その時、鄭大世は泣いていた…妻から見たプロサッカー選手の家庭とは【ごはん、ときどきサッカー】

サッカージャーナリスト・森雅史がお送りする「ごはん、ときどきサッカー」は、サッカー関係者がピッチを去った後の人生をテーマにしています。第3回は鄭大世選手の奥様、ミョン・ソヒョンさんにご登場いただきました。結婚、そして大統領専用機CAの職を離れざるを得なかった裏事情についてお話しいただきました。 (清水のグルメ居酒屋

その時、鄭大世は泣いていた…妻から見たプロサッカー選手の家庭とは【ごはん、ときどきサッカー】

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清水エスパルスのホームゲームに足を運び

運がよければ美味しいキムチを購入できる

さっと売り切れてしまうから要注意の逸品を

作っているのは鄭大世の奥様ミョン・ソヒョンさんだ

 

大恋愛の末、職を捨てて結婚した

鄭大世を家庭で支えるだけでなく

新たな道も切り開こうとしてる

そんな素敵な女性にオススメのレストランを聞いた

※このインタビューはすべて日本語で行われました

 

韓国でのイジメと日本で受けた差別

私は山形の中学と高校で勉強してたんですよ。

 

私の母親はもともとキャビン・アテンダント(CA)だったんですけど、結婚して辞めて普通の主婦として家で生活してたんです。そこにCA時代の先輩から、山形で仕事をするから一緒にやってみないかという連絡が来たんです。私が小学校5年生のころでした。

 

母は日本語も全然知らない状態だったんですけど、「日本で始めてみよう」と言って最初は1人で山形に行ったんです。1990年代だったからちょうどバブルの時代で。

 

仕事は、温泉が出ないホテルに温泉が出てるホテルからお湯を引く仲介をする、というものでした。通訳が必要だった最初はとても大変だったんですけど、頑張って乗り越えて生活できるようになって。それで私も日本に行くことになりました。今はずっと日本にいなくても会社が回るようになったんです。

 

日本に来る前、私は韓国でいじめられてたんですよ。日本語のイジメって韓国でもそのままイジメって言うんですけど、小学校時代にイジメに遭って。その理由が、母がCAだったので海外に行く機会が多かったことだったんです。1990年代に子供たちがヨーロッパに行くっていうのはあまりなかったんで、「冬休みに何をしたか」という発表で「ヨーロッパの7カ国に行った」って言ったら、そこからいじめられたんです。

 

結構いじめられてたんで学校が嫌で、そのとき母が「一緒に日本に行かないか」ってタイミングよく言ってくれたんです。私は「ここから抜け出せる」と思ってとにかく嬉しくて。

 

それで日本に来てすごく幸せだったんです。学校の先生も優しいし友達も優しいし。韓国は教育が厳しくて、宿題してこなかったり、テストで100点満点のうち70点から80点とっても、間違えた分だけ叩かれてたんです。今は違うと思うんですけど。そういう罰がすごく嫌だったんです。

 

ところが日本では宿題してなくて「どうしよう」と焦ってたら、先生が「次はちゃんとしてきてね」って笑顔でおっしゃって。「なんていい人なんだろう。この国最高!」って(笑)。

 

でも高校に進むと確かに差別がありました。そういう先生もいて。社会の時間に日本と韓国の戦争の話をするじゃないですか。日本の教科書では日本がいい立場で書かれてるし、韓国では逆に書いてあるし。そうしたら先生が「ソヒョン、ちょっと立って」って。それで「この戦争をどう思うんだ」って言われたんですよ。

 

私は何を答えればいいか分からなくて、私は韓国人だから韓国の考え方を言ったら、そこから先生のイジメが始まりました。「竹島はどこの国のものだ」なんて質問されましたし、でもそういうのって永遠に終わらない問題だし。

 

今思えば40代の先生が高校生をみんなの前で立たせてそういう質問するなんて、本当にひどいと思うんです。もちろんみんながそうじゃなくて、その先生の人柄だったんだと思うんですけど、私の上に立ちたかったんでしょうね。あれは一生忘れられないです。今となっては思い出ですけどね。

 

生徒の中でも差別とかはあって「韓国に帰れ」とか言ってくる人もいたんですよ。でも私、結構性格が強いんで、「私は帰らないよ。帰るんだったらお前が家に帰れ」って怒ったりしてました(笑)。

 

それで日本で高校を卒業して、私は日本の大学に進学してずっと日本で暮らすんだと思ってたんです。日本に慣れてたんで。でも、母は自分が結婚で辞めなければいけなかったCAにずっと悔いが残ってて、娘たちにもCAになってほしいという願いが強かったんですよ。それで私は韓国の大学に行ってCAになることにしました。

 

韓国の受験って結構厳しいんですけど、私は日本で6年間住んでたから永住権が降りてて、日本の永住者は日本語の資格を持っているかどうかと面接と、それからテストっていう感じなんですね。普通の受験よりは少しはよくて、姉と同じ大学に入ったんです。

 

それでCAになることができたんですけど、姉も先にCAになっていたので、姉妹が揃うというのは珍しくて、会社でも注目というか、必ず誰々の妹という形で言われてましたね。

 

勤務は一番最初、国内線から始まるんです。それから英語の試験を受けて、資格を取ってすぐ国際線に乗ってました。そうしたら国際線のCAのキャプテンがたぶん推薦してくださったと思うんですけど、急に面接を受けることになって、大統領専用機に乗ることになったんです。

 

 

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仕事をとるか、恋人をとるか…鄭大世との出会い

大世さんと出会ったのは……私は韓国で普通にCAの生活をしてて、休みは月に5、6日ぐらいしかなくて、あまり人と知り合う機会はなかったんですよ。でも姉の結婚式の司会をしてくれた韓国のお笑い芸人さんとは家が近かったこともあって仲良くなって。

 

そうしたら2013年5月にその人が突然、日本人の人たちと飲み会をするんだけど、ちょっと通訳してほしいと言ってきたんです。それからそこに「有名なサッカー選手もいるんだよ」って。

 

その時自分が知っていた有名サッカー選手は、朴智星、安貞桓、イ・ドングッ、チョン・ソンリョンしかいなかったんです。それで私は「有名なサッカー選手」って言うからその4人の1人かと思ったんですよ。それで行ったらKリーグでプレーしてた大世さんがいたんです。そのとき私は「朴智星じゃないんだ」と思って(笑)。

 

でも実物は想像とは全然違ったんです。もともとはダサいイメージだったんですよ。「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表の鄭大世」という肩書きしか知らなくて。鄭大世イコール北朝鮮代表、韓国人はみんな大世さんを北朝鮮の人だと思ってたんです。でも実物は普通なんだなって。

 

実際その時のファッションは派手ですごかったですね。髪も染めてて。ただ、私たちは1番両端に座ってたんです。大世さんは日本語が楽だから日本の女性としかしゃべらなくて。私もそのお笑い芸人の人と「なんだ、朴智星じゃないじゃんない」と言ってたりとか。

 

その後2次会に行ったんですけど、半分ぐらいは帰っちゃって、大世さんとお笑い芸人さんと自分とあと3人ぐらいになって。そこで飲んでる時にお笑い芸人の人が、無理矢理「2人お似合いだから連絡交換していいよ」というぐらいのことを言ってきたんです。お互いに「いやいや、いいから」って。で、結局連絡先は交換しないまま、その日はそれで終わったんです。

 

お互いにそんなに好感度が高くはなかったと思うんです。私は大世さんの理想のタイプじゃなかったんですよ。大世さんは自分の理想を「オレが目が小さいから目が大きくてぱっちり二重まぶたの女の人」「かわいくてスタイルがいい女性」と言ってたんです。私、目が大きくないので。でも後で大世さんに理想と結婚相手は違うねって言われました。

 

それからちょっと時間が経って、お笑い芸人さんが大世さんに「ソヒョンは逃しちゃ駄目だよ」って言って、無理矢理に連絡先を交換させられたということがあるんです。それで連絡が来て「会おう」って感じになったんですけど、最初はお互いのスケジュールが全然合わなくて会えなくて。私の週末が休みだったら大世さんは試合だったりしてました。

 

それで2人で会ったとき、本当にビックリしたんです。それまで私は韓国の男性しか付き合ったことがなかったんで。高校の時に付き合ったのはやっぱり子供の遊びという感じでしたし。

 

韓国の男性は女性をとにかくお姫様扱いしてくれるんです。マナーも良くてハンドバックも持ってくれて当然。そういう人たちばっかりで。私って実はそういう男性がすごく苦手で、そういう韓国の男性には冷たくしたんです。それって本当に好きな人に出会ってなかったんですね。この人がすごく好きっていう男性が1人もいなかったんですよ。

 

でもそういう男性に慣れちゃってたから、大世さんと会ったら「なんでこの人はこのタイミングでこれをやってくれないんだ」って、やっぱり比べちゃって。「今までの彼氏はいろいろ優しくして全部やってくれたのに、この人何?」って思って。その時ちょっと新鮮だなって思ったんです。

 

もちろん優しかったんですけど、韓国人と比べたらっていう話なんです。比べたらもう全然、お姫様扱いしてくれない。でもそこで、「私は逆にこういうタイプが好きかも」ってなったんです。それに惹かれたというか。

 

それで5月ぐらいに付き合い始めたんですけど、3カ月ぐらい経ったときに一度別れたんですよ。

 

私が大統領専用機に乗ることになったとき、私の家族から遠い親戚まで国から全部調べられるんですよ。警察から電話が来ていろいろ質問もあるんですけど、そこは厳しくて。私がどこにいるか知られたら大統領の居場所が分かって問題だから。勤務の間は私たちの生活にも全部警備がついて自由がないんです。どこにも行っちゃいけないしホテルから出てもいけない。

 

彼氏も当然調べられるんですけど、そのころ私は大世さんと付き合ってなかったんです。付き合いだした後もCAのチームにはそのことを言っていませんでした。

 

そうしたらCAチームのキャプテンに呼ばれて「鄭大世選手と付き合ってるか?」って聞かれたんです。バレたと思いました。そしてこれは絶対、専用機から降ろされるだろうなって。

 

私は「いや、ただ知り合いなだけで付き合ってないですよ」と言ったんです。実際そんなに深く付き合ってたわけじゃなかったので。ただ、これでもう大世さんとは別れなきゃいけないと思ったんです。専用機にはずっと乗りたいので、これは別れるしかないなって。

 

それで別れを告げたんですけど、大世さんは「別れるのはなぜ? 理由があるはずじゃん」って聞いてきたんです。私は「嫌いになった」ってだけ言って別れたんですよ。

 

でも今も忘れられないんですよ。その時涙を浮かべた大世さんがあまりにも悲しそうだったんです。私は、3カ月付き合っただけで、そんなに深い愛ではないと勝手に思ってたんですけど。

 

それで別れたんですが、自分としてもずっと納得がいかないんですよね。別れて1カ月ぐらい経ってもお互い忘れられなくて、「もう1回会って話そう」っていうことになって。

 

そこで真剣に話して「付き合ったら専用機に乗れないんだ」って打ち明けたんです。そうしたら大世さんから「結婚しよう」って言われたんですよ。「じゃあ結婚しよう」って泣きながら両手を握って。私、「別れ話の時に結婚って何?」と驚いたんです。でもその時に「え?!」って、ちょっと惚れました。

 

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鄭大世との結婚で大統領専用機の仕事から外されることに

私の母は娘が結婚する相手は検事とか医者とか、そういう仕事の人を望んでたんです。私の相手が運動選手ということになったら絶対反対するなと思ってました。

 

だからもう一度付き合うことになったけど、大世さんには「うちの母は厳しくて、あなたのことを絶対認めないよ」と言ったんです。絶対無理だから私たちはもう別れたほうがいいって、別れる方向で話を進めたんです。でも大世さんはどうしても1回だけ会わせてほしいって。

 

その言葉が心に響いたんです。「オレは殴られて歯が折れてもいいし、骨が折れてもいいから、1回だけ会わせてくれ」って。私は「そこまでやられていいんだ。これが本当の愛なのかな」って感じて。

 

それでその年の10月に母とタイ旅行に行ってる時に初めて話をしたんです。その時まで彼氏の話なんてしたことなかったんですけど、「彼氏が出来てお母さんも知ってる人なんだ」って。母が「私の知り合い誰だっけ?」っていうから「鄭大世っているじゃん」って言ったら、「あ、あの北朝鮮代表の?」って。「1回会わせてだって」と伝えたら、母は「じゃぁ韓国に帰ったら1回会ってみるよ」って言ってくれたんです。

 

それで空港に着いたら大世さんがサプライズで迎えに来てたんです。スーツにピカピカの靴に大きな花束を持って、すごく緊張してウロウロしてる男性がいて。その時にお母さんも「あぁかわいいなぁ」と思ったらしくて。そこから駐車場まで行く大世さんの後ろ姿を見てお母さんも一目惚れしたらしくて「この子なら娘を預けられる」と思ったらしいんです。

 

その日、3人でレストランに行ってご飯を食べたんですけれど、母は「もういいよ。結婚していいよ」って。そしたら大世さんが驚いて「結婚ですか? いやいや、付き合うことのオーケーをもらうために来たんですけれども、結婚かぁ」って。

 

それでいつ結婚するかっていうことになって、大世さんが「来年の12月だったらシーズンオフなんでそこにしよう」と言って、私が「うん、わかった」って言ったら、母が「え? もう再来月やれば」って。「結婚するなら早くやったほうがいいよ」って言われたんですよ。

 

だから11月の1カ月で準備して、12月に結婚しました。5月に出会って12月に結婚で、途中1カ月別れてたから、付き合って6カ月間で結婚ですね。

 

結婚と同時に大統領専用機に乗るスケジュールは一切入りませんでした。

 

鄭大世の話を「この人は日本生まれで、ずっと日本で育って、北朝鮮に住んだことがない」といくら言っても、結局「北朝鮮代表だったじゃん」ってなってわかってくれないんです。

 

大統領専用機には5年間乗ったんですけれど、本当に悲しくてすごい泣きました。こんな一瞬で降ろされるんだって思って。実際から何かしたのなら反省して降りるんですけど、これは私が降りる理由がないのにと思って。

 

そしたらハネムーンベイビーができちゃって。なんでも早いんです(笑)。じゃあ私は結局飛行機に乗れないと思って、妊娠したからフライトの職は終わりと言う感じでした。

 

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今後は「大世さんを休ませたい」

大世さんは正直な人なんで、試合に負けたり自分がゴールを取れなかったりするとすごく気にするんです。

 

私は最初、それがすごくしんどかったんですけど、私よりしんどいのが本人なんだろうなって思って。

 

なので試合に負けた日は「今日、クラブハウスに泊まっていいからね。気にしないで」ってメールしてました。既読になるんですけど返事は返ってこなかったりとか。寂しかったですね。でも「鄭大世選手」中心に動かなきゃいけないので。

 

結婚するとき韓国は大世さんにとって海外だから、全部理解して挙げようと思ってました。これからもいろいろあるかもしれないんですけど、今は子供が中心で、子供の学校のことが1番です。

 

自分はどこに行ってもストレスをためるタイプなので別にどこにいったってどこでもいいんです。正直、海外がすごい好きで、そこでの生活にはどこに行っても慣れるタイプなんですよ。慣れるけど、韓国人なのに韓国にいてもストレスにたまるし、日本に行ってもストレスはあるし。自分はどこに行ってもストレスがあるんだと思って諦めてます。どうせ子供中心なんで。

 

この先って、今より絶対収入は減ると思うんですけど、金銭面はあまり心配してないんです。大世さんはそこで苦しんでると思うんですよ。家族を守らなければいけない、家族を引っ張らなきゃいけないという負担が大きくて。

 

でもお金って今あってもどうせなくなるんですよね。それにお金があるから幸せではないと思うし。今回の新型コロナウイルスでさらに気づいたんですけど、外出ができないからずっと家で生活をしてるんですけど、それは私にとって幸せなんです。家族4人がいれば私、どこに行っても何をしても幸せだと思って。お金ではこんな幸せ買えないから、

 

それに私も今、キムチを作って売ってるんですよ。自分も何かをして収入を得なければいけないなというのを考えています。

 

そのキムチを売るようになったのも偶然なんです。そもそも韓国人にとってのキムチって、日本で言う納豆の感覚じゃないかと思うんです。いつも食卓にあるから。だからキムチを商売にしようという感覚は全くなかったんです。

 

2019年6月に、清水エスパルスのスポンサーの静鉄ストアの会長さんが選手たちを招いてご飯を食べさせてくださるとき、私と子供たちも呼んでいただいたんです。そうしたら同居してた母がお礼としてキムチを持ってきなさいって言ったんです。

 

「えー? キムチ食べるかなぁ? 会長さんだからもっといいものばっかり食べてらっしゃるんじゃないの?」と思ってたんですけど、母が「いいからこれ持ってきなさい」って作ってくれたんです。それを渡したら「これはおいしいから静鉄ストアで売ってみない?」って。

 

私、キムチを作ったことなかったんですよ。いつも母が作ってくれてたから。でも確かにいいかもしれないと思ったのが、母のキムチは美味しくて、周りの人から「もっと作ってちょうだい」と言われてたんです。じゃあやってみようと思って、とりあえず反応がみたくてスタジアムで売ってみようと思ったんですね。

 

それでスタジアムの係りの方に「シーズンの途中からですけど反応がみたいのでお願いします」って売らせていただいたら、1回目が即行売り切れたんですよ。それで「テセキムチ」って作って、そこからスタジアムは固定で毎試合行って、静鉄ストアさんでも売っていただいて、というのが始まりですね。

 

法令とかいろいろあるんで、それを1人で調べてクリアするのは大変でした。日本語だし。それで作る工場の営業許可をとって、食品の保険も入って、アレルゲンの問題も全部クリアして。

 

テセキムチに入れる材料で、どうしてもこれじゃないとダメだとこだわっているものがあって、それは母が40年間行きつけてる韓国の店にしか売っていないんです。高価なんですけど、やっぱり中国産では代用できなくて、それがなければこの味が出せないので。だからその食材は輸入してますし、EMS代も結構するんですけど、そういう流通系の問題もクリアしました。

 

作り方は母にすごく厳しく教わったんです。これは商品だから完璧を求めなければ長続きしないよって言われて。母に半年位厳しく教わって、やっと自分1人でも作れるようになりました。それが1番嬉しかったですね。最初の3ヶ月は寝られなかったですね。忙しくて。だから白髪が増えました(笑)。

 

私が結婚してからずっと全然苦労してないのは大世さんのおかげだと思っているので、この先は私が大世さんを引っ張っていきたいですね。大世さんを見ていると胸が痛くて。試合とか練習とか厳しくて、そんな厳しい練習をもう何年もやっていて、だからこれからは私が頑張ろうって。大世さんはサッカーだけをずっとやってきたので、やっぱり私が引っ張らないといけないと思ってます。この先は私に任せてって。大世さんも「俺を休ませて」って言ってます(笑)。

 

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静岡のおすすめグルメとは?

うちは韓国料理を外で食べないんですよ。自分で作れちゃうから。それに母の料理がすごく美味しいんですよ。だから韓国料理店をオープンしたいという希望もあります。行くとしたら焼肉ですかね。

 

でもオススメするとしたら……。イタリア料理もスペイン料理も食べたことないし……、うーん、そうですね……。私、一蘭とか一風堂とか、ラーメンが好きなんですよ(笑)。でも、そういうとこじゃなくて……。

 

そうだ、静岡駅の近くに「BUICHI」という日本料理屋さんがあるんです。ここは本当に美味しくって。それで最後に出てくるのがハマグリ素麺なんですけど、実はそれを食べるために行くんです。その前に出てくる刺身とかステーキも美味しいんですけど、このハマグリ素麺は、これだけのために行ってもいいぐらいです。

 

それから大世さんがおいしいと言っていたのが、「まぐろ卸問屋直営 旬海鮮 時代屋やす兵衛」ですね。海鮮類がとても新鮮で、マグロのいろんな部位が贅沢に丼の上に乗せられていたりするのですが、「値段がコンパクト」だと言っていました。選手の方々もほぼ全員が行くような人気店らしいです。今度静岡にいらっしゃったとき行きましょうね。

 

紹介したお店

 

ミョン・ソヒョン プロフィール

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小学校5年から高校卒業まで日本で暮らした後、韓国へ戻り、航空会社でCAの職を務める。その間、鄭大世と出会い、結婚。現在は育児のかたわら母の味を受け継ぐ「テセキムチ」の事業も手掛けている。韓国出身。

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

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