日本一のパン職人を決める「ベーカリー・ジャパンカップ」という大会がある。2年毎に大阪と千葉で開催され、国内のパン職人が腕を競い合うもので、優勝者には「農林水産大臣賞・厚生労働大臣賞」という、なんだかすごそうな賞も贈られるという。
先日、この大会で筆者の従姉妹の同級生が優勝した。つまり、筆者の従姉妹の同級生(近いのか遠いのかよくわかりませんが)は日本一のパン職人ということになる。すごいぞ、筆者の従姉妹の同級生!
ちなみに、お店は千葉県船橋市の北習志野にあるという。というわけで、「ベーカリー・ジャパンカップ」の話を聞きに、会いに行ってみることにした。
こちらが第4回ベーカリー・ジャパンカップで優勝した鈴木俊介さんのお店「ケーキとパンのお店 ソレイユ」。北習志野駅から続く商店街に面しており、駅からは徒歩10分。
焼きたてパンがみっしりと並ぶ店内。漂いまくる芳醇なバターの香りがたまらない。
「ケーキとパンのお店」というだけあり、ケーキのバリエーションも豊富だ。
めちゃくちゃお忙しそうな鈴木さんの、ほんのわずかなスキマ時間にお話を伺った。
ベーカリー・ジャパンカップ……ってなに?
――「ベーカリー・ジャパンカップ」ってどんな大会なんでしょうか?
鈴木さん(以下省略)「日本のパン業界の発展や製パン技術の向上を目指した、日本で初めてのパン職人日本一を決める大会です。資格や肩書き、職人歴、年齢などは一切関係なく、技とアイデアのみで勝負ができるため、パン職人としては夢の舞台だと思います」
―― その大会で鈴木さんは優勝されたんですよね?
「はい。『食事パン・菓子パン部門』『食パン部門』の2部門で競い合うのですが、私は今年、幕張で行われた第4回大会の『食事パン・菓子パン部門』で優勝させていただきました」
―― おめでとうございます!! ちなみに、大会ってどんなプロセスで行われるんですか?
「まず一次審査は現物、レシピ、写真を郵送し、審査が行われます。今回のお題は『日本らしさを表現した菓子パン』を5種類と、『健康栄養を考えた食事パン』を5種類でした」
―― 郵送なんですね。
「郵送です。ただ、決勝戦では郵送したパンと全く同じものを作らないといけません。そのため、一時審査の段階ですでに決勝戦は始まっていると思ってください。この一次審査を突破し、決勝の舞台に上がれるのは8人です。今回は幕張メッセの会場に4ブースを設置し、2日間に渡って決勝が行なわれました」
―― 8人! 狭き門だ。
「どの程度の倍率か定かではないですが、全国のパン職人が応募しているので通過するのは至難かもしれませんね。私も第2回大会では予選落ちしましたから。そして、決勝戦では一時審査のパンを審査員、お客さんの前で実際に作っていきます。6時間以内に生地を練るところから清掃までを1人で行わなければなりません」
―― 不勉強ですみません。6時間って難しいんですか?
「一般的にパン作りは分業制なので、同時に10品となるとシビアですね。1つを発酵させている間に1つをオーブンに入れて、その間に次の生地を練ったりと、かなりせわしない。しかも、大会ではディスプレイまで手掛けなくてはいけないんです。そのため、行程の組み立てがとても重要になります。審査員の方いわく、日本一のパン職人を決める大会だからこそ、トータルプロデュース力が評価されるみたいです」
―― ただ美味しいパンを作るだけでは優勝はできないんですね。ちなみに、鈴木さんの中で意識した、ライバルのパン職人とかはいたんですか?
「決勝に残った人はみなさんクオリティが高すぎて意識していましたが、特にチェックしていたのは『パングランプリ東京2018』で優勝した城所さん。実は私も『パングランプリ東京2017』では優勝していまして、昨年は連覇を掛けて臨んだんです。
しかし、それを阻止したのが城所さん。しかも、私が一番自信を持っているクロワッサンで負けた……。その時は、もう店を辞めようとも思いましたよ。自信もプライドもズタボロになって、帰りの駅のホームで1人泣きました(笑)」
―― そんな強者がいたんですね。でも宿命のライバルという感じでアツイ!
「悔しかったんですけど、その時の負けが糧になりました。一番自信のあるパンで負けたからこそ、今回の大会ではチャレンジャーの気持ちで挑めましたから。変なプライドもなく、フラットな気持ちでパンが作れました。多分、大会では私が一番リラックスしてたんじゃないかな?」
―― 負けたことがあるというのが大きな財産になるって、山王工業の監督も言ってました(スラムダンク)けど、本当にそうなんですね。ちなみに、優勝したパンってどんなものだったんでしょう?
「今回は『日本らしさ』がテーマだったのですが、抹茶や桜といった、いかにも日本らしい食材は使いませんでした。だって、絶対に被るじゃないですか(笑)。私は日本の四季である春・夏・秋・冬に加えて、枯山水をパンで表現したんです。
大吟醸酒を使用した枯山水のパンは特に苦戦しましたよ。日本酒の香りを残しつつ、きつくなりすぎない塩梅が難しく、ソムリエに相談しながら何本も何本も試しましたね。個人的には『すのこ』や『カゴ』ではなく、和食器にパンを並べたことで日本らしいアプローチができたかなって思います」
そんな苦心の末、優勝を勝ち取ったパンがコチラ。
―― うわ美しい! パンって茶系のイメージですけど、こんなにも華やかにできるんですね。
ちなみに、僕は絶対に日本一になることはないのでお聞きしたいんですけど、優勝者として自分の名前が呼ばれた瞬間って、どんな気持ちになるんですか?
「昔、初めて出場したコンクールの優勝発表の際に『優勝は鈴木俊介さ……大変失礼しました、〇〇さんです!』って、間違えられた経験があるんですよ(笑)。それがトラウマで、今回も呼ばれた時は信じられなかったですね。嬉しいよりも、疑いと驚きが勝ってしまって。
きっと誰もが私の優勝を信じられなかったと思いますよ。現に、後日取材を受ける際にメディア関係者からは『パンの画像を貸してくれませんか?』って問い合わせがありましたから。大会を取材してたのに、僕のパンの写真を撮ってなかったみたいですね(笑)」
優勝の秘訣はパンとのコミュニケーション!?
―― 鈴木さんが大会に出場したきっかけって、なんだったですか?
「ソレイユでは2014年のオープン以来、パンとケーキの両方を出しています。それは、誕生日など特別な日の『非日常』を演出するケーキと、毎日をちょっとだけ幸せにする『日常』のパン、その両方を極めたかったから。そして、どちらも中途半端ではなく、『両方ハンパねえ』ってことを証明するために、大会に出場しようと思いました。
というのも、パンとケーキを同時にやるお店って日本では珍しく、それは2つを高いレベルで両立させることが難しいからだとされています。実際、1人で両方を作るのはものすごく大変で、オープンしてからそのしんどさを思い知らされました(笑)。業界関係者からも、中途半端になるからどちらかに絞るべきと言われましたよ。
でも、お客さんからしたら、どちらもあった方が嬉しいじゃないですか。だから、僕は両方をやるし、大会に出て日本一になって、中途半端だなんて誰にも言わせないようにしようと。ただ、きっかけはどうであれ、大会に出場することで自分の技術向上にもつながったため、優勝以外にも参加する価値はあったと思います」
―― 大会に向けて、どんな準備を?
「エントリーを決めてからの半年間は、大会のことしか考えてなかったです。テーマに合うレシピの構想から、大会当日のイメトレ、実践練習。その繰り返しでした。たとえレシピがあっても、分単位で作業内容を書いておかないと制限時間内に終えることができないんですよ。ひたすら練習して、1分1秒を削ることに苦心していました。ちなみに、作ったパンを勉強のために全部食べていたら半年間で5kgも太っちゃいました(笑)」
―― まさに修行……。過酷ですね。
「はい。しかし、その甲斐あってパンとコミュケーションが取れるようになりました」
―― ……ん!?
「いや、不思議ちゃんキャラなわけじゃないですよ。要はパンの気持ちを最大限考えてあげられるようになったってことです。例えば、ストレスなく育った牛乳って美味しいですよね? 魚は鋭い包丁で捌きますよね? これと同じです」
―― ちょっと分からない……です。
「魚を鋭い包丁で捌くのは細胞・繊維を傷つけないためであり、雑に切ってしまうと舌触りが悪く、水分が逃げてしまい美味しくないじゃないですか? ということは、魚が切られたかどうかもわからないほどの鋭い包丁で捌く行為っていうのは『魚にストレスを与えない』って意味だと思うんです。つまり、素材にストレスを与えないこと=素材本来の持ち味を引き出すことにつながるんです。パンでも同じことが言えます」
―― 素材の気持ちになってあげるってことですか?
「そうです。生地だって、こねられたくてこねられてるわけじゃないんですよ。人間の勝手で無理矢理にこねられ、引っ張られているんです。ならばせめて、生地のこねられたいスピード、生地の焼かれたい温度で調理してあげないと。ここを意識するだけで、抜群に美味くなります。だからこそ、私は練習中『美味しさの押し付けになっていないか?』『私に焼かれたいと思ってこねられたか?』と生地に聞いていたんです。今回の優勝によって、それが証明できたと思っています」
―― 生地への愛がすごい! 突き詰めていくと、その境地に達するんですね。
「もちろん、パンだけでなく、ヒト・モノにも常日頃から寄り添っているつもりです。お客様はどんなパンが食べたいのか、素材をどう調理したら美味くなるかをいつも考えています。北習志野はご年配の方が多いエリアです。なかには、フランスパンが好きなのに硬くて食べられない方もいます。
そこで別の柔らかいパンを進めるのではなく、『硬すぎなくて食べやすいフランスパン』を提供できてこそ、本物のパン職人だと思っています。だからソレイユのフランスパンは歯切れが良くなるようにじっくり練り上げ、皮はできるだけ薄くなるように高温短時間焼成して、誰でも美味しく食べられるように工夫しています」
―― 生地だけでなく人への愛も深い! 鈴木さんが優勝した理由が分かった気がします。
「普段の仕事への姿勢が大会で表現できたからこそ、優勝を勝ち取ることができたんじゃないかと思っています。それに、私は11対1で戦っていたので、自信もありましたし」
―― 11対1……ですか?
「私はパン一つひとつに思い入れがあり、大会中は彼ら(パンのこと)を思わない時はありませんでした。だから彼らは戦友というか、大事な仲間みたいな気持ちだったんです。そしたら大会当日、彼らが予想以上に綺麗に焼きあがってくれて……。まったく、本番に強い奴らですよね。最後にパンを並べた時は達成感と同時に役者が勢揃い!みたいな感覚でしたね。分かりますか? とにかく、私には心強い10個の仲間がいたってことです」
―― とにかく鈴木さんがパンを愛しすぎていることは伝わりました。鈴木さんにとって、パンはパン以上の存在なんですね。
「はい。パンは生き物です。料理人は“生き物の命をいただいて生きている”ってことがよくわかっています。それはパンも同じこと。
そして、料理人は“人の命を預かるものを作っている”ことも忘れてはならない。プレッシャーはありますが、命がけで食べに来てくださるお客様には命がけの料理で応えるのが料理人です」
次は世界一を
―― 鈴木さんが初めてパンに興味を持ったのはいつ頃なんですか?
「高校三年生の夏です。たまたま百貨店で食べた食パンが美味しくて、“俺でも作れかな〜”と、調理の専門学校に入学しました。そこでは製菓・製パンを学び、卒業後にフランス校に半年、現場に半年勤務していました。だた専門学校でもフランスでも製パンではなく、ほぼほぼ製菓を学んでいました。パンを作りたいと思いつつも、フランスへの憧れが勝って現地で製菓をやっていた感じですね」
―― フランスだったら仕方ないですね。帰国後はどうされたんですか?
「フランスで出会った人の紹介で、パン屋に入りました。もちろん、製パンは夢でしたけど全くの素人です。それなのに、当時は20歳で生意気でしたし、フランスの厳しい環境で修行してきた自負もあり、『パンもつくれます』と豪語して入ってしまって(笑)」
―― でも、作れないですよね?
「ぜんっぜん、出来ませんでした。当たり前ですが、製パンと製菓って全く別ものなんですよね。しかも、当時は都内の有名なパン屋巡りをしては、“俺の舌を満足させるパンが全然ない”なんて思ってましたから。馬鹿ですね。そんな時に、横浜のあるパン屋に出会ったんです。
そこのパンはどれを食べても衝撃的に美味しかった。もう全身に鳥肌が立つほど、ぶっちぎりで美味しかったんですよ。あの、脳細胞が活性化していくような感覚は、今でも鮮明に覚えています。すぐに弟子入りをお願いしました」
―― その出会いが転機になったんですね。
「はい。それからは休日も仕事してましたし、シェフの知り合いのお店にも食べに行ったり、身を粉にして学んでいました。しかし、急に粉アレルギーになってしまい、顔は腫れるわ、高熱は出るわで……結局辞めることになったんです」
―― それは辛い! 粉アレルギーはパン職人として大きなハンデですね……。修業も中断せざるをえなかったと。
「でもそこで諦めず、もう一度だけフランスに行ってみようと思ったんです。やっぱり、『ケーキとパンのお店を出す』という夢が捨て切れなかったんですよね。だからこそ、そこまで覚悟を決めた2回目の渡仏は充実していました。妙なプライドも徐々になくなり、言語もメチャクチャ勉強してコミュニケーションを円滑にできるくらいまで喋れるようになったんです。会話ができると、スキルもどんどん身についていくんですよ。短い期間でしたが、あの日々は私の大切な思い出ですね」
二度目の帰国後は製菓を中心に都内の有名製菓店、カフェや結婚式場を渡り歩いたという鈴木さん。そして、ついに念願のお店「ケーキとパンのお店 ソレイユ」を2014年にオープン。しかし、問題もあったそうで……。
「実はフランスから再帰国して以来、ここをオープンするまでの13年間、全くパンをやってきてなかったんですよね。しかも、1人でパンを作る経験も無かったので、いざやるとなると超大変でした。でも、やっていくうちに今までの点と点が線になっていく感覚があったんです。それからは、どんどん美味しいパンが作れるようになりました」
―― これまでに積み重ねたものが、そこで花開いたんですね。
「私は不器用ですし、センスもない。でも、努力を重ねる事で日本一になれた。じつは、ケーキ屋&パン屋は21年連続で子どものなりたい職業1位なんですが、過酷なためか継続率は物凄く低い。私はこの夢のある職業の楽しさや素晴らしさを、もっと伝えていきたいと思っています」
―― 本当に素晴らしいお仕事だと思います。ちなみに、次回(第5回大会)も出場されるんですか?
「当然です。今回は地元の千葉開催だったため、地の利があったと思ってます。しかし、2年後の会場は大阪。アウェイで勝ってこそ、本物の日本一のパン職人です。また、その次はケーキの大会で優勝すること、そして4年に1度開催されるパンの世界大会で優勝することが目標です」
―― 目標が果てしない! パンとケーキの両方で優勝したら、ものすごいことですね。
「難しい挑戦ですが、子どもたちに夢を見させたいですからね。それに、たとえ地方のパン屋でも世界一になれば、誰もが私のパンは美味しいと認めざるをえないですから(笑)。そのためにも日々、技術の向上は欠かせません。優勝するには、最高の仲間(パンのこと)を揃えなくてはいけませんからね」
―― ありがとうございました! これからも鈴木さんと仲間たち(パンのこと)の活躍に期待してます!!
最後に、本日購入したパンを紹介しておこう。
というわけで、今回はベーカリージャパンの話に加え、鈴木さんが本物のパン職人へと至るまでの濃厚なストーリーを聞くことができた。誇り高き地方のパン職人が作る、日本一のパンをぜひ味わいに来てほしい。
【紹介したお店】
店名/ケーキとパンのお店 ソレイユ
住所/船橋市習志野台2-73-14
TEL/047-440-8181
営業時間/10:00~19:00
定休日:毎週火・水曜日
取材・文/小野洋平(やじろべえ)
編集・撮影/榎並紀行(やじろべえ)
【プロフィール】
小野洋平(やじろべえ)
1991年生まれ。編集プロダクション「やじろべえ」所属。服飾大学を出るも服が作れず、ライター・編集者を志す。自身のサイト、小野便利屋も運営。