僕らは人生をどう生きるべきか…37歳で初めてサッカー界の外側を見た男・大友慧の不器用な職探し【ごはん、ときどきサッカー】

サッカージャーナリスト・森雅史がお送りする「ごはん、ときどきサッカー」は、サッカー関係者がピッチを去った後の人生をテーマにしています。第1回はベガルタ仙台でプロデビューし、6ヶ国を渡り歩いた大友慧さんです。東南アジアをさすらいながら37歳まで現役を続けた大友さんに、サッカー人生と引退後の職探しについてストレートに語っていただきました。読者の皆さまが人生をどう生きるのかを考えるヒントになれば幸いです。 (仙台のグルメ焼肉

僕らは人生をどう生きるべきか…37歳で初めてサッカー界の外側を見た男・大友慧の不器用な職探し【ごはん、ときどきサッカー】

新連載「ごはん、ときどきサッカー」では、サッカーやフットサル関係者の人たちがピッチやコートから去った後、どんな生き方をしているのかを追っていきます。まるで違う世界に、それまでとは異なる立場で挑んでいる生き様を語っていただこうと思います。どうかよろしくお願いいたします。

 

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今でこそ東南アジアでプレーする選手は増えた

元日本代表選手も活躍の場を求めるなど

サッカー選手の世界はアジア各地に広がっている

 

今回登場していただく大友慧も10年前に東南アジアを目指した

そこではマウンティングされ悔しい思いをした

現地でエージェントに言われた警告の意味もわかった

 

帰国して友人と思っていた人物からの言葉に傷ついた

社会経験のなさは取り戻そうと精一杯奮闘もしている

今ももがき続けている姿は現役の時と同じくらい輝いている

 

現役を終え、何をやればいいのかわからなかった

海外行ったときに感じたのは、サッカー選手の地位が高いってことでしたね。日本だと「サッカー選手辞めたらどうすんの?」とかちょっと見下した感じで聞かれるんですよ。

 

それから海外でプレーしてたときって、ある大手企業の日本人駐在員の方からはめちゃくちゃバカにされた感じがありました。上下関係を作りたがるんですよ。「結局いくら稼いだの? どれくらいもらえるの?」っていきなり聞いてこられたりして。最初にそうやってお金の話してくるなんて、それ自体がもう失礼でしょ。もちろん助けてくれる人たちもたくさんいたんですけど、馬鹿にしてくる人達も何人かいて。それはすごく悔しくて。

 

東南アジアでサッカーをすると、僕の場合は年俸1,000万円まではいかなかったんですけど、でも生活費が全然かからないんで、物価を考えるとJ2のそこそこいい給料と同じぐらいで、しかも半分ぐらい余るんです。

 

だけど現役が終わって、何かやらなければいけないとは思ったんですけど、何をやればいいかっていうのがなかなか分からなくて。ビジネスプランを作り上げていくことなんてやってないから、何も分からない。エネルギーはあるんですけど、どうすればいいのかっていうのが。常に本やYouTubeなんか見て、調べてはいたんですけど。

 

ドイツでテストを受けるも失意の帰国

僕は鹿島アントラーズのジュニアユース、ユースに行き、高校を卒業した2000年に当時まだJ2だったベガルタ仙台に入ったんです。そこでJ1昇格を経験したあと、2003年はサガン鳥栖に期限付移籍で行っったんですけど、仙台との契約が終わって帰れなくなって。その後2004年から2005年まで横浜FCにいて、そこから一度チームを探しにドイツに行ったんですよ。

 

横浜FCの2シーズン目の終盤はケガをして試合に出られなくなって、トライアウトも受けられなくて。JFLのチームから話はあったんですけど、JFLでお金をもらうためだけにサッカーをするというのも、しがみついてるみたいで何かイヤで。まだ24歳だったんですけど、18歳から試合に出てたんで、なんかすごく自分が年取って思えてたんですね。

 

それでドイツの3部リーグぐらいでチームが見つかればいいかなって。ドイツでは3部リーグでも結構な地位でお金も貰えるし。ブンデスリーガ2部は現実的に無理だと思ったんで。

 

仙台にいたとき、1回ブラジルに行かせてもらったことがあって。1カ月半、サンパウロFCで練習してたんです。ジュリオ・バチスタやルイス・ファビアーノとかもいて、すごく刺激的だったんですよ。だから海外に行ってみようと。

 

ところが、まずテストを受けられないんですよ。日本の代理人事務所を通じて手配してもらったドイツ人のエージェントはいたんですけど、全然話を持って来られなくて、まともにテストを受けられたのは1回だけ。あとは4部のリーグの練習を回ったりしたんですけど、生活が出来ないぐらいの年俸で。プロとして仕事を探しに来てるのにお金をもらえないチームに入っても仕方がないって思って。

 

1チームだけ練習参加に行ってた4部のチームはいいチームだったんですよ。4部の優勝争いをしてて1位だったんです。2回一緒に練習したら、足が早かったんで目立つことが出来て監督が気に入ってくれたんで、3部に昇格したら取ってくれるって話になりました。でも最後の試合で負けて昇格できなかったんです。これはもう縁がなかったと思って諦めました。25歳の時です。

 

そのあと一緒に練習させてもらったのは5部のチームで、みんないい人だったんですけど、レベルがそんなに高くなくて、もうメンタルやられちゃって。マンションと生活費と、食事を食べられるところはあったんですけど、それだけなんですよ。せっかくプロを目指してきたのに5部でプレーするっていう気持ちが湧いてこなくて。

 

それですごく練習も適当になっちゃったんで、これはいけないと思って面倒見てくれてたドイツ人エージェントに「いつテストを受けられるんだ?」って聞いたんです。そうしたら「この5部のチームで活躍すればいいチームからオファーが来るから」って。テストや練習参加出来ないなら日本に戻ろうって帰国しました。

 

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若いときに体のケアを怠ったツケ

2006年1月ぐらいにドイツに行ったんですけど、10月には日本に帰ってきました。ドイツの最後の1カ月ぐらいはやる気がなくなって、あんまり練習しなかったですね。帰国してからは知り合いを通じてJ2チームの練習に参加させてもらったんですけど、もう太っちゃってて練習のときからへばってました。練習試合では点を取ってたんですけど。もう1つJ2クラブの練習にも行けるって言われたんですけど、そこも年俸がどれくらいもらえるか分からないし、体の状態を見ても無理だろうと思って断ったんです。

 

そうしたら横浜FCで一緒にやってた横山博敏さんがTDK秋田(現・ブラウブリッツ秋田)の選手兼コーチで、地域リーグ決勝大会に出るということでチームに誘ってくれたんですよ。決勝大会に勝てばJFL入りできて、その上はJリーグで。この大会には将来的にJリーグ入りを目ざすチームが集まってて、FC岐阜、ファジアーノ岡山、V・ファーレン長崎なんかが出てきてました。

 

大会直前まで選手登録ができてたんで、他のチームも元Jリーガーをどんどん補強してました。ところが秋田は練習をやってなかった僕ともう1人だったんです。「助っ人にならないから」って断ったんですけど、「大会まで1カ月あるから大丈夫」って言われて。2回断ったんですけど3回目には行きました。

 

それで太ったままなんとかプレーして、秋田が優勝したんです。それでJFLに昇格したんですけど、若気の至りでちょっと監督に文句言っちゃったり、調子こいて提示額に文句言ってチームを出ることになったんです。そうしてたら仙台の強化部長から「岐阜の強化の人が褒めてたよ」と連絡があって、「だったら岐阜に行きたいです」って、岐阜に話をしてもらったらOKが出て、それで岐阜に行くことになりました。

 

ところが岐阜に行ったころから、若いときに体のケアをちゃんとしてなかったんでガタが来始めて。筋肉が硬直する癖ができたんですけど、それをどうすればいいかよく分からなくて。若いころからボールを蹴ることだけしか好きじゃなかったんで、体を突き詰める、体を見つめるとか全然してなかったんですよ。だからどこをどう治すとか全然分からなくて。

 

サッカーって試合とかが一番楽しいじゃないですか。ボール蹴るのはワクワクするんですけど、ストレッチとか体幹や筋トレが好きじゃなくて。そういうの一切やってこなかったんですけど、それをやらないとうまくならないんです。

 

分かってたんですけど、子供のころにそういうのを学ぶのが必要だったかなって。プレーし続けるためには、体の可動域を広げるとか、そういう地味なことを毎日繰り返し、ずっと現役生活中やらないとダメということを、20代後半ぐらいから思いました。

 

それで26歳になって初めて、お金を払って自分の体を見つめるために五体治療院という所に行ったんです。そこは一流アスリートも通う場所で、小山田良治さんという、いつもダジャレばかり言ってる先生から、身体のケアの方法やトレーニングなど多くのものを学ばせてもらいました。

 

今考えると、そんな年齢で初めて行くってやばいですよね。それまでケガしたり調子悪くしてもやれてしまってたから、身体のメンテナンスに目がいかなかったんです。それに僕は何かをやったらすぐ成果を求めちゃってたから。地味な運動の成果って、すぐには出ないんで飽きちゃうんですよ。

 

インドネシアはめちゃくちゃ凄かった…日本を離れ東南アジアへ

岐阜には2009年、29歳の時までいました。そこからインドネシアです。

 

ドイツに行ったきっかけと一緒で、海外に行けばいろいろなものが見えるだろうと思ってました。どこでもいいから海外でプレーして別の世界を見たくなって。それに日本でやってても先が見えちゃたというか。

 

それで日本プロサッカー選手会事務局長の高野純一さんに連絡して、海外にコネクションのある代理人を紹介してもらったんです。なぜ東南アジアのクラブを選んだのか覚えてないんですけど、たぶん東南アジアだったら助っ人外国人として行けると思ったんですね。そうしたら、ちょうどそういうプレーヤーを探してる人がいるっていうことで、インドネシアに行くことが出来ました。

 

行ったとき、インドネシアのエージェントに「こっちでやるからにはストロング・ハートが必要だぞ」って言われたんですよ。でも日本って、イラン、韓国、オーストラリアと並んでアジアじゃトップの国じゃないですか。だから「何言ってんだ? こっちはJリーグでプレーしてたんだぞ」って思ったんです。「オレに向かって何言ってんだ」って。その時29歳ですね。

 

そうしたらインドネシアはめちゃくちゃ凄かったんです。とにかくサッカー人気が高い。僕が入った最初のチームは、いつも4万人ぐらい入ってるんです。最初、現地の言葉が分からなくてよかったですよ。すごいプレッシャーかけられるんで。

 

試合の日は交通ルール無視になっちゃって、バイクに4人乗ったりトラックの上にみんな乗ってたり。日本ではタイリーグのほうが馴染みがあるけど、インドネシアリーグのほうが人気があります。僕が行った時ってタイのプレミアリーグが始まる前だったんで、タイ人が出稼ぎに来てました。最初のチームメイトにはアジア枠でタイ代表の選手がいましたね。

 

宗教的な違いは感じましたね。インドネシアはイスラムの国なので、街に設置してあるスピーカーからコーランが流れてくるんですよ。デパートに足を洗ってお祈りするような場所があったり。でもそんなにがんじがらめじゃなくて、僕に合っててよかったです。インドネシアが一番好きでしたね。あんなにサッカー選手として尊敬してもらえる場所はなかったんで。

 

それでインドネシアで3チームやって2年半過ごしたんです。ケガでクビになりました。外国人枠の選手はケガしたりするとすぐクビになっちゃうんで。

 

東南アジアのリーグを見てレベルが低いって言う人がいるんですけど、海外でプレーするってそのレベルだけで成功するかどうか決まるんじゃなくて。生き残っていくためには、そのチームではっきりとした数字で結果を出すことが必要で、そうじゃないとクビになるんですよ。インドネシアはマスコミ、メディアのプレッシャーもかなりあったし。最初に「ストロング・ハートが必要だ」って言われてよく分かってなかった意味が理解できました。

 

その中で一番困るのは、東南アジアでケガをするといい治療ができないことなんです。なんとかするしかない。「東南アジアに行った人あるある」なんですけど、肉離れっていうのがどんなケガなのか分かってないんです。ドクターに相談しても「飯いっぱい食えば治る」としか言われないんですよね。

 

それで肉離れが軽かったり治りかけってランニングできたりするじゃないですか。そうやって軽く走ってると、向こうでは「サボってる」って見えるんです。練習場で走ってる姿を見せちゃったら「もうプレーできるのに、あいつは練習参加しない」と思われちゃうんですよ。だからケガしたらグラウンドに出ないほうがいいんです。そういう感じで、海外でケガを5回以上はやりましたね。

 

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さすらい続けて辿り着いた母の母国・フィリピン

インドネシアの3つ目のクラブでケガして途中解雇されたんです。そうしたら残りの給料が払ってもらえなくて。移籍マーケットも閉まって八方塞がりになり、バリ島で自主トレをしながら、チームに給料支払いの交渉をずっとしてました。

 

次のチームが見つかるまでの9カ月間は無給ですよ。それで2013年にようやくミャンマーのチームのテストを受けられて、それで1年間ミャンマーでプレーしました。契約延長の話ももらったんですよ。でもミャンマーの生活がひどくて。水道は止まる、電気は止まる、Wi-Fiの電波も悪くて、Facebookのメッセンジャーで友達に連絡取れない。それで「更新したくない」って言ってミャンマーを後にしたんです。32歳でしたね。

 

それで次はタイにトライして。テストでチームは決まったんですけど、でも直近の所属がJクラブじゃなかったし、タイで32歳というのは年寄りという感じで。助っ人外国人だから大丈夫だと思ってたんですけど、テスト受けるに一苦労でした。

 

その決まったチームでまた肉離れしてしまって、リハビリの為にグラウンドで軽いジョギングをしてたら、「サボってじゃねぇよ」的な感じでオーナーにキレられて。

 

それでまだリハビリしてる最中に、ブリラムというタイのチャンピオンチームを招いて練習試合をやるってことになってたんです。僕は監督にプレーできないと伝えて理解してもらってたんですよ。ところが僕が出場できないって監督がオーナーに伝えたら、オーナーは「出場しなきゃ2度と使わない」と言い出して、監督から「頑張って出てくれ」って。それで出場してまた肉離れですよ。

 

他の試合のときも変なことがあって。監督がホワイトボードのスタメンに自分の名前を書いてたんで準備してたんですよ。そうしたらミーティング中にオーナーから監督に電話が来て、電話を切ったら自分の名前をスタメンから消してました。

 

そういうのがあってシーズンの半分で解雇です。契約は残ってたんですけど、もう払う気ないみたいで「今月これを渡したら給料は終わりだから」って。文句言おうと思ったんですけど、後で選手協会の顧問弁護士から文面で出してもらおうと思ってその場では何もせず引いて、ホテルでちょっとすっきりしてました。

 

そしたら4日後に電話がかかって来て、オーナーが「次の試合スタメンで使う」「今から練習場に来い」って訳のわからないこと言ってて。それでチームのマネジメントに「解雇って言ったじゃん」って電話したら「言った覚えはない」なんて大嘘付くし。アシスタントコーチがホテルに迎えに来たんですけど、練習に行くのを拒否したら、なぜか2回目の「解雇」です。

 

あの時はメンタルをやられましたね。でも修行だと切り替えて、フィジカルトレーニングは毎回トップで走るようにしてました。試合に出られない時こそ、練習で本当の人間性が出ると思ったんで。だからとにかく誰よりも全力でやることを心がけていました。

 

チームメイトは僕がいつも早く走るから、自分たちがサボってると思われるので嫌がってました。ただ毎日一緒懸命練習してたんで監督、スタッフ、選手は仲良くしてくれて、オーナー以外とは良好な関係は築けてましたね。

 

その後、2014年の秋からフィリピンに行きました。僕の母親がフィリピン人で、小さいころはサッカーの大会に行くと、相手チームから「あ、ガイジンが来た!」とかしょっちゅう言われてました。そういうことがあったんでフィリピンにコンプレクッスがあり、将来まさかフィリピンでプレーするとは想像してなかったです。

 

フィリピンに行き、現役最後に国際試合に出たいと思い、日本代表は現実問題として無理だったので、フィリピン代表を目指そうと思いました。日本は二重国籍が認められてないけど、フィリピンは両親のどちらかがフィリピン人だったら自動的に国籍が付与されるんですよ。それで僕にはフィリピンのパスポートを取る権利があったんです。

 

それでフィリピンのチームと契約し、10月にはフィリピン代表に招集されて、11月のタイとの試合に出場しました。当時はまだフィリピンのパスポートを持っていなかったんですけど、その試合は国際Aマッチじゃないから、パスポート申請中ということで出られるって説明されて。それでフィリピン代表の試合にデビューしました。

 

それでフィリピンの自分のチームに戻ってプレーしようとしたら国籍問題でぐちゃぐちゃになっちゃって、試合に出られなくなっちゃって。クラブが国籍問題は全部やってくれるって言ってたんですけど実際はできなくて。ボスもそういう状況だというの把握できてなくて、フィリピンパスポート取れないから契約解除されて一度帰国したんです。

 

帰国後またフィリピンに行き、新しいチームで国籍問題解決するはずが、いろいろ詐欺にあったりもしました。2016年度1月から2017年4月までは、1年半プレーできず人生で一番辛かったです。そこでもメンタルやられてちょっと鬱状態になりました。やばかったですね。人生であんなに落ち込んだのは初めてだったし。人生で一番きつかったのはそこですかね。

 

それでやっと2017年の4月に試合で少し活躍し、次のシーズンにそこそこの給料を出してくれるチームに移籍してプレーしてたんですよ。そうしたら2018年12月に「来年チームは活動しない」って言われてチームが消滅しました。その時37歳です。

 

カンボジアやラオスだったらテストを受けられる、モンゴルではどうかとか、そういう話もあったんですけど、もうただサッカーをやるためだけにギリギリ暮らしてても、次の人生に繋がらないと思っちゃって。それで2019年に東京23に練習に行ったんですけど、そこでもう辞めたほうがいいって思いました。

 

いろんなところに行けば、多分少ない給料でプレーできるところはあったと思うんです。でも現役生活にしがみつくかどうかは悩みどころで。まだ体も動くし、巻き返して40歳までやろうかとも思ったんですけど、でももう仕事にならないっていう状況になったから辞め時かなって。

 

サッカーをやるためにアルバイトをするって、それは違うと思って。もうプレーヤーとしては上を目指せない世界に来てたから。本当は辞めたくなかったですけどね。未練はあって。でも現実は受け止めないといけないから。辞めたいと思ったことはなかったんですよ。今でもやっぱりやりたいですもん。でももうサッカーできないのは仕方がないんで。もうちょっと落ち着いたら草サッカーでもいいからやろうかなって。

 

仙台の時に監督の清水秀彦さんがFWにしてくれて、最初にそれでうまくプレーできたから長く現役を続けられたということだと思います。清水さんには本当に感謝してます。なかなか破天荒な監督でしたけど、僕のターニングポイントになった恩人です。

 

悔しかった一言「サッカー選手にやらせる仕事なんてない」

現役の時は辞めた後の準備ってやってなかったですね。ただ辞めた後1年で準備しようと思ってたプランはあったんですよ。フィリピンで、短期留学生を対象とした英語とサッカーが学べるスクールみたいなのをやろうかとちょっとだけ計画したんです。それを初めてのビジネスプランとして動かしていこうと思ったんですけど、チームがなくなっちゃったんでフィリピンに拠点を動かせなくて。今考えるとできたかどうかわからないですね。

 

何かやらなければいけないと思っても、何をやりたいかわかんなくて。下部組織のコーチの誘いも来たんですけど、僕はすごく気を遣っちゃうだろうからちょっと向いてないと思って断って。試合の時って先発の11人選ばなきゃいけないじゃないですか。そうなった時に子供の気持ちがすごく気になっちゃうんで。自分の意見を分からせるって事をできる自信がまだあまりなくて。

 

そんなとき、友達と食事してたらすごいショックな一言があって。友達が「何か働けよ」って言うんで、「サッカー以外の仕事をしたことがないから、何をしたらいいのかが分からない」と答えたら、「でも働かなきゃダメだ」って。その次に言われたのが「でもサッカー選手にやらせる仕事なんてないからな」って。それは悔しすぎて。あれはもう本当に。

 

そういう悩んだり弱ってるときって、なぜか上から被せて、さらにダメ出ししてくる人っているんですよ。でも本人は相手を傷つけようという気は全然なくて、いろいろ指導しているつもりだったと思うんです。

 

ネガティブな言葉こそ受け入れて、自分に何が足りないかというのをちゃんと考えなきゃいけないと思ってるんですけど、でもそのときは何言っても否定されて。マウンティングというか、あれは友達としてちょっと…僕はショックというか。

 

僕は「慰めてくれ」って言ってるわけじゃなかったんですけど、畳み掛けるように説教ですからね。じゃあ何を教えてくれるかって、何も教えてくれないんですよ。ただ単にちょっと言いたいだけで、結局解決策は一切なくて。「仕事やれ」って言って、「やらせる仕事はない」って言われたら、もう何もないですよね。

 

それで最初、ホテル&カフェレストランで働きました。ホステルですね。東京に住むところがなくて、住み込みで働けるところを探してそこになりました。Skypeで面接を受けて、一発OKがもらえて。Jリーグの下部組織のコーチを断って住み込みですよ。泊まっている外国人と和気あいあいとやってましたけど、そこで本当に自分は何もできないと思いました。

 

レストランでオーダー取るじゃないですか。それにまず緊張しましたから。ランチタイムはたくさんの人が来るんで、ぱっぱと捌かなきゃいけなくて。そうしたら、優先順位を見つけてどこをどう動かしていくかとか、そういうのって結構サッカーに似てるなって思って。それで1週間で慣れましたけどね。後はホテルのベッドメイクもしました。効率のいい方法をYouTubeで見て勉強して。教えてくれる人はあまりいないんで。

 

そのころ、知り合いの社長から連絡があったんですけど、僕がそうやって働いていることに「間違った道に行った」と言われたんです。でも僕はサッカー以外の仕事をやったことがなかったんで、新鮮で面白かったんですよ。その仕事をずっと続けていくとは思ってなかったんですけど。

 

だから僕は朝6時か7時に出勤して15時ぐらいに終わって、そこから勉強することにしたんです。したんですけど、何を勉強すればいいか分からない。どういったことを勉強すればいいかが難しい。

 

インドネシアとかフィリピンに行ったとき、未払いなどの金銭的なトラブルが多かったので、お金との付き合い方を考えようと思って。どうやればお金から自由になれるのかとか。そういうことを考えてたんですけど、でもやっぱりよくわかんないんで、いろんな意見や考え方を聞いてみようとたくさんの人に会ってみました。

 

仮想通貨、投資信託、ネットワークビジネス、それから詐欺師みたいな人とか、そういう人たちに会いました。それで、なんとなく免疫がつきました(笑)。どういうことが詐欺なのかもわかるようになって。知識がないとそういうのに騙されちゃうから。

 

ネットワークビジネスの人からは、高級ホテルに呼び出されたんです。その人はずっと高級ホテルのカフェに陣取って、そこへ次々に人を呼んでました。まずその姿勢が違いますよ。「オレの仕事をやってください」って言うべきところを、「オレがおまえたちにこの最高の情報を教えてやる」って上から目線で。それって、仕事の仕方としてはどうなんだろうって。

 

サッカーって、チームがあって味方がいて、そこで自分が助けてもらっているって思わないといけないでしょ。でもそのネットワークビジネスの人って、「オレがお前らに与えてやってるよ」っていう感覚なんです。営業って相手のところに行って腰を低くして「やってください」でしょ。トップは行動と結果を見せなきゃ下はついてこないです。

 

だから本当はその人にとって営業なのに、自分のホームに来させて割り勘なんですよ。そういうのを見て、これは違うぞって。高級ホテルにわざわざ来させて1,000円以上するようなコーヒー頼んで。だからどんな人かも知らなかったけど、あ、伝票別でって即行で言いました。

 

他にも知り合いの会社のアルバイト、日払いのアルバイトを3回、普通の会社勤めをちょっとだけ、アスリート関係の仕事などその他諸々、6カ月半で今までやってない人生経験を一気にやりました。法律上は詐欺じゃないんだけど、何かおかしいビジネス交流会みたいなのに行ったこともあります。

 

知り合いがトップを務めてるセミナーがあって、そこでいろいろ引退後のビジネススキルを教えてくれるということで参加させてもらったんです。ところが蓋を開けたらマルチ商法みたいなマニュアルがあるだけで、ビジネススキルなんて1つもないんです。講習は6時間とか無駄に長いんですけど、学ぶことが少ないし効率が悪くビックリでした。

 

3、4年そこで学んでいるという人たちがいて、どれくらいそのビジネスで稼いでいるのか聞いたらゼロなんです。そんなのおかしいでしょ、ってこっちは思うんですけど、みんな気付かないんです。

 

お金のセミナーとか無料の交流会なんかやってるんですけど、新規が4、5人くらいだけで、あとの10人ぐらいはサクラで。こんなのおかし過ぎだと思って、そのトップの知り合いの人もそこから一切連絡取らなくなりました。

 

そうやっていろいろ経験した中で、1つ言えるのは、お金は簡単に稼げないってことで。簡単に稼げるって言う人はいますけど、それは完全に間違ってます。

 

「人」をいろいろ見てきた中で、今思うとやっぱり仙台で一緒にプレーしてた森保一さんって人格者だったと思います。ホント、すごい人間できてる方でした。

 

今は、知り合いの仲間たちと「カサトレ」というオンラインサッカースクールアプリを立ち上げました。元Jリーガーや海外現役プロに直接相談出来るというのがウリです。

 

それ以外にドクター、スポーツトレーナー、フィジカルコーチ、栄養士、元選手たちのアドバイス、スキルコンテンツ、悩みのQ&Aコーナーなど、自分が子供のころにこんなこと知ることができたらよかったなって思う無料の動画コンテンツを作成してます。

 

小さいころ、父も僕のためにサッカーをいろいろ勉強してくれてたんです。でも正しい情報を見つけるのにとても苦労してました。だからこの「カサトレ」って、子供だけじゃなくて親にとってもいいアプリなんじゃないかなって思ってます。僕はこの仕事をしっかりやろうと思って、オンラインビジネススクールで勉強して、即仕事に活かして、充実した日々を過ごします。

 

家系ラーメンや牛タン、チーズハンバーグが好き

え? いきなり食べ物の話って、なんですかそれ。何が一番好きか…焼肉、横浜家系ラーメンですかね。でも太りそうだから怖いんですよ。あとチョコレートのアルフォート。それも太るから食べるの止めてます。引退して運動しなくなったんで、アルフォートをカカオ86%のチョコとくるみとアーモンドのナッツに変えて、コンビニになるべく行かないように大きな袋のやつを買ってます。

 

横浜家系ラーメンでは2018年に閉店した「六角家」っていうところが好きでした。そこのキャベチャって言うキャベツとチャーシュー、それと横浜ラーメンと、だくだくの汁と海苔とご飯で食べてました。今は渋谷の東急ハンズの横にある町田商店っていうラーメン屋さんもうまいですよ。

 

あと牛タンとカルビが好きなんです。牛タンと言えば仙台駅東口に「牛タン焼専門店 司 東口ダイワロイネットホテル店」っていうところがあって、むっちゃくちゃうまいです。びっくりしましたここは。

 

後はチーズハンバーグが好きです。ハンバーガーのチーズが大好きで。マクドナルドのダブルチーズバーガーとか、ガストの「チーズINハンバーグ」が美味しいですよ。

 

でもね、それは特別なときに食べて。普段は朝はオートミールにして、プロテインパウダーとスキンミルクを入れるとちょっと甘くて美味しいミルク粥みたいになるんですよ。それでアーモンドとチョコとコーヒー1杯です。夜は玄米と蒸した鳥、野菜サラダを作るのは面倒くさいんで、ほうれん草、シメジ、もやし、ネギ、キャベツとか、5種類ぐらい野菜を入れてとん汁を作って、納豆と卵です。

 

ダブルチーズバーガー、アルフォートと家系ラーメンと焼き肉…太りそうですよね。日頃めちゃくちゃ健康的な食事なんですけど、たまにはやっぱり食べてますよ。

 

牛タン焼専門店 司 東口ダイワロイネットホテル店
〒983-0852 宮城県仙台市宮城野区榴岡1-2-37 ダイワロイネットホテル仙台1F
3,500円(平均)2,000円(ランチ平均)
ガスト 銀座インズ店
〒104-0061 東京都中央区銀座西3丁目1番地 銀座インズ1 2F
800円(平均)700円(ランチ平均)

 

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(c)六川則夫

 

大友慧 プロフィール

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鹿島アントラーズユースから2000年、ベガルタ仙台へ入団。サガン鳥栖、横浜FC、FC岐阜などを経て2009年からはインドネシアでプレー。その後、ミャンマー、タイ、フィリピンを渡り歩き、2019年に現役を引退した。1981年生まれ、千葉県出身。

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

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