想い返せばくすぐったくなる郷愁の街。神保町・古書店巡りのカツサンド篇【久住昌之の「途中めし」第4回 神保町・ランチョン】

「孤独のグルメ」「花のズボラ飯」の原作や、泉昌之名義での「食の軍師」などの著書で有名な久住昌之さんによる連載「途中メシ」第4回です。今回の舞台は神保町の古書店めぐりでの途中メシに、老舗ビアホールのランチョンで絶品のカツサンドをいただきます。神保町と言えば古本と老舗喫茶店の街。なんだか落ち着く街での若き日の思い出もたっぷりと書かれています。(神保町のグルメ洋食・西洋料理

想い返せばくすぐったくなる郷愁の街。神保町・古書店巡りのカツサンド篇【久住昌之の「途中めし」第4回 神保町・ランチョン】

ボクは19歳の時、美学校に通っていて、週一回、教室がある神保町に行くようになった。美学校というと、美術学校の総称のように聞こえるけど「美学校」という固有名詞の専門学校みたいなもんで、専門学校というより「塾」に近い小さな小さな規模の学校だ。
校舎もなくて、神保町の古い雑居ビルの4階ワンフロアだけだ。今もある。ボクも時々講師をする。貧乏な学校で、未だに教室にクーラーというものがない。
ここまで貧乏な学校は今時珍しいから、逆にボクは面白いのだが。
ボクは19から20歳にかけて、この神保町の美学校で、赤瀬川原平さんの「絵・文字工房」に所属していた。

 

まあ教室での話はさておき、神保町は高校生の時まで行ったことのないエリアだった。
だから、神保町を初めて散策して、なんて面白い街があったんだ!と狂喜した。
まず、本屋だらけなのに驚いた。しかもほとんどが古本屋。でも新刊書店もあり、それらが完全に混じり合って生息している。

しかもたくさんある書店が、皆すごく個性的で、ちょっと入りにくく、でも入ると見たこともない、それも面白そうな本がたくさんある。

古書センターなんてビルは、階ごとに全然違う古書店が入っていて、中学生の時に読んだ映画雑誌の「スクリーン」や「週刊少年サンデー」が、当たり前のように置いてあって、びっくりした。映画のパンフレット、絵葉書、カタログ、図鑑。

面白くて、気がつくと足が棒になるほど疲れていた。

 

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それでちょっと休める店を探すと、「さぼうる」「ラドリオ」「ミロンガ」など、名前だけでいかにも古本屋街らしく、見た目も古めかしくて魅力的な喫茶店がたくさんあった。若かったボクがおずおず入ると、どこも少し暗くて、独特の雰囲気。どこも小さめのテーブルに小さめの椅子。でもそこに座ると妙に落ち着き、コーヒーを啜ると、神保町の中に溶け込んだような気持ちになれた。大人気分になれたというか。

 

暇に任せての古本屋巡り…こんな楽しみを忘れていたんだな

こうして、美学校のない日も、しばしは神保町に来るようになった。

そして、一年もすると、ここには古書店と喫茶店ばかりでなく、カレー屋が多いことや、ラーメン屋、餃子屋、天丼屋、洋食屋、立ち食いそば屋と、個人経営のおいしい飲食店の宝庫でもあることがわかった。それでボクはますますこの町が大好きになっていた。

暇な午後、いろんな古本屋を回り、疲れたら喫茶店に入って、手に入れた本をパラパラめくる幸福感を知った。そしてまた少し歩いて、夕暮れになってきたら、どこかで何か食べて家に帰る。暇な学生だったから、そんなことをよくしていた。

 

それから大学生時代に月刊漫画誌「ガロ」でデビューした。「ガロ」を出していたのは材木屋の二階にある小さな出版社・青林堂で、これまた神保町にあった。

さらに大学時代、ボクはひょんなことから当時大ヒットしていたマンガ「まことちゃん」を描いていた楳図かずおさんの、「まことちゃんバンド」というのの一員になった。

まことちゃんの頭をかぶって、スモックを着て、楳図先生のライヴのバックで踊るのだ。詳しい話は別のところで書くが、この稽古を、小学館の社内にある音楽鑑賞室でやった。この小学館も、神保町にあった。

 

そういうわけで、美学校から始まりながら、大学を卒業して、マンガで食べていくようになっても、なんだかんだ神保町には来ていた。

そのうち、ボクも四十を過ぎ、とうとう美学校で週一回講師をするようになった。

なんという神保町との縁だろう。美学校の呪いか。これが12年続いた。

そして五十代になって、あれこれまた忙しくなり、週一で美学校に来ることが困難になった。気がつけば、暇に任せて半日古本屋巡りをする楽しみも、すっかり忘れていた。

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その忘れていた楽しみをしようというわけだ。

 

 

いつもの担当編集男と担当編集女と、神保町の交差点で待ち合わせた。

ちょっと抽象的な待ち合わせ方過ぎる。

ボクがちょうど時間について、二人がどこにいるのか見つからず、一人に電話したら、向こうも「どちらにいますか」と言う。

もう少し「A5出口のところ」とか「岩波ホールの下の入口」とか「廣文館書店の前」とかきちっと決めないかね。案の定、彼等が肉眼で先にボクを発見し、ケータイから、

 

「あ、いましたいました!」

 

と言いながらボクに手を振った場所は、交差点の対角線上の反対だった。家の中でトランシーバーやってる兄弟か。間抜けな大人三人だ。

 

まずは、靖国通り沿いで交差点すぐそばの北東側ブロックの山田書店。ここは美術書と昔のアイドルの写真集と浮世絵が同列に置かれているという、ボクのような、字だけの本より図や写真がいっぱい入った本好きにはたまらないセンスの書店。ここに来ると「アートかエロか」と言う疑問なんてアホらしくなる。

 

いきなり写真家の林忠彦さんの「東海道」を見つけた。大判の写真集だ。

ずっしりと重いこの本を棚から出して開く。林忠彦といえば、太宰治を銀座のバー・ルパンで撮った写真や、坂口安吾をゴミ屋敷のような部屋で撮った写真が有名だ。

ボクは林さんの写真集「文士の時代」が大好きで、写真も好きだけどそこにちょこっと添えられた文章がなぜか大好きで、何度読んだかわからない。

東海道」は、林さんが晩年、癌におかされて余命を宣告されてから、息子さんに車椅子を押してもらって撮ったという執念の写真集。現物を見るのは初めて。でもやっぱり2、3ページ開いただけで伝わってくる鬼気迫るものがあった。どの写真も夢のように美しい。ボクが歩いた場所も写っている。しかも1,500円!安い。定価7,800円だ。これは欲しい。いろんな人のあとがきも心がこもっていそうで、読みたい。

だが1軒目でこれを買って、これからずっと持ち歩くのはキツイ。置いていっても、すぐに買う人もいないだろう。今日の一番最後に、まだ欲しかったら戻ってきて買おう。

そう思って棚に戻す。

 

グラビアアイドルの写真集を背だけで眺める。雛形あきこ。森尾由美。河合その子。わー、いたな。早くも顔を思い出せない。ビニールで封印された写真集も多い。持っていた写真集はないけど、見覚えのあるのはある。ちょっと見てみたい気もするけど、なんかその気持ちがなんともいやらしい感じがして、棚からとても出せない。

男なら、若い時「お世話になった」写真集が一冊や2冊あるだろうが、それをのちに人前に「コレです」と差し出す勇気のある人は少ないと思う。というか、それはそっと胸に秘めておきたい宝物かもしれない。

しかし、本当にアイドルというのは残酷というか、ある短期間だけ超然と輝くもので、ほんの数年経って見ると、あんなに魅力的だった水着の写真が、なんとも古臭く野暮ったく見える。写真の撮り方の流行もあるのだろう。カメラと印刷技術の進歩も感じる。だから、昔好きだったアイドルの写真集も、今開いたら、見なければよかったって思うかもしれない。定価より高い値段のものと、ずっと安いものがある。冷酷だ。

 

横にいる編集者二人の存在が、早くも面倒臭い。彼らは彼らなりに自分の興味ある棚を見てくれているのだが、それでも大枠ボクについてきているわけで、ウザい。ほっといて欲しい。古本屋巡りは、やっぱり一人でするものだ。この企画、失敗だったかもしれないと思い始めている。

 

古い雑誌の棚に「写真時代」がたくさんあり、表紙に赤瀬川原平と渡辺和博の対談の見出しがある。懐かしい。この対談をテープから原稿に起こしたのはボクだ。その現場にもいて一緒に笑っていた。懐かしい。もう二人ともこの世にいない。

自分の仕事が見つかるとちょっと嬉しい。一緒にいた編集者も、日本版PENTHOUSEのある号の表紙を見て、自分が出版社に入ろうと思った頃のだ、と苦笑いしている。

そういうのがネットで見る画像でなく「現物」としてそこにあるのも古書店ならではの面白さだ。「写真時代」を手にとって表紙を眺めていただけで、どんどんその頃のことを思い出した。高田馬場の白夜書房編集部。その近くのとっくに閉店した食堂。あわびの肝をサービスしてもらった。森戸海岸にバカバカしい写真を撮りに行った。「帰ってきたワカメ男」…。

 

これだけの書物が存在することが、面白く、どこか頼もしく、なぜか痛快で、結局愉快だ

一軒目にずいぶん居てしまった。ボクが「行きますか」と行って、店を出て、横断歩道をすずらん通り側に渡る。そのまま、靖国通りを駿河台下に向かって歩く。

新刊漫画書店の「高岡書店」。若い頃、ここで立ち読みして、2、3ページめくっただけなのに、店員に咎められた。すいません、と慌てて本を戻して、そそくさと店を出てから、「まだ立ち読みという体制にもなってないのに」と、だんだんムカついてきた。

だが、その後20年が過ぎ、高岡書店はボクのマンガ本をものすごくたくさん売ってくれているらしい。店頭にポスターも貼ってくれたという。今一緒にいる編集者が言っているのだから間違いない。見返してやった気持ちよりも、もはや大感謝の気持ちだが、ちょっとテレくさくて入れない。

 

書店名も見ないで、古書店に入る。古書店には、ここに来なければ出会うことにないであろう本がたくさんある。欲しくなくても興味を惹かれる。

「浮世絵に見る歯科風俗史」。

「駐日大使の素顔」。

誰が買うんだろう。誰のための本なんだろう。余計なお世話だ。

「内務省厚生局編集 日本鉱泉誌 全三巻」。

鉱泉。鉱泉とは、温度が25℃以下の湧き水だ。25℃以上は温泉。そこまではボクも知っている。しかし分厚い三巻に亘って、鉱泉の何がどれだけどこまで書いてあるんだろう。気が遠くなる。

前に古書センターで「毒蜂」という1,500ページぐらいの本を見つけた時も驚いた。驚くと同時に、何かボクの知らない、知らなくてもいいたった一つのことについて、これだけのページにわたって書かれている書物が存在することが、面白く、どこか頼もしく、なぜか痛快で、結局愉快だ。学問とは全部そういうものだろうが、それが「鉱泉」と「毒蜂」なところが面白い。それらが、笑わせようとしているのではなく、そこにあって、売られているのが面白い。

きっと探せば、鼻クソのことだけをどこまでもどこまでも書いた本とか、あるかもしれない。いやあるだろう。「日本鼻糞史 上下巻」とか。さらに「青ばな」に特化された一冊もあるかもしれない。もっと絞り込んで「駐日大使の青ばな」とか。
 
一軒に延々とどまってしまう。キリがないと思って、全部見ないで、

「行きますか」と言って次に行く。

映画の本も面白そうだ。ヒッチコックか小津安二郎から日活ヤクザ映画に寅さん、撮影日記や写真集、監督対談集、みんな読みたくなる。

動物の本も開きたくなって困る。カメの本。ゾウの本。オランウータンの写真集。買っても一度読んだら本棚に刺さってるだけになるのがわかっているのに、なぜか所有したくなる。生きたカミツキガメやゾウを飼うことができないからだろうか。

登山家の本も、どっさりある。これも読むと面白いのはよく知っている。死と隣り合わせになって、手足の指を半部くらい凍傷で失いながら、なんとか自力で生還した男の話がつまらないわけがない。

釣り関係の本もひと棚近くある。釣りの仕方や楽しみ方もあるが、釣り小説という一ジャンルがあるのにも驚く。きっと読んだら面白いのだ。

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▲店の正面ケースに積み上げられた古本の全集の群れ!貼りつけられた黄色い短冊に、もう腰が引けてしまいそう 

 

こうしてボクらは、たまに「こんな本があるんですねー」と言いながら、後は各々が好きな棚を見て、ボクの「行きますか」を待って次の書店に移動していった。

店頭に井上靖や丸谷才一の原稿が飾られている店もあった。

「これって、誰が売るんでしょうね」

「担当編集者かな」

「死んでから遺族が」

「本人」

「まさか」

三人ともそれに全然興味がない会話。

現代は原稿がない時代だ。パソコンで書いてメールで送って、送られてきたゲラのPDFを修正して返信しておしまい。

マンガですらそうだ。マンガの原画展見に行ったらプリントアウトだったりする。ペンで描かれた原画もあるにはあるけど、スキャンしてパソコンに入れてから、描いた本人が散々デジタル修正をしたものが原稿になっていたりするのだ。

その古書店には「永井荷風全集」「藤村全集」「開高健全集」など全集ものがたくさんあるようだった。その物質的な質量に、ちょっとうんざりする。うんざりしながら、ここにそれがある安心というか、安堵というか、不思議な親しみもかすかに感じるのだ。

そろそろ他の二人は飽きてるような気もしてきた。

でも、それも悔しいから、次の店に行く。

何軒も歩いて結構足が疲れてきたが、もう意地というか。でも面白そうな本は後から後から見つかってしまう。

 

新しい何かを生み出すためには、時間と体力を使わなくちゃ、と最近思う

インターネットの世界には、事実上、この神保町のすべての書店の情報量の何千倍何万倍という情報があるのだろう。だけど、普段パソコンを使っていてそういうことを感じることはない。知りたいことを検索して、そこを見るだけだからだ。情報には、質量が無いからだ。

だからインターネットとパソコンがあれば、もう本はいらないという考え方がすぐに生まれるのもわかる。

でもボクは今日古本屋巡りをして、やっぱりその考えは間違っていると思った。

書店、古書店は絶対に必要だ。

それは、こうして脚を使うからだ。歩き回るからだ。書店巡りは散歩であり、旅なのだと思った。

近年、何かものを作っていくためには、人間、常に旅をしなければダメだと思うようになった。

生きているというのは、自分の体という質量と付き合っていくことだ。質量を動かすには時間と体力が必要だ。現代人は、時間と体力をできる限り節約しよう節約しようとして、何かを得ようとしたがる。

インターネットからは、質量のない情報をたちまち大量に受け取れるから、プリントアウトのような書物はいらないと勘違いしやすい。しかしプリントアウトと本は違う。

プリントアウトはプリントアウト。とりあえずの便宜的なコピー紙。書物は独立した質量だ。

自分から新たな情報を生み出そうとしたら自分という質量を、生きている分、変化させなければならない。変化させるには、時間と体力がどうしても必要なのだ。

書店という大質量は、変わらないようで、売買され日々刻々と移り変わっている。大自然が季節の移り変わりで、彩りを変えていくのと同じだ。書店の森を自分の足で歩いて行くのは、大自然の中、知らない街の通り、畑の畦道を歩いて行く旅とよく似ている。

そこには思いがけない出会いが必ずあり、ゆっくり感じ取っていく味わいがあり、忘れていたことを刻々と思い出す瞬間がある。そういうとき、ボクは自分が昨日までとほんの少し変わったと実感する。昨日までと違うものが生み出せるかもしれないと思う。

インターネットの中をバーチャルに泳いでいても、わかった気になるばかりで、内側から湧き起こってくるそういう力が得られにくい。

永井荷風全集にうんざりしているのは、自分の今までの人生の質量をそこに見ているのかもしれない。売れ残って茶色く日に焼けて重ねられたそれに。

ボクももうかなりの古本なのだ。高齢化社会、世の中生きた古本だらけじゃないか。古本も質量がある限り、生きて朽ちていくのだ。

結局、この日買った本は「おなら考」佐藤清彦著(青弓社)と、「たべもの歴史散策」小柳輝一著(時事通信社)の2冊。両方とも1冊1,000円。

 

「じゃあ、そろそろ飯にしますか」

 

とボクが言った時の、二人のいい歳してあまりに無邪気に嬉しそうな顔。人というより、犬だ。

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▲古書店を何軒も歩いて、足が疲れちゃった。さぁ、「ランチョン」で飯にしますか!

 

いよいよ「ランチョン」のカツサンドだ!生ビールもぐいぐい!!

この日の飯は「ランチョン」に決めている。老舗のビアホールだ。

最初に「東海道」を買おうか迷った書店の並びだ。ランチョンで食べて、帰りにまだ欲しかったら「東海道」、買おう。いらないと思うかもしれない。でも、それで途中めし、完結だ。

店は今は2階だ。窓際のガラス張りの席が最高なのだが、最高のテーブル席が取れた。ラッキーだ。眼下の靖国通り越しに今日巡った書店が並んでいる。

まずは生ビールで乾杯。ウマイ!歩き回って足も疲れ、本をたくさん見て頭も疲れ、喉も渇いているからうまいに決まっている。

食事はカツサンドにしたいって決めてたんだ。あるのを知っていて食べたことないから。高くてボリューム多そうだったから。今日改めて見たら、1,550円!高っ!

あと、イタリアンサラダと、「ランチョン風ポテト料理」を頼む。

編集者の男の方は、仕事の途中めしにここのビーフパイを食べながら生ビールを飲むと言っていた。洒落たことするね、と言ったら、昔、中央大学の駿河台校舎で教えていた吉田健一がそうやって食べているのを読んで「真似して」だって。なんだ。ミーハーな。正直でよろしい。

 

ビールの横に今日の収穫の本を並べて写真を撮り悦にいる。

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▲この日買った本は「おなら考」佐藤清彦著(青弓社)と「たべもの歴史散策」小柳輝一著(時事通信社)の2冊。両方とも1冊1,000円!上出来!!

 

一人だったら、ちびちびビールを飲みながら、パラパラめくるところだが、今日は3人いるから、最初からガブガブ飲んでしまう。女性編集者は、黒生ビールを飲んでいた。この人はどんな酒でもいくらでも飲む。この日もこの後、校了だと言いながら何杯も飲んでいた。酔って仕事か。

 

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▲行き当たりばったりでオーダーした「ランチョン風ポテト料理」。つまりジャガイモのスープ炊きなんだナ。いやいや、ありそうでなかなかない一品ですよ。

 

イタリアンサラダ、ドレッシングがすごくよくておいしかった。ドレッシングがさっぱりしていておいしいとすごく嬉しい。「ランチョン風ポテト料理」も、要するにジャガイモのスープ炊きにエビや玉ねぎやベーコンが入ってるもの。これ、好きなんだ。ありそうでない、こういう料理。小ぶりだし。

 

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▲凄いな、このカツサンド。ボリューム感120%。20代のころだったら、跳び上がって喜んだろうな。五十代過ぎた今は…、ぜんぶ食べられるかなあ。

 

で、出ました、カツサンド。すごいボリューム!トーストされた厚切りトーストに、カツサンドにしては厚いカツが挟まっている。千切りキャベツが入っているのがボク的にはものすごく嬉しい。ボクは一切れ両手で持って、大きく口を開いてミチミチと噛んだ。

 

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▲すごいよ、オイシイよ!! 生ビールもぐいぐい進むよ。……結局、編集者たちと三人で分けていただきました

 

すごい。オイシイ。よく噛んで飲み込んで、残りを皿に一度戻して、生ビールを飲んだ。ウマイ。コレはイイ。イイけど、この一切れで今は十分だ。三つに切ってある一切れを3回に分けて食べて、十分満足した。

とにかくビールがおいしくて、あっという間に3杯ずつ飲んで、気がついたら残りのカツサンドも無くなっていた。

それからお酒に変えて、さらに飲んだ。

 

テーブルの上の「おなら考」の表紙にいくつも川柳が載っている。

 

 音も香も
 空へ抜けてく
 田植えの屁

 

というのが酔った頭にも気持ちよかった。おおらかで、田んぼに映る青空が見える。

 

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▲外に出るといい具合に日が暮れていた。「音も香も/空へ抜けてく/田植えの屁」という川柳が頭に浮かんだ。神保町、時々来ないと、な

 

帰るとき、案の定、重くて大きい写真集「東海道」を、持って歩くのがもう面倒くさくなっていた。「今度にします」と言って二人に笑われた、ダメな自分。「途中めし」が完結してない。でも、神保町、時々来ないと、と本気で思った。

 

 

 

紹介したお店

ランチョン
住所:東京都千代田区神田神保町1-6
TEL:03-3233-0866
営業時間:月~金 11:30~21:30(LO21:00)
     土   11:30~20:30(LO20:00)

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※掲載された情報は、取材時点のものであり、変更されている可能性があります。

 

 

 

著者プロフィール

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文・写真・イラスト:久住昌之

漫画家・音楽家。
1958年東京三鷹市出身。'81年、泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として漫画誌『ガロ』デビュー。以後、旺盛な漫画執筆・原作、デザイナー、ミュージシャンとしての活動を続ける。主な作品に「かっこいいスキヤキ」(泉昌之名義)、「タキモトの世界」、「孤独のグルメ」(原作/画・谷口ジロー)「花のズボラ飯」他、著書多数。最新刊は『ニッポン線路つたい歩き』。

 

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