あのときの辛さを僕は乗り越えていない…川島永嗣が振り返る楢崎正剛と移籍【ごはん、ときどきサッカー】

サッカージャーナリスト・森雅史がお送りする「ごはん、ときどきサッカー」は、サッカー関係者の人生をテーマにしています。第9回はご存知、日本代表の守護神としてW杯に3大会出場した川島永嗣さんにインタビューしています。名古屋時代の楢崎正剛さんとのポジション争いや移籍の決断、欧州でのGKへの評価基準について語っていただきました。 (西麻布のグルメフレンチ

あのときの辛さを僕は乗り越えていない…川島永嗣が振り返る楢崎正剛と移籍【ごはん、ときどきサッカー】

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失点してしまった後、GKが言う言葉がある

「今のはなんとかすれば止められたかもしれない」

そう語ることでGKは非難される

ミスによってゴールを失ってしまった、と。

 

無理だと分かっていても反応することで

すべてGKのせいに見えてしまうこともある

そんな孤独にも見えるGKの心情と

過去から現在までの心境について聞いた

 

勝てる気がしなかったら違う道に進む決断をするのも大事

この連載、いくつかの記事を今までに読んだことがあるんですよ。僕を呼んでいただいてありがとうございます。

 

人生の中で辛さって種類があると思うんですよね。そのいろんな種類の中でも、道が見えないというか、先が見えないのが一番辛いと思うんですよ。そう考えると、名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)にいたときは、自分のやってることがどう形になっていくのかが一番見えなくて辛かったですかね。

 

21歳になるとき、自分の中では信念を貫いて大宮アルディージャから名古屋に移籍したんです。名古屋にはナラ(楢崎正剛)さんがいて、代表で一番先を行ってるGKの人と一緒にやらせてもらうといういう大義を振りかざして行ったんですけど、試合には出られなかったし、一歩進んだ先が何に繋がってるのか一番分からない時期だったと思いますね。

 

自分としては長いキャリアにするために「大きなベースを作る時期にしなければいけない」と考えてはいるものの、歩いててもどこに向かってるのか分からないという時期だったんです。

 

逆にうまくいかないとき、たとえばストラスブールでもメスでも試合に出られないときがあったけど、そういう時期でも自分のやりたいことはハッキリしてたんですよ。自分が思い描いたように上手くいかない時期というのはありますけど、それでも進む方法をある程度自分の中でハッキリ理解できてるんです。

 

2015年にスタンダード・リエージュを退団した後や、2018年のワールドカップ後に所属チームがなかったときも辛かったですよ。精神的に言えば今までにない状態までいったし、でもある意味、そのときは自分の中で「自分がもっとやれるという思いを信じられるかどうか」という部分との戦いだったと思うんです。

 

うまく物事が進まなくて「この道でいいのか」と思うことはありました。このまま進めば自分がまた何か新しいものを得られるんじゃないかという感覚もあって。その感覚を信じられるかどうかということだったので、それはまた辛さの種類が違うと思うんです。

 

でも名古屋にいた当時というのはそういうのが全く分からないし、自分のトライしていることがどういう結果を生んでいるのかも、試合に出てないので分からないし、自分を計る基準というのもなかなか理解できなかったし。

 

手探りなことが多くて、どうやったら自分が競争に勝てるか、ベースを作ってそれが本当にどういう形になっていくのかもわからなくて。自分がどこに進んでるか分からないし、暗闇の中で一歩踏み出しても、前に進んでいるのか横に行ってるのかも分からないというのが、あのときの状態だったと思います。

 

あのときナラさんと一緒にやらせてもらってて、正直に言うとナラさんを超えられる気が全くしなかったですね。大義を振りかざしてやってて、そこを超えればもちろん先が見えるのかもしれないけど、超えられる気がしなくて。

 

自分とナラさんは比べものにならなかったと思いますね。自分の中ではそう感じてました。僕はすごく雑で荒削りなところがあったし、若かったというのもありますけど、自分が思い描いたプレーを実際にピッチ上で常に表現できるかというと、そうじゃなかったし。

 

それに比べてナラさんは、試合でも練習の中でも自分のスタイルを確立してたし、技術面でも高いレベルでプレーしてて。どうすれば力を発揮できるのか常に分かってたし。そういうのを間近で見てて、ナラさんがやってることを自分が出来る気は全くしなかったし、自分がどうすればそのレベルまで行けるのかというのも見えなかったですね。

 

18歳でプロになった大宮のときは、さらに若くて怖い物知らずみたいなところがもっと強かったと思います。でも名古屋に行ってナラさんを目の当たりにして、現実を見せられたというか。

 

その辛さを自分は乗り越えてないんじゃないですかね。だって24歳のとき、川崎フロンターレに移籍したじゃないですか。もちろん名古屋でナラさんに勝って何かを残せたらよかったと思いますけど、結局それは出来なかったので、だから違う道を進むしかないというので移籍を決断して川崎に行ったという感じです。

 

でも移籍してよかったかもしれないですね。もし移籍してなかったら出番がないまま引退までくすぶってたかもしれないですし。僕は負けず嫌いだし、挑み続けたい気持ちはあったし、名古屋にずっといることも考えたけど、でも自分のキャリアはこの先どうなっていくのか考えたときに、勝てる気がしなかったら違う道に進むという決断をするのも大事なのかと考えていました。

 

それが川崎に移籍したら名古屋でやって来たことを表現する機会をもらえたわけだし。そこまで3年間、名古屋でやってきたことをどれだけ発揮できるか、前に進むしかないと思ってました。それに川崎のチームの雰囲気だったり、「もっと上を目ざす」というクラブの方向性なんかがまさに自分にピッタリだったと思います。だからすごくやりやすかったですね。

 

川崎では初年度から全試合に出られたんですけど、そこで初めて「やってきたことは間違いなかった」という確信を持てたんです。それまでに手探りだったけど、川崎に移籍してから試合に自分が出せるようになって、「名古屋で3年間やってきたことは正しかったんだ」とい感じられたんですよ。

 

2006年に初めて日本代表に召集されて、ナラさんと川口能活さんと一緒に代表でプレーするようになったんですけど、達成感より、責任感を感じるほうが強かったですね。日本代表のGKということはそれだけのパフォーマンスを常に見せなければいけないわけじゃないですか。試合に出るかどうかに拘わらず、そういう目で見られるようになるし、自分のチームでも常にそういうレベルを見せないといけないと、いつも思ってました。

 

代表でも出番はなかなか来なかったですね。2009年2月、ナラさんも能活さんもケガしたとき都築龍太さんが急に呼ばれて、キリンチャレンジカップのフィンランド戦、南アフリカワールドカップ予選のオーストラリア戦には都築さんが試合に出たこともありましましたし。

 

今の自分だったら理解できます。僕もまだ選手として成熟してなかったし、クラブでのパフォーマンスがよかったり、代表に呼ばれ続けていたのはあるかもしれないですけど、でもワールドカップ予選という大きな舞台で日本を背負ってプレーするだけの自分の器があったかというと、あのときはまだなかったんじゃないかと思います。

 

それを岡田(武史監督)さんはハッキリ見てたんだと今になれば思いますよ。そう言えば、その試合のあと岡田さんが川崎の練習場に来たらしいですけど、僕は説明は受けなかったですね。

 

それでも2010年南アフリカワールドカップのメンバーには選ばれて、本大会前に組まれてた2試合の練習試合のうち、1試合目のイングランド戦で試合に出たんです。でも僕は自分がイングランド戦に出たからワールドカップに出られると思ってなかったし、そこまでずっとナラさんだったんで、正GKにナラさんが戻っても全然おかしくないと思ってたし。

 

「ワールドカップに出られればいいな」とは思ってましたけど、それまで代表で出られなかったのもあったし、出られなくても2014年ブラジルワールドカップに向けていい経験ができればいいと思ってたので、別にナラさんが戻っても、気落ちすることはないだろうというスタンスでした。

 

そこから3大会連続でワールドカップに出してもらったんですけど、ワールドカップって夢の夢という舞台ですし、そうそう何回も出場できるもんじゃないと思ってました。2010年のときに2014年のことを考えていたのはありますけど、2018年もハッキリ見えてたわけでもなくて。それこそチームがない状況もあったし、代表のレギュラーから落ちたこともありましたし。そういう意味では日々戦っていることが繋がっていった結果じゃないかと思います。

 

だから2年後にワールドカップがあるからこうしようとかいうのは考えてないし、目の前の戦いに勝っていかなければ、そういう先もないですし。

 

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リスクをどれだけ背負えるかを欧州の人は見ている

失点した試合で「どうにかすれば止められたかもしれない」と言うとGKのミスのように思われることもあるんですけど、正直GKをやってれば「このシーンでこのボールが来れば止められない」という場面は確実にあります。でもそれを常に「止められたんじゃないか」って追求しない限り、可能性は広がらないし、自分自身にとっての成長はないと思うので。

 

それを「あれは止められない」って言葉で自分に嘘をつきたくないですし、出来ることがあればやらなきゃいけないし。難しいと思うこともあるんで、それはそれで自分の中で白黒ハッキリさせなきゃいけない部分もあるんですけど、どこかで常に追求しなければいけないし、誰に何を言われても変える必要はないかと思います。

 

2018年ロシアワールドカップのコロンビア戦で、飛ばないと決めていた壁がジャンプして、その下を通されて失点したんですけど、いくら試合の前に確認してても、そうじゃないことが起きるのがサッカーなんですよ。

 

そういう予想外のことが起こったときに、それでもやっぱりゴールを守らなきゃいけないのがGKだし、それが求められる役割だと思うんです。「こうしておこうと言っておいたから、それができなかったらGKのせいじゃない」というのは、それはもうGKじゃないと思うんで。

 

広い範囲をカバーしようと思うとミスは出やすくなるんで、守備範囲を狭くしてミスがないように見せるのが上手い人はいます。でも結局ミスを恐れてリスクを背負わずにたら、それで味方は攻められずに得点できなくなるかもしれない。結局勝つ可能性が増えないわけじゃないですか。だから自分のエリアしか守らないGKはヨーロッパじゃ評価されないんです。そのレベルのGKとしてしか見られないし。リスクをどれだけ背負えるかというのは、こっちの人たちはすごく見てるし。

 

自分自身も、やれることをしっかりやるというのは大切だと思うけど、可能性を広げられないともったないと思うし、リスクを背負ってるGKがチームをより勝利に導くことが出来るんじゃないかと思います。

 

自分のミスに見せないようにDFに文句を言う選手はもちろんいると思います。でもレベルの高いGKを見てると、ギリギリのところで何が出来るかというのを突き詰めてます。マヌエル・ノイヤーって、GKという枠から外れてるぐらいのプレーをするじゃないですか。その代わり、日本じゃ言われないかもしれないけどミスもたくさんしてるんです。

 

でも彼はリスクを冒しながらいかに正確にやるかということに対してこだわってプレーしてるんですよ。それがたとえばチャンピオンズリーグのときの高いパフォーマンスや、今シーズンの最初のほうの高いパフォーマンスにつながってると思うんです。そのリスクとミスの両方をしっかり見てないと、GKというのはうまく判断できないかと思います。

 

僕はフィールドプレーヤーのミスに関して、うまく対応できなかったことに対してはそんなに文句を言わないと思います。けど、僕が一番好きじゃないのは、やれるのにやらないときとか、勝利を諦めてるとき、うまくいかないと思ってそうなときとかなんですよ。そういうのを僕は認められないんで、練習でも試合でも文句は言ってます。昔に比べると言わなくなったかもしれないですけどね。37歳ですからね(笑)。

 

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2022年W杯を見据えるとは全く考えてなかった

GKはなかなか出場のチャンスが来ないんですけど、自分としては急に来たチャンスを掴んでるつもりもないんですよ。そんなに「チャンスが来た!」って思うこともあんまりなくて。ホント、1日1日、その日に自分が出来ることをやってることが、たまたま形になってくれてるんです。

 

「チャンスが来たときのために」と思ってやってるわけでもなくて、自分には自分の理想や追求したいことがあって、それに向かってやってるだけで。そうやって追い求めてることを自分が表現できるかどうかということだと思うし。

 

自分は幸運なことに、そういうチャンスが来ただけで。何かキャリアを描いてヨーロッパにいるわけでもないですし、37歳になってもフランスで挑戦させてもらっていることはありがたいことだと思ってます。だから「自分はこうじゃなきゃいけない」というのは、正直に言うと自分の中にはないんですよ。

 

ワールドカップって「夢」じゃないですか。日本代表という場所も「夢」なんですよ。サッカー選手って小さいころからそうだと思うし、37歳の僕にとってもそうだし、みんなにとっても「夢」の場所だと思うんです。

 

そういう夢があるから、それが自分を突き動かしてくれてるんです。目標っていう言葉にすると何かを「やらなければいけない」とか、そのためには「こうしなきゃいけない」ということになると思うんですけど、「夢」だと思って見ることで、その夢が自分を突き動かしてくれる、「もっとこうしたい」「あれをしたい」と思うし、それが今の最大の楽しみではありますけどね。

 

僕の捉え方では、「目標」が最初に来ちゃうとワクワクしないし、ただ目標を達成するためだけに自分が行動するというのは、心の楽しみ方が違うと思ってます。夢があって、そのための目標としてあと3センチ高く飛ぶのはあるかもしれないけど、3センチ高く飛ぼうというのが目標だったとしても、高く飛んでもワールドカップに出られるかどうか分からないし、それがシュートを止めるのに繋がらないかもしれないじゃないですか。

 

それより自分はもっとこうなりたい、こうしたいというのが自然に出てくるほうが僕は楽しいし、そのほうが生き甲斐ややり甲斐があるというか。自分の心が躍ったり、ホントの意味で心の底から楽しめることだから達成感が違うんじゃないですかね。37歳が「夢」とか言ってていいのかと思いますけどね(笑)。

 

これから先の未来は、年齢も年齢なんで何も考えてないことはないんですけど、今までも「先に何か思い描きすぎて今の自分が見えなくなる」のは好きじゃなかったので、日々、自分が求めているものとか、自分がやりたいことを追求することで新しい未来を作っていきたいという気持ちです。

 

そもそも2022年カタールワールドカップを自分が見据えるとは全く考えてなかったし、でもやっぱりそういう夢があるからまた自分も何かを突き詰めたいと思えるし。最後どうなるか分からないけど、でもやっぱり今の日々の戦いや、追求するものや、また何か、代表のことだけじゃなくてヨーロッパで自分がどういうパフォーマンスやレベルでプレーできるのかというのを、新しく作っていけたらいいかと思ってます。

 

フォアグラとちょっと甘い白ワイン…コンビネーションの発見が面白い

おすすめのレストランですか? この前アルザスの近くで有名なレストランの「オーベルジュ・ド・リル」っていうところに行ったんですよ。いつも三つ星で今は二つ星なんですけど、そのレストランには日本人の修行してるシェフがいるということで招待してもらったんです。そこがとてもおいしかったですね。日本にも「オーベルジュ・ド・リル」があるみたいですよ。

 

アルザスって白ワインが有名なんですけど、フォアグラにアルザスのちょっと甘い白いワインがすごく合うんですよ。そういうコンビネーションみたいなのは、フランスのレストランに行ったりするとあるので、そういう発見が面白いですね。今は新型コロナウイルスの影響でレストランに行けないんですけどね。

 

では体調気を付けてください。こんな時期なので。

 

オーベルジュ・ド・リル トーキョー
〒106-0031 東京都港区西麻布1-6-4
25,000円(平均)10,000円(ランチ平均)

 

photos by Kenichi Arai (試合写真2枚とも) 

 

川島永嗣 プロフィール

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2001年、大宮アルディージャに入団。名古屋G、川崎Fを経て2010年にはベルギー・リールセへと移籍した。2018年よりフランスのRCストラスブールに所属。W杯は2010年、2014年、2018年の3大会に出場している。1983年生まれ、埼玉県出身。

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

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