Jリーグバブル後の交流がいまの財産……フジテレビのサッカー番組を支えた青嶋達也は現場のニオイを重視する

有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回はフジテレビの青嶋達也アナウンサーに登場していただきました。90年代からサッカー中継の実況、「セリエAダイジェスト」「サッカー小僧」などの番組で活躍しマルカトーレ青嶋の異名をとる独特の節回しはサッカーファンにはおなじみでしょう。この記事ではもともとは競馬班だったという青嶋さんが、いかにしてサッカー界と関わりを持つようになったか、中継に臨む前の取材で重視することなどを貴重なエピソードとともにお話いただいております。 (お台場のグルメランチ

Jリーグバブル後の交流がいまの財産……フジテレビのサッカー番組を支えた青嶋達也は現場のニオイを重視する

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Jリーグからなでしこリーグ

Fリーグから女子芸能フットサルまで

どこに行ってもいるアナウンサーがいる

個性派の語り手、フジテレビの青嶋達也アナウンサーだ。

 

試合会場だけではない

Jクラブの練習場で会うこともある

それだけ熱心に取材していても

苦労を感じさせない軽妙洒脱な語り口が持ち味だ

 

だが「青嶋の実況が大キライ」と書かれたこともあるのだとか

そんな非難をどう受け止めたのか

そして何を思いながら語っているのか

言葉を書き起こすと話し方の秘密も見えてきた

 

スポーツ実況に「用意したフレーズ」はハマらない

サッカーの中継をしていると、目の肥えたお客様を中心に、あの人はいろんな言葉を連呼しすぎるとか、実況アナウンサーのテイストなどへの批判はどうしても出てきますね。それは当然だと思います。そういうお客様の声をいただいて、反省して次に向かってよりよいものを、とやらないと、お客様の信頼も得られないし、同業他社にも負けてしまいます。

 

その中でひとつ、私自身が心掛けていて、マイクに向かう同僚アナウンサーにも伝えているのは、「お客さまの好き嫌いにかかわらず、この放送しかないんだぜ」ということです。「そういう責任は全うしよう」と。

 

青嶋の実況が大キライという人もいらっしゃると思います。いろんなところで書かれたこともあります。でも、これはその書き手のご意見なんだから、しょうがない。ただちゃんと伝えるべきことはしっかり伝えて、自分のことがキライだという人に対しても、なんとか90分間見ていただけるように頑張って、さじ加減はしっかりしようと。

 

個性を出しすぎたらうっとうしいだけです。私たちの個性披露番組じゃないですから。目の前のサッカーの魅力がわかって、頑張って活躍している選手たちの輝きが、お客様にちゃんと響いて共鳴し、それこそたとえば、ああ日本代表が勝ってよかった、スッキリしたというのがカタルシスにもなる。Jリーグだったら、自分がサポートしているチームが勝っても負けても頑張っていたことが伝わる。要は選手であったりチームだったりという、ピッチ上の主役たちのことが、しっかりと伝わるのが一番です。それは間違いないです。

 

我々「局アナ」はローテーションでマイクの前でお話しするチャンスが回ってくるのですが、まずはちゃんと「ガイド」として、一歩前でも一歩後ろでもなく、“半歩前”でご案内をするという大前提ができてなかったら、どんなに個性があっても、どんなに人気者でも、失敗だと思います。それがもし仮に「一言切り取ったら名実況」だったとしても、私はプラスのジャッジをしないと思います。

 

名フレーズについてはまた別の論になってくるのですが、いずれにせよ、まずは「ガイド」として、きちんとお客様に「今、こういう試合なんですよ」と、しっかり伝えるのが先決。いま、これがこうなっているということを、次に対する伏線になっているようなこともちゃんと滲ませつつ、専門家である解説者の方のご意見をいただいて、お客様にも考えていただけるスペースを用意して、一緒に楽しめればというスタンスでいます。

 

そういう意味ではサッカー中継は、引きの画面でいろんなプレーヤーが映って、ボールがあって、「今このボールを持っているプレーヤーが誰なのか。それをキチンとプロット(説明)するのが大基本だよね」ということでやって参りました。

 

名前をプロットするときの言い方に、自分の経験や知識は滲むと思います。もちろんラジオ実況だったり、地上波テレビの実況だったり、媒体により滲ませ方に多少の違いは出てくるかもしれないとは思いますが。ラジオだと空間の音だけで伝わらないものを言ってあげなきゃいけない。でも、伝わることは言う必要がないという、ラジオはラジオの難しさがあると思います。ともかく、テレビでもラジオでも、言い方で、どう音にのせるか、どう出せるか。どのタイミングで言うか。詰めて言うか、ヌルッと言うか。

 

CS放送でだと、攻めることもあるにはあります。このチャンネルは、自分と同じようにサッカーが大好きな仲間が、見てくださっているだろうから。ただし、初心者がアンウエルカムということではまったくないんです。「初心者の方もどうぞどうぞ、ちょっとハードルを上げてますけど、もしよろしければどうぞ」という。全員ウエルカムです……。こういうの、ありません? 麻雀とか、トランプゲームだとか、ボードゲームでもいいですけど、「ルールがわからない。だけど見ていて楽しそう」。だったらルールを覚えようとしませんか?

 

あんまり「下げ」すぎると、「上げて」楽しみたい人にうまく釣り合わなくなる。なので、「下げ」すぎないし。「上げ」すぎもしない。多少CS向けに「上げた」のをやっても、そこで「楽しいな、でも初心者でも大歓迎です。ぜひいらしていただきたい」と思ってやっています。

 

昔はね、フレーズを用意してた頃もありましたけど、今はもう止めました。決めておいて作り込んだワードって、実は何かはまらないんですよ。正味な話、噛むんです。用意した言葉は、噛んじゃうんです。

 

もちろんある程度、「ここはしっかり言っておこう」というメモ書きぐらいは作りますよ。冒頭のコメントだとか。ただね、前の日にカッチリ用意するということが、そもそもできない性格なんですが。仮に用意したとしても、その書いたものを持って実況席に座ります、スタンドを見渡しますとなったとき、目の前のことに合わないんです。だから、あるときから止めました。

 

ルヴァンカップの中継は弊社で長く、今でもやらせていただいてますが、その最初のほうの決勝実況を何年か担当させていただきました。ちょうどレッズが初優勝するころ、アントラーズとライバルで。本当にいいところにいられてよかったと、今でもいい思い出なんですが。

 

2002年の決勝戦は「澄み切った、秋の日差しに眩しく輝く、赤と赤です」と実況したのですが、あのときも、その場で目撃して感じたことを、ちゃちゃちゃっと走り書きして、しゃべり出した気がします。なんか、常勝軍団アントラーズの深い赤とレッズのどうしてもタイトルを欲しいという執念がにじむ赤を見て、国立競技場に詰めかけたサポーターの思いをイメージしていったら、自然とそういう言葉になりました。

 

何を準備しても目の前にシーンに負けちゃうんです。ある程度は考えますよ。たとえば競馬だったらこの馬が勝ったらこの言葉が合うのかなって、何カ月も考えたりします。サッカーもそう。この選手がこの苦しいのを乗り越えて、この試合で活躍してタイトルを獲ったら、こういうことなんだろうって、ずっと考えてます。でも言葉を決めるのはギリギリ。その場です。

 

関西テレビOBの、競馬実況の大先輩、杉本清さんの著書の中に、「あぶくみたいにボコッと出る」みたいな表現が書かれた部分があるんですが、とても共感しています。足繁くいろんな現場に行っていると、何か日々、見続ける、接していることで、その試合の場だけだと思いつかない一言が、何かがパチッと目の前の、アスリートの輝く瞬間に出くわしたとき、「ポコッ」と出てくるような気がするんです。その「ポコッ」を逃さないで言えるかどうかが、我々の勝負です。

 

名実況かどうかはお客様が決めることで、我々が決めちゃいけないんです。いいことを言おうとしちゃいけない。それはもう止めました。だって実況アナウンサーなんてどうだっていいんだもん。いや、もちろん、ちゃんとやりますよ。ちゃんとやりますけど、あくまで主役はアスリートだし、試合ですから。

 

Jリーグバブル後にできた交流がいまの財産

フジテレビは、実はもともと、サッカー「コウシンキョク」だったんです。マーチの行進曲じゃない、後進局です。大昔は不定期で年間数試合の放送があった程度。Jリーグが開幕した1993年も私、なんちゃってニュースキャスターだったもんですから、初年度は直接そんなにJリーグの放送には関わってなかったんですよ。2年目からなんです。「ドーハの悲劇」も、東京都新宿区河田町の旧社屋の報道センターで、自分ニュースの本番が終わった後で見ておりました。

 

出身が静岡県浜松市だというアドバンテージはあったかもしれません。サッカーをやっていたわけではないのですが、見てはいましたから。あとは、「たまたまご縁」としか言いようのない部分がある気がします。私の元々の方向性として、水前寺清子さんの歌じゃないですけど、「人のやれないことをやれ」。逆張りで、損することもあるかもしれないですけど、自分にしかできないことをすれば、そこにパッと広がる可能性があるかなっていうことも、うっすら考えてまして。

 

当時のサッカーなんてまさにそうで、Jリーグバブルはドカンと来ましたけど、バブルの後に去って行った人もたくさんいらして。でも自分は去らずに、しぶとくサッカーの現場に居続けた。その最初にブームが冷めたとき、継続していろいろ交流を持たせていただいたことで、今の財産が得られたように思います。たとえば、アントラーズ、ジュビロが強かった時代がありましたね。Jリーグバブルが去ったその後に、あの2強が来て、アジアの戦いに乗り込んでいって、まだACLという名前になる前の時代ですけども、あのころ選手だった方たちには、みなさん、今でも親しくしていただいてます。

 

今もどうにかこうにか、いろんな現場に行きますが、さすがに若い世代にキャッチアップするのが大変になってきました。それでも現場に行くようにしてますけど。この前もルヴァンカップの自分の実況担当があったんで、浦和の大原の練習場におじゃましてきたばかりです。ユース出身でトップに上がった荻原拓也さんと、橋岡大樹さん、お2人にも話を聞きまして、なんとか顔は覚えていただいたんじゃないかと思います。

 

実は去年7月から私の役割もちょっと変わって、スポーツアナのマネジメントと育成に、自分のリソースの9割を使わざるを得なくなりました。自分のための取材と実況は、それこそ残り1割のリソースでやんなきゃいけない。でも、絶対現場も続けさせてくれということを会社にお願いして認めてもらっているので、外に出られるんですけども。その1割が楽しいもん。「9割」の管理業務も大変だけど、楽しくなくはないですよ。やり甲斐はありますから、誇りをもって頑張っているつもりです。

 

今はスポーツソフトが増えて、局に所属するアナウンサーは忙しくなってきました。弊社の場合でもフジテレビの地上波があって、BSフジがあって、CSの「フジテレビONE・TWO・NEXT」、さらに関連でネット配信「ワンスマ・ツースマ・ネクスマ」もあります。さらに、弊社のアナウンサーも公式実況を担当しているBリーグなど、多岐にわたってるんです。そうすると、スポーツ中継だけでも業務量がなかなかです。

 

やっぱり現場に行かないと発見がないですね。そういえば、ご同業の、新聞記者の方たちだったり、ネット媒体で活躍しているライターの方だったり、専門誌の方々もいますけど、「書き手」である彼らと、われわれ「しゃべり手」とでは、実は取材のスタンスが、微妙に違うんです。

 

記事を書くのがメインの目的である彼らは、まず選手の談話をしっかりとメモし、要所を書き漏らさないようにし、それぞれのジャーナリスティックな視点を出しつつ、情報を読者とシェアする。それに対して我々「しゃべり手」の場合は、談話も情報ももちろん必要なんですけど、あくまで私の場合はですが 基本的に、あえて談話のメモは取りません。

 

細かい一字一句の談話の文言よりも目の輝きだとか、こういうニュアンスでこの選手はこれを言ったというのが大事、と考えるからなんです。あともう1つは「ニオイ」を嗅ぎにいく。あ、もちろん、選手がつけているいい匂いをカギにいくとか、そういうことじゃないですよ(笑)。現場の空気感で、今このチームは本当にうまくいっているのか、うまくいってるってみんな言ってるけど何か違うよねという、ニオイです。だから各チームの練習取材も、行けるときはなるべくお邪魔するようにしようと思ってます。

 

「この選手、声でてるな」とか「この選手、いいのになんで使われないのかな」とか。これやっぱり練習場でご覧になるサポーターの方も、それを見たくてご覧になってると思うんですが、たぶんそれと一緒だと思うんです。

 

ヨコシマな考えからスポーツ実況を志望

私、これまでそんなに辛い場面がないんです。無理難題はそこそこ乗り越えて来ましたけど。

 

入社したのは1988年です。お台場が影も形も無いころで。のちに長くサッカーを担当するようになったのですが、今にして思えば、サッカーに関してそんなにのめり込んでいたというのはなかったですね。現に自分がプレーしていたのはバスケットボールだったし、それも途中で挫折しちゃってるので。だから、そんなにスポーツで誇れることは、自分が若いころにやってきたかというと、まるでなかったんです。

 

アナウンサーにはなりたかったので、六大学野球の現場に行って、神宮球場のバックネットの上の方で、他校のそういう志を持った人たちと隣り合わせで、ラジオ実況のまねごとみたいなことをやった経験はあります。なのに野球中継はやってないんですけどね。人生ってわからないもんです。

 

必ずしもスポーツを志向していたわけではないんです。どちらかというと、バブルの時代の学生なんで、なおのこと、とんでもなく生意気だったと思うんですけど、何か作りたいという一心で。それこそジャンルは何でもいいという部分もあるんです。たとえばライブハウス、それも「ここはどこだ?」っていうところに足繁く通って、誰も見つけていないアーティストを発掘したりというのには、今でも興味があるんです。本当は歌舞伎も好きなんですけど、長いこと見られてないんですが。

 

そんないろいろな側面がだんだん集約、収斂(しゅうれん)されていったのは、スポーツ実況のスキルを持っていれば、アナウンサーとしてたぶん生き残れるだろうなっていう、ヨコシマな考えです。アオシマですけど。

 

入社試験の時に「スポーツやりたい」って言っておいたら、たぶん採用してくれるんじゃないかって。もう30年前の話ですから時効だと思うんですけど、「入っちゃったらこっちのもんでしょう」って。入れると思ってなかったんですよ。現にフジテレビの試験の前に、同じ年に同じラジオ局に3回落ちるという経験をしています。もともと、ラジオの仕事をやりたかったんです、本当は。テレビで30年過ごしてしまったんですけど。落ちたのって? ニッポン放送です(苦笑)。

 

落ちたので、当然どんよりしていて、でも当時はとにかくラジオの仕事がやりたかったんで。そこから立ち上がって地方のラジオ局の就活に励もうってところで、たまたま受けたフジテレビ。手応えはよくなかったし、なかなか電話がないから、「あ、これはこの時点で電話がかかってこなかったらダメだな」って思って、当時の仲間と飲んだくれて、渋谷センター街の土になり、グタグタになって家に帰ったら、家の電話が鳴って。

 

せっかくフジテレビに入れたのと、元々アナウンサーとして長くやっていきたいという中で、競馬実況みたいな特殊なスキルを身につけておけば、まぁ間違いはないだろうと。もちろん、他のスポーツでもスキルは必要なんですけども、で、なおかつ競馬中継を長年放送しているフジテレビにラッキーの連続で入ってしまったので。ということで、アナウンス部(当時)に配属されたあとにダメモトで、「競馬をやりたい」と言ってみたんです。すぐ上に近い年次で競馬中継を始めている先輩が2人もいて、もはや空きはないかもしれないと思ったのですが、当時の上司が非常に寛大な方で、競馬班に入れてくれまして、で、今に至っています。

 

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伝説の番組「セリエAダイジェスト」の裏側

1994年から2003年まで深夜に放送していた「セリエAダイジェスト」での「マルカトーレ青嶋」はもう、バカですね、フジテレビって。当時の担当プロデューサーが突き抜けていた。スタッフも、制作に限らず技術の人も、みんな突き抜けていたという。あんな深夜番組なんですけどね、いまだにあの番組を見ていたという人に声をかけてもらって。いいんですか、あの番組を見てたあなたって、私と同じバカですよ、ホントにいいんですか、っていう。うれしいですねー。これは財産です。

 

まだあの時代って、こんなに衛星だのネットだので、海外サッカーがそこまで見られる環境じゃなくて、セリエAはWOWOWとフジテレビしか放送がなかったんで。

 

そんな中で、私が当時はまだそこまで海外サッカーに精通してなかったので、選手のキャラクター付けを、ナレーションを通じてやっていくことにしました。本物にちゃんと合う形で、サッカーの本筋から外れないよう、芯をちゃんと食っといて、でもクスッと笑えるキャラクターを付けていったら、これもヨコシマなんですけど、自分も選手のことを覚えられるなと。そのへんから始まったんです。

 

加部究さんの存在が大きかったと思います。サッカーライターの大御所が、うちのあの番組のために、ちゃんと私に合わせてナレーションを書いてくださるんですよ。で、それを私がさらに崩すんです。するとそれにキャッチアップしてあの硬派で正統派な加部さんが、それに合った次の週の原稿を書いてくださって。なんて失礼なことをしてきたんだと今も思っているんですけど。

 

加部さんの長年の見識だったり、硬派な筋の通った見方が、番組に芯を通してくださったと思います。そこから外れちゃったら、ダメなものはダメなんだろうなって。ちゃんと芯を通しながらという線を狙ってたんですが、クリスティアン・ヴィエリはいつも唸り声だけって、あんなことになってしまい。でも、あんなプレーヤーだったでしょう?(笑)

 

週末のスポーツニュース「S-PARK」も、新しいチャレンジを始めています。うちの若い後輩たちがガンガン現場取材に行ってますので、またご支援をいただければ幸いです。で、私が今一番困っていることは……視力が落ちました(笑)。ナイトゲームが辛い。笑わないで。切実なんだもん。

 

日本サッカー協会近くの肉屋さんのコロッケが好きだったけど…

ノドを守る食べ物って何かってよく聞かれるんですが、私、ノド強いんです。記事にならない答えですね(笑)。甘いものはとても大好きですが、それもノドのためではないです(笑)。

 

ただ1つあるのは、プロポリス。ミツバチの蜂蜜の成分のプロポリスが多く含まれているキャンディーは常用しています。ドカ買いしておいて、いつも必ず1パックは持ち歩いてます。これは危ないなっていうとき口に含むんですが、結構ノドに刺激がチクチクあるんです。コンビニなどの菓子売り場にあるプロポリス成分が入ったアメとは違うらしくて、結構キツいんです。それでピンチを乗り越えたことは何度かあります。

 

試合に行ったとき、スタジアム内で買い物に行くというのはなかなかできないのですが、とあるスタジアムの、最寄り駅じゃない駅前の、コロッケを楽しみにしています。コロッケ好きなんですよ。店の名前は言えないんですけど。

 

日本サッカー協会の近くにも肉屋さんがあって、そこのコロッケも好きだったんですけど、店自体はいまもやってるんですが、コロッケを揚げて売ってくれるのは、どうも止めちゃったみたいなんですよ。楽しみにしてたんですけどね。再開してくれないかなって、店の前を通るたびにそーっといつも見てるんですけどね。

 

昼食はだいたいいつも社内の食堂です。上のフロアには社員と、お客様にも使っていただける食堂があります。会合やパーティーにも使える場所ですね。残念ながら一般の方は入れないのですが、働くわれわれにとって、いいコミュニケーションスペースになっています。それこそグループ代表や会長、社長といった経営陣も、普通に来られますし、そこでわれわれ従業員と普通に話をしています。社員食堂は下の階にもあって、そこはタレントさんのクロークや楽屋、メイクの場所がスタジオ回りにあるんですが、その並びにもうちょっとカジュアルな食堂があるんです。基本はその2カ所ですね。あとは湾岸スタジオにもあります。

 

そこで食事を取ることがどうしても多いですね。私の部署だと、近い上司や後輩と、一緒に食事をしますね。あとはもちろん近隣の商業施設やホテルに足を伸ばすこともあります。

 

食事はいろいろ話をしながらのコミュニケーションの場でもあります。だいたい40分ぐらい時間をかけて食べますが、時折訪れる、“そうじゃない「エクストリーム」なとき”は食事の時間なんか取れないですよね。そうすると、社内にあるカジュアルなコンビニでパンと牛乳を買ってきて、自分のデスクに戻って頬張りながら仕事に励むという、どこの会社にもある光景ですよね。30年間勤務したらもうちょっと楽になるのかなーと思ってはいたんですが。

 

食べるのは定食もの中心ですね。よくしたもので、食堂と同じフロアに健康相談室があるのですが、そこのドクターが監修したメニューがあるんです。カロリー計算や栄養管理がされているような。食堂自身もそこを考えたメニューを出してくれます。サラダバーもあるんですよ。ただ、そんなに特別じゃなくて、普通といえば普通です。

 

リッチなメニューもあるのですが、社員割引があって、だいたい一食600円ぐらいですかね。普通の社食ですが、眺めは壮絶にいいんですよ。レインボーブリッジを眺めながら。ただ、「都心はあっちなのか」って、臨海副都心から(笑)。

 

私が好きなメニューは、「バランスランチ」です。中身は毎回違うんですが、雑穀米を使って、白米がオプションで、ちゃんとお惣菜なんかも出てきて、栄養バランスが偏らないように一通りのものが食べられるようになってるんです。それが600円ぐらいです。もうちょっと値が行くときもありますが、結構バラエティに富んでるんで、そのバラエティに乗っかっています。

 

これって店名出せなかったから、「ぐるなび」的には困りますか? ごめんなさい。

 

青嶋達也 プロフィール

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1988年、フジテレビに入社。競馬やサッカーの実況を長く担当する。

サッカー番組ではセリエAの実況や、「セリエAダイジェスト」「サッカー小僧」などを担当。マルカトーレ青嶋という異名でサッカーファンにも親しまれている。
1965年生まれ、静岡県出身

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

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