが必要になっていく。
一方で、魚谷屋は幸運にも大きなコンセプトチェンジを必要としませんでした。それは、「漁師と関係性を結ぶ」、「魚食文化の伝える」という変える必要のない信念があったから。店の営業がストップしたことで、信念を貫き通すために「オンライン」という戦い方を選んだんです。
——お店としてどうあるべきか、理念がはっきりしている店だからこそ、柔軟に対応できたんですね。魚谷屋は「漁師たちのために」という考えがあるからこそ、取り組みの幅も広がっている気がします。
生産者について深掘りすれば、生産者と飲食店は互いに高め合う関係性になれると思っています。料理人の役割は、生産者から食材を受け取って、アレンジして、メッセージとしてお客さんに届けること。何も仕事場は、まな板の上だけじゃないんです。
——料理人に多くが求められる時代になっていくんですね。これからの飲食業界はどうなっていくと思いますか?
これから、外食はもっと特別なものになると思います。家族のために自炊をしている人、自分のために自炊をしている人が疲れてしまったとき、『外食』にはガス抜き以上の大きな期待が向けられる。そんな期待を超えるために、高いパフォーマンスを追求していくしかないですね。
取材を終えて
お店にお客さんが来られない状況を逆手に取り、鮮魚のEC販売やお魚捌き教室など、「オンラインで魚食文化を伝える」ことに取り組んできた魚谷さん。
それは逆境における一瞬の閃きではなく、これまでの4年間と半年があったからこそ生まれた、自然なパフォーマンスの形。飲食店と生産者は、連携して互いに高め合えるということを実証してくれました。
インタビュー中に魚谷さんが口にした「罪滅ぼし」という言葉。「美味しい食材を安く、たくさん仕入れる」という、これまで当たり前のように享受してきた豊かさについて、私たち消費者も考えるときかもしれません。
魚谷屋が大切にする「魚食文化を伝えていく」というバトンは、ただ外食に行き、家で自炊をする私たち消費者さえも、受け取ることができるのです。