「どんなことをしても売れたい子」には先がない…野田義治の生き方と芸能人女子フットサルの盛衰【ごはん、ときどきサッカー】

サッカージャーナリスト・森雅史がお送りする「ごはん、ときどきサッカー」は、サッカー関係者の人生をテーマにしています。第16回は芸能界で数々のタレントを育成し、芸能人女子フットサルにも関わってきた野田義治さんにご登場いただきました。芸能人女子フットサルはなぜ衰退したのか、一世を風靡したイエローキャブ、女性タレント育成哲学など、様々な話題について語っていただきました。 (渋谷のグルメ焼肉

「どんなことをしても売れたい子」には先がない…野田義治の生き方と芸能人女子フットサルの盛衰【ごはん、ときどきサッカー】

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芸能人女子フットサルの会場に現れ

気難しい顔をしながらコートを眺め

話しかけられると一転笑顔になって

相手の相談に乗る有名人がいた

 

目の前の利益だけを追い求めたりしない

ロングスパンで物事を見てタレントと勝負しつつ

別業界と戦いを繰り広げていたという

野田義治にお勧めの店を聞いた

 

芸能人女子フットサルはなぜビジネスに結びつかなかったのか?

2005年3月の「第1回フジテレビ739カップ」ではうちの「carezza(カレッツァ)」が優勝したんですよ。あのときは関係してる人間が意地になっててね。楽しい時代でしたね。

 

あれはフジテレビのイベントの一環から始まったんです。今やってるたくさんアイドル集めるイベントの第1回目ですよね。

 

最初は「ハロー! プロジェクト」さんが「Gatas Brilhantes H.P.(ガッタス・ブリリャンチス・エイチピー、通称ガッタス)」をいろんなところでおやりになってて。それで「すかいらーく」さんがスポンサーに付いて、2005年7月にフジテレビのイベントスペースで「第1回すかいらーくグループCUP」に名前を変えて本格的に大会をスタートさせてね。そのときってアナウンサーのチームなんかもありましたね。

 

普通あそこは音楽イベントをやる場所なんですよ。それ以外にとりあえず何かやってみようか、っていう状況で始まったんじゃないかな。僕はフジテレビの事業の知り合いから「やんない?」って誘われてね。

 

「うち、フットサルなんてやったことないからどうなるか分かんないよ」って言ったんだけど、「体がデカいから大丈夫だろう」って(笑)。「じゃあやってみようか」って、それで始まったんですよ。

 

アナウンサーの人たちだって経験なしにおやりになってましたね。だから第1回目はもう肉弾戦ですよ。技術とかなんとかってものじゃなくて、どっちが体力あるかっていう。それはそれなりに楽しかったですね。

 

練習はしましたよ。とりあえず最低限、相手にケガをさせないようにやんなきゃって。「何でもいいからやってこい」なんてことは出来ませんからね。そういう意味も含めて、本当に「て・に・を・は」の「て・に」ぐらいまでは知識として持っておいてもらわなきゃいけないから。

 

当時、フットサルやってたことがある子は1人か2人ぐらいしかなかったんじゃないかな。しかも経験者にしても小さいころからやってたのはフットサルじゃなくてサッカーだったと思います。

 

その子はもう結婚して子供が3人もいますよ。「復帰したい」って言ってたから「ダメだ」って止めたんです。「旦那はどうなんだ?」って聞いたら「反対してます」って言うもんだから、「旦那の許可、取ってこい!」って。でもそうやって今でもときどき電話をかけたりかかってきたりする仲ではあるんですよ。

 

カレッツァにはね、礼儀だけはしっかりさせました。うちのタレントに対しては基本的に、どういうのかな、「ただ胸がデカくてどうのこうの」って失礼な態度を取る人がいたんで、態度をしっかりしてないとバカにされるから。「最低限の礼儀だけはきちんとしとけ」ってレッスンのときから言ってました。

 

レッスンにしてもね、16時からスタートだったら16時ぴったりに来てる子には「帰れ」って言ってましたからね。16時から始まるんだから、その前に準備とか柔軟体操とかあるわけですよ。そういったこと分かってる子じゃないと、いくらキレイでもやっぱりこの業界ではちょっと無理かなって。そういう意味で礼儀だけはちゃんとさせたつもりなんですよ。僕が芸能界に入ったときはそういうことを教えてもらってましたから。

 

僕は厳しい時代にマネージャーをやらせてもらって芸能界ので生活を始めたわけですし、僕がやってることって「胸のデカいやつばっかり集めて何作ってんだ」っていうふうに言われた時代ですからね。誰もそういうことをやってない時代だったから、最低限バカにされないように、そのぐらいの礼儀を身につけさせてたんです。

 

態度もね、陰で人のことを悪く言わない、もし言いたいんだったら帰りのバスの中か、相手に面と向かって言え、とかね。今は出来ないし、そんなことやっちゃダメなんですけど、ものすごく失礼な子はぶん殴ってましたからね。

 

メディアの方々に対する対応も「取材してくださる方がいらっしゃっるからこそなんだから喜べよ」って。そりゃときどき嫌なことも書かれますけど、いいことを書いてもらってるときもあるじゃないですか。だからマスコミの方に対しても絶対にちゃんとしなさいって。それは今でも言いますよ。

 

当時は隠れた才能がどこにあるか、どういうものを持ってるかわからない、ただ胸がデカいってだけで知られてる状況だったわけですから、そう思われてる子が一生懸命フットサルをプレーする姿を見ていただく中で、もっと他のよさを分かってもらおうと思ってたんです。

 

本当はね、場を盛り上げるためにやっぱりガッタスを勝たせたほうがいいのかなっていう考えもあったんですよ。芸能人女子フットサルがずっと続いていく保証はなかったから。でもとりあえず行けるとこまで行っちゃえってことでね。

 

そうしたらたまたま最初の大会で優勝して。それから5チーム、6チームと増えてって、みんな必死に練習してたし、なんだろう、フットサルって今より人気あったんじゃないですかね。

 

するといろんなチームが経験者の助っ人を入れるようになったんです。僕は「いいよ」って。「1人、2人入れるのは構わない。でも一応芸能活動をさせてよ」って。

 

ガッタスに入った経験者の是永美記さんにしても、ちゃんと芸能活動もしてましたよ。是永さんって今、赤坂にある毎日放送に勤めてますよ。制作に携わってるんじゃないかな。このまえ毎日放送に行ったら「社長!」って向こうから急にやってきたんで「お前、こんなとこで何やってんだ?」ってね。

 

ホリプロもXANADU loves NHC(ザナドゥー ラブズ エヌエイチシー)の子を、ちゃんとワイドショーの看板引いたりするところにブッキングしてましたしね。そうやって芸能ごとに携わっている実績は作ろうよって。

 

ただね、我々はもうグラビアという仕事があったから何とかできたんだけど、そうじゃない子たちは芸能活動をしようにもちょっとしんどかったかもしれないのも感じました。

 

でも、芸能活動をしない子をどんどん補強し始めちゃって、サッカーやってましたとか、そんなのばっかりになっちゃって。1つのチームの中に2人も3人も経験者がいると、もう負けるに決まってるじゃないですか。練習のときだったらいいけど試合に入れちゃダメなんですよ。

 

そういうチームとガッタスが対戦してるときに是永さんを使ってなかったら、監督のところに行って「おい、是永さん最初から使えよ!」って言ったりしてましたよ。彼女が入ったら「おい! 1人で持っていけ!」って応援したりしてました。

 

うちもそういう助っ人がいるチームとやるときは「やっつけよう」って目の色変えて必死でした。ガッタスとやるときは、うちが経験者を下げたらガッタスは是永さんを引いたりして、タレントだけでプレーしてね。それはお互い様という感じでやってました。

 

ハロプロは一生懸命フットサルやってましたよ。「キャプテン翼」の高橋陽一先生が監督だった「南葛YJシューターズ」も、ものすごい練習量でね。

 

うちも週に2回は練習してました。お芝居とか踊りのレッスンの代わりにスポーツやらせてたんです。イヤイヤやってる子もいれば、楽しんでる子もいたんですけど、やる以上は目立ったほうがいいわけじゃないですか。タレントなんだから。タレントとして売り込まなきゃいけない。そのためのフットサルのチームだったんです。

 

2006年ぐらいになったら、いろんなチームが勝ち負けにすごくこだわるようになっちゃってね。ガッタスに勝って名を挙げればいいって。「何でもいいから勝て」という指令が出てたチームもあったみたいですし。

 

でもそうじゃなくて、芸能人女子フットサルってタレントの子たちが下手なんだけど一生懸命やってるとか、だんだんやりながら上手になっていったりとか、努力が見えるところとか、そこにドラマがあるからよかったんですよ。そういうのが支持してもらったと思うし、プロモーションになるんですよ。それが分かってくれてる人のいるチームはよかったんですけどね。

 

まぁ、ただあのフットサルからなかなかビジネスには結びつかなかったですね。ビジネスになるわけないとも思ってましたけどね。フジテレビに最初に頼まれたときも、ギャラってたっぷりもらえるもんじゃなかったし。でも話題になりゃ面白いからやってみようかと。

 

ところがみんな真剣にやり始めてからは話題にならなくなったんですよ。つまんなくなっちゃって。要するにタレントがやってるんじゃないって大会になったんですよ。

 

どこかでサッカーやってたような子たちが入ってきて、顔も知らない子たちがバンバン自分たちでやっちゃうと、やっぱりお客さん離れていきますよね。本当にサッカー好きの人が来てるわけじゃないんだから。タレントがやってるから面白いんだし、タレントを好きな人が来てるわけなんで。

 

場が盛り上がらないと、いろんなチームが自分たちは何のためにやってるんだということになっちゃいますよ。優勝したってカップ1つもらえるだけなんだから。スポンサーを見つけてユニフォームに企業名を入れたところで、そんなに宣伝効果があるわけじゃないし。

 

「どんなことをしても売れたい子」には先がない

実はあの当時、サッカー雑誌をやってる人から南米の方のサッカー誌にあるような、セクシーな女性も映ったポスターについて相談されたことがあるんです。でも僕は「それは止めておけよ」とアドバイスしたんですよ。

 

日本ではスポーツとエロは結びつかないから。今でもそう思いますよ。アメリカみたいに下着でアメリカンフットボールをやるような文化があればいいんですけど、日本はそうじゃない。やっぱりスポーツはスポーツですからね。

 

それに僕には水着でセクシーさを売り物にするんだったら雑誌のグラビアだけでいいんだっていう頭があったんですよ。同じ水着をやるんだったら水着をちゃんと扱ってくれてる雑誌。水着の仕事は、ちゃんと水着になっていいような場所。プールサイドとか海とか。それ以上のことはやる必要ないと。だからドラマの中で水着になるという仕事は断ってたし。

 

ただね、グラビアの仕事では他から怒られましたよ。うちはその雑誌の規定の料金で受けてたんで、他の事務所にしたら安いってコトだったんでしょう。「グラビアやるんだったら、この金額もらわないとイヤだ」とか、そういう事務所の人が増え始めた時期だったんですよね。

 

でも僕は、それじゃ伸びないなって。だって雑誌で儲けようと思ってるわけじゃないですか。僕には違うポリシーがあったから。

 

僕の考えには、グラビアで銭儲けしちゃダメだっていうのがあったんです。勝負するのはそこじゃないんだから。それはフットサルにも通じますよ。フットサルで儲けるんじゃなくて、フットサルをする姿はプロモーションなんだって。

 

たとえば雑誌なんか表紙をめくったら広告が入ってて、そこの広告は1ページ100万円とかで販売されてるわけです。そういう計算でいくと、グラビアに6ページ載ったら、600万円分の宣伝がこの雑誌でできるって。

 

ただで宣伝してもらえる。ただで海外旅行に連れてってもらえる。こんなありがたい話ないですよ。そのグラビアでいかに知名度を上げるかでした。ただ、うちの場合は海外旅行行くの、みんなイヤがってましたね。1誌じゃなくて、2、3誌一緒に行くわけです。「地獄の海外ロケ」って言ってました。

 

雑誌はまだ訓練場なんです。そこ以外で商売して初めてタレントって言われるんだから。何にも持ってない素人がいきなり女優になるのって不可能ですよ。だからグラビアでたくさんの人に会っていろんなことを覚えたり、足りなかったことをレッスンで身につけて、そこでモノになるかどうか、そこから分かれてくるんです。

 

だから「グラビア・アイドル」って言葉をみなさん使うけど、僕は「グラビア・アイドル」っていうのはいないって言ってますからね。それは今もそうです。本当は我々が先に「グラビア女優」って言えばよかったのに、村西とおる氏が「アダルト女優」って言っちゃったから、「女優」って取られちゃってね。

 

僕がやって来た歴史というのはアダルトビデオが流行った時代とちょうどリンクしてるんですよ。当時はアダルトビデオと僕たちがやってた水着のグラビアと同じように見られていた時代です。だからどうやって区別しようかってやってきたんです。ところが業界の人間は区別なんかしないですよ。両方とも女だから。それを、差別化を図るためにどうやってやろうか、戦争してたわけです。

 

僕がそこでどれだけ苦労したかは、なかなか知られなかったですね。本当は、この業界は胸のデカさより頭のデカさ、つまり賢さが要求されるんだから。だから、うちの子には歯列矯正以外させないですよ。歯はニコッと笑ったときに大事だから。でもそれ以外をいじっちゃったら年取ったときに困るでしょ? 出来ることが限られちゃうんですよ。

 

僕はそういう将来のこともやっぱり考えますね。いきなり「田舎に帰省します」って言って、戻ってきたら胸がすごくデカくなってた子がいたんですけど、その場でクビにしましたからね。「何のためにやってんだ」と。

 

今は医療技術が発達しちゃって、顔も身体もいじって出てくる子たちがいるじゃないですか。そういう子たちは何度もグラビアの仕事をするけど、「あ、いいな」って思うような子は、1回か2回やったらグラビア止めちゃったりするね。

 

そのうちにグラビアやってる子が、だんだんAVよりひどいことをやり始めたわけです。自分で勝手にね。だからこれはもうグラビアやっても仕方がないかもって思ったときもありました。

 

水着にさせるってのは、その女の子との勝負ですよ。水着になる仕事を説得できたところでは僕の勝ちなんだろうけど、そうなったらちゃんとこっちもその子の名前を広めるという結果を残さないとね。そのために辛い思いはしました。だけど、それをわかってくれる子たち、今はなかなかいないですね。

 

どんなことをしても売れたい子は先がないですよ。イヤイヤやってる子のほうがまだ先はある。こちらに対する「無理矢理やらせやがって」っていう怒りがあるから。うちを離れた子は「騙されてやった」っていいますけど、僕は説得してやってもらってるんです。

 

でも「騙された」って言う子に次に会ったとき「オレ、騙したか?」って聞くと、「シャレ」って言ったりして、そういうのも面白いね。「騙された」って言えばみんな通じるってことでしょう。

 

僕にとって一番辛いのは「騙した」って言われるより、せっかくそこまでやってくれたのに、世の中に名前を広めてあげられなかった子たちのことを考えるときですよ。これは10人この世界に残ってくれてる子がいれば、残れなかった子は100人ぐらいいるわけです。

 

辞めさせた子、辞めさせたくなかったけど時間がかかった子、結局辞めてよそで別の名前でまたやり始めた子、その子たちがバーンと大きくなってくれればいいんですけど、なかなかいないんですよ。それはちょっと情けない。うちは辞めるときノントラブルですから。「辞めたい」って言われたら「はいどうぞ」って。契約書があっても、そんなの紙切れ1枚のことじゃないですか。だから目の前で破りますよ。

 

そして「どこの事務所に行ってもいいよ。ただ、どこの事務所がいいか悪いかの判断はできるから相談には乗るよ」って。だってその子が訳のわからない事務所に行ってさ、変なことになったらいやじゃないですか。人様の大事なお子さんをお預かりしてるわけですから。こっちは中途半端にできないでしょ。

 

だから名前を広められなかった子たちに「悪いことしてしまった」ってずっと思いますね。ただ幸いにしてその子たちが「結婚します」「社長、子供ができました」で連絡してきてくれると、それはすごくうれしいんですよ。

 

カレッツァの子たちもほとんど結婚したり田舎に帰ったりしててね。「誰と結婚したんだ?」って聞いたら「フットサルのコーチです」って。「てめぇ、いつの間に!」ってこともありました(笑)。ちゃんと主婦やってる子もいれば、他の分野で、フードコーディネーターやったりして活躍してる話を聞くと本当に幸せだし。

 

でもある意味、スポーツということに対して一生懸命取り組んでくれた子たちに対してはね、やっぱりそれなりの得るものがあったんじゃないかな。藤本美貴さんとかね、あとハロプロをもう辞めちゃった子にしても一生懸命やってたし。今でもうちの子でフットサルやってる子がいますよ。「運動してきました」って汗流してて。

 

団体競技をずっと続けてきた子は、やっぱりきちんとした礼儀も知ってるし、言葉使いも丁寧だし根性もあるし。何とかグランプリで1等賞になりましたという子は全然ダメ。もうそこで安心しちゃってるのかな。1等賞になった子よりも2、3等で落っこちた子のほうが悔しさを知ってるから、僕はそっちの子を選ぶんですよ。

 

たとえばタレントだってさ、現場入ったらチームじゃないですか。グラビア撮ってるのも7、8人のチームだし、事務所にしてもチームでしょ。そこにパッと入っていったときにきちんとできないと、やっぱり我々がバカにされるんです。お前のところどんな教育してんだよって。そういう世界だと思われちゃっても嫌だなというのがあってね。

 

うちの子も真剣に取り組んでくれててね。ある子は上手いんだけど、動きすぎると腰が痛くなるという症状があって苦労しながらやってましたよ。それくらいやってくれてた子たちだから、僕は「どうやってこの子たちに仕事を入れられるか」って四六時中考えてました。それも目立つような仕事をね。

 

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SNSが流行ってから、業界に飛び抜けた子がこなくなった

今やりたいことも一緒ですよ。世の中に知られる名前のタレントを作りたい。プロダクションやってる人たちはみんなそうじゃないかな。最終的にはやっぱりビジネスだから、そういう子を作っていかないとビジネスにならないでしょう。でも育成ってのは一番難しい分野ですよね。人間が商品ですからね。

 

人間って、家庭環境とか友だちの選び方、それから人柄とか、そういうのが全部ミックスされた上で培われるんじゃないかな。なかなかそういうのにパッとハマる子はいないですけどね。ハマれば売れてるんですけど。そういう売れっ子は常に作りたいですね。

 

今、芸能界を見ると、みんな子役の事務所とか劇団とか、そのぐらいの年齢からちゃんと訓練されて、25、26歳ぐらいで花開いてる子たちが多いわけじゃないですか。それに対して僕が昔やってたのは、小学校や中学校行かずに、いきなり高校生なったような感じですよ。パッとこっちの業界に入れちゃった。だけど、そんなに簡単に高校生になれるわけじゃないしね。

 

芸能界って簡単に入れないし、すぐにタレントとか役者になれないんだっていうことを、もうちょっと一般の人たちに理解してもらいたいなって思うんだけど、今 YouTube やSNSもあるから、もう1億総タレントじゃないですか。

 

その中からいい素材を見つけようなんていったって、そもそもはこっちの世界に入ってくる気ないんだから。そこで人気者にもなってるからね。そのジャンルのたとえば1万人とか10万人とか、そういう単位でね。

 

SNSが流行ってからやっぱりこっちの業界に飛び抜けた子が入ってくる、あるいは引っかかるっていうのがなかなかないね。昔、雑誌が優勢だったころは若手のカメラマンが素人の女の子を撮影して編集部に持ち込んで掲載してもらってるのがあったんです。

 

僕はすべての雑誌に目を通してたから、そこで興味を持ってスカウトに行けたけど、今、そういう機会もないしね。カメラマン自体が増えない。それで、この子いいなと思ってたら、もう本当に1回、2回出ただけで終わっちゃってるし。

 

10代の子でフットサルやってるような子がいたら見学に行きたいけどね。やっぱりスポーツで名をなしえた人っていうのは、時間はかかるけど、しゃべらなくても技術で評価できるじゃないですか。それにスッピンでキレイですからね。今SNS見てもみんな修正してるわけでしょ。どれが本当の顔かわかんないですよ。だからSNS見て話したいと思うかというとそうじゃないですね。

 

なでしこ見てるとね、プレーヤーとしてどうとかじゃなくて、「この子、もうちょっと使い方をよくしてあげればもっと名前が出て行くのにな」って思ったりしますよ。こっちの世界に来てもいいのにって思った選手もいます。

 

サッカーが上手い、下手じゃなくて、名前を知ってもらうことが出来るはずなのになって。そういうのは今のなでしこに必要じゃないかと思います。いくらうまくても世間に知ってもらわなきゃいけないんだから。多少の盛り上げは必要じゃないかなってね。

 

丸山桂里奈さんなんかは、あれだけ活躍できるんだからね。あの子はさ、2011年ドイツ女子ワールドカップのドイツ戦で1点取ってなかったら、もうあとウリは少なかったわけでしょ。ラッキーストライクがあそこまで行ったんですから。でも、あれで人生変わるんですよ。

 

オレが本当に一番好きなのはさ、サイゼリヤとかすかいらーくとか…

食べるところでオレが好きなところ……。芸能界の人間ってみんなすごくおいしいものをたくさん食べてるように思われるみたいだけど、そんなヒマないもん。だからテレビ局の食堂が多い。たまに美味しいものをご馳走してもらうってことになると、やっぱり焼肉屋とか、名前の通ったとこ連れてってもらうんだけど、自分で行くのはないかなぁ。早飯が大切ってされた時代でしたし、そういうふうに教えられたし。むしろ飯食う時間もなかったわけです。忙しすぎて。

 

だからテレビ局が出してくれる冷や飯弁当をかき込むって、そういうのが続きましたよ。地方に営業に行ったら向こうのコーディネーターがちゃんとおいしいところに連れてってくれたから自分では探してないし。あとは局に入って出前取ってたぐらいかな。

 

オレが本当に一番好きなのはさ、サイゼリヤとかすかいらーくとかさ、そういうとこなんだよ。そんなに待たないし、味もちゃんとしっかりしてるし。牛丼の松屋とか、そういったところのほうがオレは好き。気遣って飯食わなくていいしね。

 

若いころには定食屋さんっていうのがたくさんあったんですよ。おかずが並んでて、自分でおかずを取っていくタイプの。頼むのはご飯と味噌汁で、あともう勝手に好きなものを持っていくんですよ。結構そっちのほうが高くつくんだよね(笑)。そういう定食屋さんに近いのは、やっぱりそういうファミリーレストランといったところになるんじゃないかな。

 

そうそう、そう言えばフットサル大会の後に選手たちといってた店がありますよ。渋谷にある焼肉屋さんの「寿亭」。懐かしいです。

 

焼肉 寿亭
〒150-0043 東京都渋谷区道玄坂2-9-2
3,500円(平均)900円(ランチ平均)

r.gnavi.co.jp

 

野田義治 プロフィール

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俳優を志望し上京後、1965年からはマネージャーの道を歩み始める。1988年からは黒澤プロモーションをイエローキャブと名称変更し、代表取締役に就任。90年代に入ると小池栄子、MEGUMIらが芸能界で一世を風靡する。2004年にイエローキャブ社長を辞任し、現在は有限会社サンズでマネジメント事業を行っている。1946年生まれ、富山県出身。

 

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

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