加藤好男氏は日本代表GKコーチとして激動の時期を過ごした
就任して2年でイビチャ・オシム監督が倒れ、
次に就任したのは自分と同期で古河電工に入社した岡田武史監督
指揮官が交代しただけではない
2010年南アフリカ・ワールドカップメンバーを前にして
川口能活は負傷しており楢崎正剛のバックアップは経験が浅い
そんな苦しいときに起用された川島永嗣が活躍し
そのまま正GKの座を確保することになった
その川島が育つ過程も加藤氏は見続けていた
今はJFAアカデミー福島のGKコーチとして
静岡県御殿場の時之栖で後進の指導にあたっている
加藤氏は次の日本を背負うGKをきっと育ててくれるだろう
デビュー戦で5失点 次の試合からベンチ外へ
私は日本リーグに入った年から5年間で5試合しか出られなかったんですよ。
あまりにも高校、大学と順調すぎたんです。高校は1年から試合で使ってもらって、高校選手権には1年生のときも3年生のときも出してもらって。大学も1年からずっと使っていただいて、関西学生代表、ユニバーシアード日本代表、日本代表候補って、階段を駆け足で登っていた感じで。それで、1980年に鳴り物入りで古河電工に入って日本リーグの1年目に大きな壁にぶつかりましたね。
当時、「日本代表学生トリオ」って言って、古河電工の新人5人の中に日本代表が3人いました。1人は田嶋幸三、今の日本サッカー協会会長、もう1人は岡田武史副会長で、もう1人が私でした。他にも日本リーグで2度の得点王に輝て日本代表にも入る吉田弘なんかも一緒で。
運悪くというか、私のデビュー戦は古河電工が最も苦手としている東洋工業だったんです。そこで5点ぶち込まれちゃったんですね。すると次の試合からメンバーを外れて、ベンチにも入れなくなって。それからもうずーっとです。そのときはメチャメチャ苦しかったですね。毎日200本、300本、雨あられのシュートを受けるわけですよ。その中で試合に出られない。つまり認めてもらえない苦しさというか。
試合に出られない自分の役目って、毎回ビデオ撮りなんですよ。控えにも入ってないんで。アウェイにチームが行ったときは、次の対戦相手のビデオ撮りをしてたんです。するとスタジアムで私を見つけた人から「日本代表選手がなんであんなところでビデオ撮ってるの?」とか、「なんで試合出てないの?」とか、よく言われました。そのときはキツかったですね。
当時、雑誌では「新人が大量点を取られたからといって責任を取らせるのか」という声がありましたし、古河のOBの方の中にも監督に対して話をしたりとか、そういうのがあったみたいです。ただ自分にとってはベンチからも外れていたことがよかったと思います。ビデオを撮ることで、サッカーを見る目だったり、分析だったりをかなり身につきましたからね。まぁ40年近く前ですからね、今だから言えます。
そのときがあったから、試合に出るためには何が必要なのか、自分には何が足りないのか、他の選手のプレーを分析したり噛み砕いて見られるようになったと言えます。それまでは「より早く」「より強く」「より高く」とか、そんな理想を追い求めて、地に足を付けずに上を目指そうとやってましたね。
当時の監督さんもどうやって私を自信回復させようかとか、すごくいろんなことを考えられてました。当時今でいうサテライトリーグみたいなヤングフットボールリーグというのがあって、そこではどんどん使ってもらってたんです。それで優勝したりしてました。
それで1年1試合のペースでリーグ戦に出て、あとはカップ戦には使ってもらったりしてました。試合に使ってもらえるようになった1986-87シーズンのJSLカップでは優勝もしたんです。でも日本リーグとなると、のちにジェフの社長になった淀川隆博さんや、日本代表の佐藤長英さんがいらっしゃって、なかなかチャンスがなかったですね。
今のJリーグを見ててもそうなんですけど、30代のGKがJ1の18チーム中、半数以上いますよね。これは若い人が成長してないのか、成長スピードが遅いのか、あるいはGKというポジションは、30代がいいのかという話だと思います。
GKは30歳ぐらいになったときに、いろんなことがわかって、見えてきて、そしてまだ体も思い通り操作できる。だからだいたい28歳から30代前半ぐらいが、一番体の無理が利いて、サッカーの理解力とともフィットする感じかもしれないですね。
GKは、一度監督の信頼を勝ち得ると長く使っていただける機会があります。けれど逆に言うと、信頼を損ねると大変なんです。私は監督に「3試合我慢する」って言われたことがあるんですよ。
自分が試合に使ってもらって0-1で負けるとしましょう。クリーンシート(無失点試合)を達成するという目標のために試合に出るGKにとって、0-1というスコアは非常に屈辱的なんです。すると次の試合をまた落とすようなことがあると、もう3試合目は保証されてないんです。GKってそういうプレッシャーをすごく感じながらやるんですよ。
3試合連続で失点したGKは、3試合続けて無得点というFWと同じ扱いじゃないですね。GKは一度外されるとしばらく戻ってこられませんから。そうなると、自分のチームがボロ負けしてしまうとか、他のGKが負傷するとか、そういうところしかチャンスというのが回ってこないという、ネガティブな考え方になってしまうんですね。
でも、1年、2年経って僕はまったく違うことに注目したんです。それは栄養でした。最初はトレーニングをやることで克服しようと思ってがむしゃらにやってたんですけど、あるときふと「これでトレーニング効果あるのかな?」って気づいたんです。
1回腕立て伏せするのにも、その腕立て伏せをどういう角度でやったらいいかとか、どういうスピードでやったらいいか、どういう呼吸法でやったらいいかとか。そこにこだわり始めたんです。そうやって一生懸命体を鍛えていく中で、「ちょっと待てよ、オレ栄養どうなってるのかな? 食事どうなってるのかな?」と思って。今度は食事の改善に向かいました。
そこでコンディションを維持するのに何が大切なんだろうって、いろんな本を漁ってました。するとあるとき、血液生化学検査を受けて、血液の数値を調べることで栄養をうまく摂れるんじゃないかと気付かせてくれた本があったんですよ。
それは1984年のロサンゼルス五輪のときのアメリカの栄養士、ロバート・ハースが書いた本で、講談社が出した「食べて勝つ」って本でした。著者はアメリカのオリンピック委員会の栄養の先生でしたけど、日本版の監修された方が女子栄養大学の小池五郎教授でした。
それで私は小池先生のところを訪ねて、直接話を伺って、教えていただいたことを実践していったんです。そうしたら案の定、どんどん数字が変わってきた。食べ物の摂り方一つでコンディションがめちゃくちゃよくなったんですよ。そのおかげで今までにない集中力と、体の動きを取り戻したときに、常時試合に出られるようになったんです。そうしたら1986-87年のアジアクラブ選手権に出て、古河初のアジアのタイトルを獲ることができました。
高校1年生の川島永嗣に感じた才能
私がイビチャ・オシム監督から岡田監督という、あの時期に代表に関われたというのは、すごく幸運でした。3大会連続でワールドカップを経験している川口能活選手と楢崎正剛選手という2人は、サッカーに取り組む姿勢だったり考え方だったりが、しっかり確立されてましたから。自分が彼らに何をアドバイスして、どう指導してあげたらいいか悩むくらいでした。
だから自分としては、この経験ある選手たちを、いかにいいコンディションで日々のトレーニングに向かわせ、かつ、いいパフォーマンスが得られる状況で試合に送り出すのが当時の使命でした。川島永嗣選手も競争力の高い選手で、川口選手や楢崎選手のいいところを盗んで自分の物にしようという姿勢がすごくあったので、仕事をやってて楽しかったですね。
川島永嗣選手は試合に出るまで長くかかったと思います。最初にJリーガーになったアルディージャでなかなか出番に恵まれず、移籍したグランパスには楢崎選手がいた。フロンターレに入って代表デビューしたけれど、代表には川口選手と楢崎選手がいて、この2人がケガをして出番かと思ったら、都築龍太選手が招集されて試合に使われた。
私が川島選手と初めて会ったのは、彼が高校1年の時です。ちょうど中学から高校に行くときに、当時浦和東高校の野崎正治監督から連絡をもらいました。「実は才能のあるいい選手が今度うちに来てくれるんですけど、GKコーチがいないので、一回チャンスがあったら加藤さん見てもらえますか?」って。実は野崎先生というのは、ユニバーシアード日本代表で一緒に戦った仲間なんですよ。僕が4年の時の1年で同じ部屋だったんです。
その関係で、当時コーチをしていたジェフの練習に一回呼びました。ちょうどGK教本を作っている時期でもあったんで、じゃあ川島選手をモデルにして作ろうってことになって、それからは機会があるごとに彼を呼んでたんです。GKコーチを育成するための「いろはのい」からのモデルに彼を使ったんですよ。
そのことによって川島選手はサッカーの基礎の部分を、自分で実際に動いてプレーして学べたと思うんですね。それに彼は努力家でもありました。最初に会ったときから、右足は素晴らしいキックを持ってたんですよ。ところが左足がまったく蹴れなかった。
だから「宿題」として、「今度来るときまでに左足でまずボールをミートして、しっかり蹴られるようにしろ。助走一歩でミートするところから練習して少しずつ距離を伸ばせ」と言っておいたんです。すると次に呼んだときには、もうしっかり左足で35メートル、40メートル蹴られるようになってた。
だから「この選手は学習能力も高いし、取り組む姿勢もすばらしい。宿題を出して2、3週間後に見たときには、すでにそれが成果として現れるタイプ。間違いなくこの子は伸びる」と思ったんですよね。それからGKプロジェクトとかナショナルキャンプで各年代のGKを集めるときなんかに彼を呼んでたんです。
川島選手は若いころにも大変だったときがあると思います。
U-18日本代表は、川島選手にとってラッキーだったんですよ。川島選手は1983年の早生まれだったんで、他のGKより学年が一つ上で、先にプロになってたんです。ところがそれがあだになった。
静岡のSBSカップにU-18日本代表を呼んだときに、3人のGKのうち、1人を落とさなきゃいけなくなりました。ところが川島はアルディージャに入ったばっかりで、ほとんどトレーニングがされてなかった。試合形式の練習ではまったく使ってもらえないという状況で、判断がすごく悪い時期だったんですよ。それで僕は一学年下の選手たち2人を選んで、1学年上でかつプロの川島を落とさざるを得なくなったんです。
最終的に落とすとき、彼に言ったんですよ。「現時点では残念ながら試合感覚とか落ちてる。だからこの状況では、プロだからとか学年が上だからということで選べない」と。それから「これから練習するときも自分がゲームに入ってる意識の中でトレーニングをしてほしい。もし自分の前にDFを付けたトレーニングがあるんだったら、それを試合のイメージの中でやってほしい」。
そんな宿題を出して落としたんです。たぶん、彼にとってすごい屈辱だったと思います。でも川島選手は次に戻ってきたときにすごいよくなってたんですね。彼はいろんなものをバネにできるんです。
川島選手は自分で自分に課すノルマをつくって、それを一つひとつクリアしていけるんです。そういう選手って意外に珍しいというか、少ないんですよ。自分の持ってる能力だけでプレーしてる選手が多くて。でも、それだと先々は難しいですね。
そういう意味で彼は本当に順調にステップを踏みながらサッカーの理解力を高めていったし、自分が扱える範囲も広げていったし。最初は胸のところに来るボールのキャッチングでもファンブルばっかりだったんですけど、「力の入れ抜き」「呼吸を考えろ」というキャッチングの指導をしたら、見る見る吸収していきましたね。
キャッチの集中力は凄いですよ。川島選手は手の大きさが他のGKに比べて1関節ぐらい小さいんです。そういうディスアドバンテージがあるけど、彼はそれを克服するためにキャッチに対する凄いこだわりを持ってトレーニングしてるんです。
ヨーロッパのGKのグローブってサイズが11号とか12号とかで、日本人はだいたい10号とか9号とか、人によっては8号というのもあるんですね。そうなるとボールは直径22センチですから、手全体でつかむときに、やっぱりハンディがあるんですよ。そういうのを克服してるんです。
他にもゲームに向かう姿勢だったり落ち着きなんかは、だいぶ成長してますよね。今はいつも平常心で試合を戦える姿を見て、また一回り成長したと感じてます。
川島抜擢の大当たりには岡田監督も驚いた
2010年南アフリカ・ワールドカップの前のイングランド戦の前に話し合いがありました。GKはいつもどおり楢崎選手で臨むべきか、大会中に楢崎選手がケガをしときのことを考え、川島選手を使うべきか。ただ川島選手には、それまでほとんどチャンスを与えていませんでした。
どちらの選手で行くか協議して、最終的には岡田監督の決断で「よし川島でいこう!」ということになったんです。そうしたらウェイン・ルーニー選手のシュートを防いだり、フランク・ランパード選手のPKを防いだり。岡田監督は本当に驚喜してました。
あのときイングランドのGKコーチはレイ・クレメンスさんで、現役時代はイングランドの名GKでしたし、僕の最初のコーチングコースのインストラクターだったんですよ。
だから川島選手のルーツはクレメンスさんがつながるでしょうね。イングランドは、FA(イングランドサッカー協会)に真っ先にGK部門をつくったんですが、そのとき真っ先に推進したのがクレメンスさんですよ。
その下にマーチン・トーマスさんという方がいて、その人がいろんなコーディネートをしたんです。アジアサッカー連盟(AFC)にGKのいろんなコースを設けたのもクレメンスさんとトーマスさん。私が2004年からAFCのインストラクターもしてるんですけど、一緒に活動してます。
今の日本代表には他にもいろいろ一緒に戦った選手がいます。2003年UAEワールドユースでは川島選手と一緒でしたが、2005年オランダ・ワールドユースでは西川周作選手と一緒でした。2007年カナダU-20ワールドカップ(ワールドユースから改名)は日本代表のコーチだったので行けなかったのですが、アジア最終予選の準決勝までは同行していて、そのときは林彰洋選手がいましたからね。世の中、いろんなところでつながりますね。
GKの難しいところは、コーチによっていろんなやり方があるから、コーチが違うとトレーニングがすっかり変わるということです。私が日本代表のGKコーチだったときは選手たちのルーティンを大事にして、彼らがトップパフォーマンスを出せるようにと考えていました。
ですから、Jリーグの試合を見に行ったとき、代表選手たちのウォーミングアップを全部チェックしてたんですよ。どういう順番で何をしてるか。最後にキックをやらせるのか、スプリントをやらせるのか、ダイビングはどうしてるかとか。
それぞれチームによってやり方があって、それをできるだけリスペクトして、代表に来たときは彼らが自分のクラブにやっているのに合わせた練習をやってたんです。他にもクラブに練習を見せてもらって、どういうことをクラブでやってるのか調べて、代表に来たときはできる限りそれを崩さないように。
若いころは自分のやり方を押し付けようとしてました。でもそれは結果としてうまくいかないんです。自分のクラブでは南米のGKコーチが指導して、代表ではヨーロッパのGKコーチが指導して、どっちのコーチも自分が正しいと思ってやると、GKは混乱するんですよ。だからクラブを尊重しつつ、少しずつ代表で求められることもできるようにという取り組みをしてました。
また今、GKにはどんなプレーが求められるかということは変わってきています。FIFAも発表したのですが、ゴールに近いところからのシュートが多くなってきてるんですよ。それはオフサイドルールの解釈の変更があったことに関係しています。
昔はオフサイドポジションにいればオフサイドでした。今は、「パッシブオフサイド」と言ってオフサイドのポジションにいるだけでは反則になりません。ボールに触ったりプレーに関与したらオフサイドということなんです。でもDFはどうしてもオフサイドポジションにいる選手が気になります。するとラインを下げるんです。
そこでGKに2つのことが起きます。一つはボールディフレクション、つまりDFや近いところにいる選手にボールが当たって方向を変えて飛んでくることが増える。そのためリアクションセーブを必要とするプレーが要求されるんです。もう一つは至近距離からのシュートが増える。そんな状況に対応するため、世界中のチームが取り組んで、GKにいろんなブロッキングなんかを教えてるんです。
だからサッカーのGKは、フットサルだったりハンドボールのGKのようなことをトレーニングするようになりました。それはペナルティエリアの外からの得点率が下がってるからなんです。
たとえば2014年ブラジルワールドカップでは全部で171本のゴールが生まれました。2010年南アフリカワールドカップでは全145本のゴールのうち、ペナルティエリアの外からのシュートが26ゴールです。ところがブラジル大会では、ゴール数が増えているのにペナルティエリアの外からのシュートが決まったのは18ゴールと減っているんですよ。
つまりペナルティエリア中からのゴールが増えたんです。それにどう対応するかというのが、今GKのトレーニングとして流行ってます。
ただ、私たちは常に先を読みながら分析しています。これから5年後、10年後には、ペナルティエリアの中からのシュートへの対応はうまいけど、エリア外からのシュートへの対応が苦手な選手というのが出てくるだろうと思ってるんです。GKに近いところからのシュートには強いけれども、ミドルシュートが来ると急に判断が悪くなったり、体がスムーズに動かないということが起きたりするでしょう。そうならないためには何をすればいいか考えているんです。
サッカーって常に止まらず進化していますし、ルールや用具が変わったりすることで起きている現象があります。南アフリカワールドカップのときは、無回転ボールが流行りました。あそこは標高1500メートルから1600メートルの空気が薄いところだったのでボールの軌道が非常に読みにくいという環境でしたよね。
ところがそのあとボールに改良が加わり、少し空気抵抗を得られるようになりました。ですが一つ言えるのは、FIFAサイドはよりエキサイティングなフットボールを、つまりよりゴール前の攻防が多い試合を望んでるということです。それってGKにとってはどんどん過酷になっていくということです。
GKは失点されたときクローズアップされちゃうんですけど、本来はセーブを得点を入れたときと同じぐらいの評価をしていただきたいと思ってます。川口選手や楢崎選手と話をしたとき、1ゲームに、これはというピンチは3回から4回しかないと言ってました。それを止めるかどうかで、「グッドGK」と言われるか「バッドGK」と言われるのかの差があるわけです。相手のワンチャンスを確実に潰す。確実にピンチを防ぐ。それは1得点取ったことと同じ重みがある。そういう理解をぜひしていただきたいですね。
中性脂肪が高いと動きがシャープにならない
食事で体を変えるというために注目する数値があります。たとえばコレステロール値。しかもコレステロールの中にも善玉、悪玉がありますよね。コレステロールを抑えつつ、hdlというタンパク質は高くしなければなりません。そのためには栄養素をしっかり理解して食事をしなければいけないんです。
低カロリー高タンパクな食事を摂るというのはみんな理解してるんですけど、それだけじゃなくて、いろんなバランスが重要なんですよね。単純に言えば、200グラムの肉を食べたら200グラムの野菜も摂る。でも200グラムの野菜ってどんなものってみんななかなかわからない。200グラムの肉は普通のスポーツ選手だったら「ぺろり!」ですけど、200グラムの野菜ってかなりの量ですから。それも生でとるのか、調理するのか。調理すれば調理損失があります。ビタミンなんかが抜ける場合もありますから、そういうことまで気を遣って食事します。
中性脂肪値が高くなるというのは、スポーツ選手にとってかなりマイナスなんです。動きがシャープにならない。そんなときは食べ合わせを気を付けるといいと思いますよ。自分が注意してたのはミネラル、ビタミンをちゃんと摂るということ。意外に不足するのがビタミンEでした。アルファ・トコフェロールというんですけど、これは取りづらい。胚芽に含まれてるんですけど、精米された米からは取られてしまいますから。
ビタミンEを取ろうと思ったらアーモンドとかピーナッツがいいと思います。ほんのちょっとしたナッツ系とかすごく重要になります。ただ、ナッツには脂肪もたくさんありますからそこは要注意ですね。米は、五穀米だとか強化米を入れたりとかしながら工夫して食べたほうがいいでしょう。
自分たちが今活動してる、この「時之栖」界隈では蕎麦屋さんがいいですね。ここは蕎麦の実が栽培されてて、ここのあたりの蕎麦屋さんはどこにいってもおいしいですよ。私は御殿場にある、「遊季庭かわ嶋」っていう店がいいと思います。こちらにいらしたら、ぜひ行ってみてくださいね。
加藤好男 プロフィール
大阪商業大学卒業後の1980年、古河電工に入団。1980年~81年には日本代表にも招集された。
1993年に現役を引退し、指導者へ転身。ジェフや育成年代日本代表のコーチを歴任し2006年から日本代表GKコーチ。2010年W杯後はタイ・チョンブリFCやタイ代表のGKコーチを務め、現在はJFAアカデミー福島で指導を行っている。
1957年生まれ、埼玉県出身
取材・文:森雅史(もり・まさふみ)
佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。