あの時、ケガをしなければ…伊東輝悦が語るトルシエ監督と2002年の記憶

1998年のフランスW杯ではメンバーに選ばれつつも試合では出番がなく、2002年の日韓W杯では直前でケガをして悲運のメンバー落ちを経験した伊東輝悦選手に、トルシエ監督や日本代表について語っていただきました。今年からブラウブリッツ秋田でプレーする意気込みと清水出身(現静岡市)の伊東選手が愛するグルメについても話していただいております。 (静岡市のグルメランチ

あの時、ケガをしなければ…伊東輝悦が語るトルシエ監督と2002年の記憶

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1996年、伊東輝悦は日本サッカーシーンの主役の1人に躍り出た。

 

28年ぶりに出場したオリンピック、U-23日本代表は初戦で優勝候補のブラジルと対戦する。全員23歳以下で挑んだ日本に対し、五輪初制覇を狙うブラジルはA代表のマリオ・ザガロ監督以下、ロナウド(登録名はロナウジーニョ)、ロベルト・カルロスなどに加え、オーバーエイジ枠でベベット、リバウド、アウダイールという主力を加えた豪華布陣だった。

 

だが、日本は徹底的に戦い抜き、ブラジルにゴールを許さない。すると迎えた72分、路木龍次のクロスがGKジダとアウダイールが交錯するというミスを誘う。ゴールに向かってコロコロと転がるボールを蹴り込んだのは、ボランチとして守備に奔走していたはずの伊東だった。

 

結局、その伊東のゴールが決勝点となり、日本は「マイアミの奇跡」を起こす。

 

伊東はその後、所属する清水エスパルスでも主力の1人として活躍した。そして1998年、ワールドカップに初出場する日本代表のメンバーに滑り込む。

 

だが、初めてのワールドカップは伊東にとって辛い思い出になった。フィールドプレーヤーで出番がなかったのは、伊東と同じ清水の斉藤俊秀だけ。それでもまだ24歳の伊東には輝かしい未来が待っているはずだった。

 

フランスワールドカップが終わると、日本は2002年日韓ワールドカップに向けてさらなる盛り上がりを見せ始める。順調にいけば、伊東は母国でワールドカップ初出場を迎えるはずだった。

 

開催国として必須条件と思われたベスト16進出を任されたのは、フランス人のフィリップ・トルシエ監督。エキセントリックな行動パターンを持つトルシエ監督は、しばしば伊東に大声で何か注意していた。

 

それでも伊東のことはかわいがっていたのだろう。2000年には伊東をキャプテンとして代表のピッチに立たせ、2001年、伊東を11試合に招集している。

 

だが2002年、伊東をアクシデントが襲う。3月に左膝の内側靱帯をケガしてしまったのだ。急いで手術を受け、ワールドカップメンバー発表の5日前に復帰したが、リストに伊東の名前はなかった――。

 

その後、伊東がトルシエ監督について語ることはほとんどなかった。もともと無口な伊東だというのもあるだろう。

 

口数が少ないのは今も変わらない。それでも伊東は、ぽつり、ぽつりとではあるが、あのころの自分と、トルシエ監督について語ってくれた。

 

日本代表時代は「いい思い出がない」

1998年フランス・ワールドカップのメンバーに入ったことがまず結構驚きでした。だって、ワールドカップ予選に1試合も出てなくて最終候補のメンバーに呼ばれたことでもビックリしたから。

 

それなのに、ワールドカップ直前のスイス合宿に行ったらカズさんと北澤さんが「外れた」って……。で、「オレ残ってる」みたいな……。「え?」って。何かすっごく複雑な心境で……。

 

僕は厳しいワールドカップ予選を勝ち抜いて一緒に戦ってきたメンバーじゃない。だから余計に「ええ?」という戸惑いがありましたね。

 

フランスでは……まぁ、どうでしょう……完全にチームに馴染むまでにはできなかったかなぁと思います……。僕の性格的な問題があるかもしれないし……。なかなか入っていくのが得意じゃないし。

 

出番がなくて悔しかったというか、できればピッチに立ちたかった……。

 

だけど、これで次の2002年日韓ワールドカップの出場に近づいたとは思いませんでしたね。それまでまた4年あるわけだし、またそこで、選ばれるにはまずクラブである程度結果を残しながらプレーできてないと選ばれないだろうし。

 

それで日本代表の監督がフィリップ・トルシエ監督になった。トルシエ監督は僕が当時所属していた清水エスパルスから、森岡隆三、戸田和幸も呼びましたね。あの頃、日本代表には静岡勢がたくさんいました。

 

トルシエ監督になってどうなるかと思ったけど、呼んでもらうことができた。でも、僕はなかなか自分を表現するのが得意じゃないし、うまいと思わない。それがたぶん、トルシエ監督には……何というか……うーん……もどかしい感じで見えてたと思う。

 

そして監督からは自分を表現しろというか……もっと考えを言えと……。だから僕は「あぁ、もうやめてくれよ」と。ちょっと、うっとうしいという感じ。面倒くさいヤツだなぁって感じで(笑)。

 

僕はそのとき24歳ぐらいで、若くはなかったけど、もうちょっとうまく自分の感情をコントロールできればよかったかなぁと……。そんなうまくコントロールできなかったかもしれない……。反発というか……、なかなか……。

 

ポジションもゲームで出るときは割と右のアウトサイドでやることもあったりして……。「あんまり、そこでやりたくないなぁ」と思いながらも、試合には出たいし。でもトルシエ監督はかなりうるさい感じで言ってくるし、あんまり精神状態は良くなかったかもしれないですね……。

 

いや、監督に向かって「やりたくない」とは言わないですよ。日本代表に入って、それまではメンバーに入ったけどそんなに試合は出てなかったけれど、実際にプレーさせてもらえるようになったから。

 

ただ、実際にメンバーに入って試合に出て、そうしたらなんか、変に肩に力が入ったところもあったし……、なんというか……自然体ではなかったような気はする。

 

だからあんまりいい………………いい思い出はない。

 

それがこの前、代表で自分がキャプテンマーク巻いていたという話をされて、すごく驚いたんですよ。「え? あった? 覚えてないよ。そんなの巻いてた?」「えええ? マジで? 記憶にねぇな」「覚えてねぇよ。ホント、ホントに記憶にない」って。いい思い出じゃなかったからキャプテンマーク巻いてるのとかも覚えてないんだろうし。

 

記憶に残るトルシエ監督の人間くささ

あと、トルシエ監督の初戦となったエジプト戦の朝、僕の母が亡くなって、その日の記者会見でトルシエ監督がコメントしなかったというのも知らなかった……。今になって知りました。そんなことがあったんですか。報道陣からは変に思われてたんでしょうけどね。

 

でも、そういえば実際母の通夜にトルシエ監督が来てくれた気がする……。来てくれたと思うな……。そういう意味ではトルシエ監督には人間くさい部分があったかもしれない。うん……あったのだろうな。

 

ああやって激しく言ってるのは……どうなのかな……、ちょっと演じているところがあったんじゃないかなと思いながらやってました。当時もなんとなく、「演技もあるんじゃないのかな」、みたいな感じで思ってたし。

 

今、当時のメンバーを見て、自分が呼ばれ続けてたといえば……そうですね。でも、あんまり良いプレーができたというと……できてなかったから。ホント、できてなかったなぁっ……ていう。そういう思いというか、そういう印象しかない。

 

やっぱり平常心じゃなかった。代表になったから良いプレーしなきゃとか……変に肩に力が入ったところもあっただろうし……。

 

もうちょっと普段どおりというか、まぁ代表という舞台だから、なかなかそうできにくい……そういう場所だったのかもしれないけど、それができなかった……。ある意味で、自分の力不足を感じた……かな。ポジションを変えてほしかったという思いはないですけどね。

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いまも悔やむ日韓ワールドカップ直前のケガ

2001年は日本代表に11試合で呼んでもらって、いよいよ2002年日韓ワールドカップの年になったけど、3月に左膝の内側靱帯をケガした。ケガをそのままにして自然治癒するのを待つ保存療法か、オペかって選択しなければいけなくて、オペすれば、まだ保存よりは早く復帰できるみたいな……。

 

だからすぐにオペしたけど……まぁ、ケガした時点でもう無理だろうな……とは。そんなのはわかってた。もしプレーできたとしてもパフォーマンスがどこまで上がるかなんてわかんないし……。

 

だから、あぁ……もう……無理だなぁと思ってて……。だからまぁ……でもケガが無かったらワールドカップのメンバーに入っていたかというと……それも全然わかんないし……。

 

5月12日のヤマザキナビスコカップで復帰したけど、17日のメンバー発表にはもちろん入ってなかった……。

 

1998年はリーグ戦でプレーしてて、そこで評価してもらってフランス行きのメンバーに最終的に入れたというのがあったと思う……。だけど、2002年はメンバー入りにトライできなかった……。

 

試合に出られなかったわけだから……。トライできなかったことが悔しかったなぁ……。トライしたかったなぁ……。そのケガはちょっと悔しいなぁ…………って今でも思いますね。

 

でも、ケガをしているときに代表チームから見捨てられたという感じは無かったんです。ケガしているときに、コーチの山本昌邦さんが何回かリハビリの様子を見に来てくれてたから。

 

あのときはトルシエ監督が吠えて、昌邦さんがフォローするというバランスがあったから……。昌邦さんの存在は大きかった。

 

今、トルシエ監督を振り返ってみると、特別何かという悪い感情はないですね。トルシエ監督は監督なり性格があって……個性というか。個性があるわけだから……人それぞれだから。トルシエ監督は、こういう人なんだって……それだけ。

 

だから、受け入れることはできる。「もうこの人はイヤだ」とか、そこまでは……嫌いという感じまではない。

 

それは過去も、いろんな監督ともやったし……いろんな考え持ってるワケじゃないですか。だから……ある程度受け入れられるし……。

 

ただ、トルシエ監督は感情が前に出てくるという意味で、人間くささがあったかな……。僕は得意じゃなかったかもしれないけど。

 

清水育ちの誇り「桜エビを生で食べられる」

あのときからもう14年も経つのか……。僕は41歳になったけど、今年ブラウブリッツ秋田に加入してまだまだプレーするつもりです。

 

秋田ではまだいろんなものを食べに行ってないんですよ。これからいろいろ人に聞きながら自分で探そうかなって。比内地鶏、うまそうだなぁと思うし。

 

でも、育ったのが清水でしたからね。海産物がみんな美味しかった。桜エビを生で食べられるって清水しかないでしょう。秋田にもハタハタがあるから、それも今楽しみです。

 

もしもまたトルシエ監督の下でプレーすることがあったら……まぁ、でもそれはそれで受け入れていくと思いますよ。トルシエ監督ともうちょっとやってみたかったからね、ワールドカップで。

 

14年前は僕も未熟だったところもあると思うから……。今だったらもう少しうまくつきあえるかもしれない……けど、わかんないな。

 

ちょっとうっとうしいなぁと思う部分もあったけど……、それは自分の未熟さのためにそうだったのかもしれないし……、今だったらうまくやれるかもしれないけど……………………やっぱり、また自分の監督になったらイヤだなぁ(笑)。

 

 

伊東輝悦 プロフィール

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プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。

東海第一高校を経て1993年、清水エスパルスに入団。その後、ヴァンフォーレ甲府、AC長野パルセイロを経て、2016年からはブラウブリッツ秋田でプレーする。

1996年アトランタ五輪、1998年フランスW杯日本代表メンバー。

 

静岡県出身、1974年生まれ。

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

ブログ:http://morimasafumi.blog.jp/

                             
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