2017年10月、ワールドカップを翌年に控え
調子を上げていた倉田秋は日本代表でも結果を出した
途中出場で代表初ゴール、続く試合でも得点
この好調ぶりが続けばロシア行きが近づくかと思われた
だが同世代の香川真司や乾貴士が輝く中
倉田は選考から漏れてしまった
監督交代は倉田にどう影響したのか
自分に足りなかったものは何だと思っているのか
「あの、好感度上がるように書いてください」
そう笑いながら現れた人懐こい選手の
自分が感じているウィークポイントと
現在を作り上げた経験について聞いた
西野さんにふて腐れた態度を出してしまった
プロになって3年目ぐらいは辛かったですね。1年目でちょっと試合に出てたけど、3年目になったら試合にも出られなくて。紅白戦にも出してもらえてなかったんですよ。「やんちゃ」じゃないですけど、態度には出しちゃってたんで。たぶん。ふて腐れるというか。
そういうのって、当時ガンバの監督だった西野朗監督にとってはイヤ、というか、いい印象がなかったと思うんですよ。西野さんはなかなか選手の評価を変えないところもあって。「もうどうしよう」と思ってました。
そのころはボランチやったり前のポジションだったんですけど、紅白戦に出してもらったときはセンターバックだったりして。「あ、俺、このままだったらやべぇ」と感じて。
もうちょっと経験積んでればどうにかなったんでしょうけど、でもそのころって自分にはメチャメチャ自信があるし。中学2年ぐらいからずっと世代別代表に入ってましたし。クラブユース選手権の決勝戦では決勝点を決めてMVPも取ってましたし。
しんどかったですね。それで移籍を考えたんですよ。今思っても、そこで1回ガンバの外に出てよかったです。
ジェフに行ったんですけど、ジェフがちょうどJ1からJ2に落ちたときでした。江尻篤彦監督は練習がメッチャきつかったんですよ。千葉県館山市のキャンプは3部練習があって、昼間は海岸とか砂山走って。
でもそれでメッチャ体力が付いた気がしたんです。体力は、ないことはなかったと思うんですけど、今ぐらいガンガン走れるという感じじゃなかったですからね。
ジェフに行ったときに、これでアカンかったらサッカー辞めよう、っていうぐらいの気持ちでした。ジェフで試合にも絡めず、出ても活躍できんかったら、もういいか、って。21歳のときですね。思い詰めてたんでしんどかったんです。
そのときって「21歳はもう若くない」と思ってるんですよ。同じ世代の他のメンバー、香川真司もずっと出てたし、乾貴士とかも、セレッソでガンガンやってたし。だから出遅れてる感が半端じゃなくて。その時はホントもう、はよ試合に出なきゃヤバイと思ってました。焦ってね。焦らんでええのに。今思えば。
ジェフで江尻さんが3トップの左で使ってくれて、そこでなんか、ちょっと開花させてもらったというか、自分のスタイル的なものを作れて。それで、次はセレッソに行くんですよ。
ガンバに戻るという選択肢もあったんですけど、まだ自分でJ1で活躍というか、J1の舞台でやってなかったんで、J1でやってから戻りたいというのがあって。ジェフからガンバに戻ってダメやったら、またや、という感じだったんで。
そのときもガンバの中盤は遠藤保仁さん、二川孝広さん、明神智和さん、橋本英郎さん、宇佐美貴史とか、みんなすごかったんで、自分で勝負できるという確信がなかったんですよ。
でも、セレッソに行ったら、あっちも乾、清武弘嗣、山口蛍、ホドリゴ・ピンパォン、マルチネスとか、そういうすごいメンバーが揃ってたんで大変だったんです。
だから若いときはずっと不安しか無かったです。あの2年がなかったらたぶん、今はホンマにないです。
ところが戻ったらガンバがJ2に落ちちゃったんですよ。最終節のアウェイ磐田戦って、負けると降格が決まるという状況で、先制されたんです。僕のゴールで同点に追いついたんですけど、85分に同じ歳の小林裕紀に決勝点を決められてしまって。その小林のゴールのシーンと笛が鳴った瞬間のことは忘れられないですね。
逆に2014年の三冠取ったり、2015年に天皇杯に優勝したりっていうのより、そっちのほうが全然覚えてますもんね。あんとき……そうですね。僕、結構そういう悔しい思いをしたことの方を覚えちゃってるんですよ。
三冠取ったときも、試合にはスタメンで出たこともあれば、途中から出たりという感じだったんで、それも悔しかったですね。タイトルを獲ったけど、なんかスッキリしてないというか。
でも、そのときは自分でやるしかない、腐らずにチャンスを待つしかないと思ってたんで。3年目とかよりはしんどくなかったですけどね……。
プレーを超えた「存在感」の重要性
自分は全然天才型のタイプじゃないと思います。いろんなポジションをやってきたけど……でも、試合に出られるんだったらどこでもいいというか、あんまり気にしてないです。サイドハーフやからこれをしなあかんとか、ボランチやからこれをやらなあかんとか、そこまで試合中は考えてないです。
そりゃ監督に対しては言わないですけど、チームの中ではいろいろ要求しますよ。周りの選手には「こう動いてくれ」とか言いますね。人を動かしたりとかはやります。
最近やったら、高宇洋とダブルボランチ組んでるから、アイツにはまぁ結構強く言ってますね。アイツは素直に聞いてくれるし、向上心があるから。その素直に聞くって重要ですよ。自分の若いときは全然聞いてませんでしたけど(笑)。
他の人から何か言われても、自分の思ってることを曲げにくいタイプだったから。聞いとけばよかったかなとも思うけど、それやったら俺は俺じゃなくなったし。自分の感覚は一番やと思ってるから、まぁ、聞きつつって流してた感じですね。若手に言うのと話が違う(笑)。
聞いておけばよかったというアドバイスもありますよ。私生活とか体のことはもうちょっと聞いておいたほうがよかったかなって。トレーニング方法とか食事のタイミングとか。そういうのはもっと聞いておいたほうがよかったですね。
結婚する前って、食事のことはそこまで深く考えてなかったですね。食べたいものを食べて。昔からお菓子とかは食べるタイプじゃなかったんですけど、バランスとか考えずに食べてました。体のことって、昔からやっときゃよかったかなって。
体のことに対する考え方はセレッソに行ったときに変わったんですよ。セレッソってレヴィー・クルピ監督のときで、練習の中で筋トレが無茶苦茶多くて。それで体の調子も上がったので、やったほうがいいなって。
今も筋トレはメチャメチャやってますね。自分でやってるんは懸垂がメインなんですけど、これはずっとやってて。スピードトレーニングとして素早くやるやつ10回を4セットから5セットぐらい。
あとは今年から来たスペイン人のトレーナーがいるんですけど、その人はパワーだけやったらアカンという考え方で、「キレ」を出すのを重視してて。全部動きながらスピード出すというか、そういうトレーニングをやってるんです。
踏ん張ってすぐ反動で力入れてジャンプしてとか、そういうのをやってます。全身使いながらのヤツが多いですね。全身にゴムを付けて前に走るヤツとか。だから今はメッチャいいトレーニングできてます。
だからまだまだ全然、日本代表目指してますよ。やる自信もあるし。けど、選ぶのは監督なんで。
ガンバでタイトルとか一杯取って、そこでメチャメチャ中心でやってれば、選ばれるんじゃないかなって。ベテランだから、ワールドカップの前ぐらいに調子がよかったら、そこまで入ってなくても呼ばれるかもしれないし。そこはタイミングですね。
代表でもゴール取れましたしね。最初に出たのは2015年の東アジアカップ(現E-1選手権)で、次がアウェイのUAE戦で。それで2017年10月のキリンチャレンジカップではニュージーランド戦で途中交代してゴールして、次のハイチ戦はスタメンで得点して。
ただあのころも大変でしたね。これが「代表のしんどさか」って思ってました。Jリーグでの疲れと全然違うというか。なんつったらいいんだろうな……疲れの感じが違うというか、ここまで疲れるんだって。
代表の1試合だけだったらまだいいんですけど、海外で試合して日本に戻ってきてまたすぐ試合してって。「しんどいなぁ、あんな疲れんねや」って。でもメチャメチャ充実感はありましたけどね。
それでも2017年はすごい楽しかったですね。ハリルさん(ヴァイッド・ハリルホジッチ監督)は自分の調子がよければ呼ぶって感じだったと思うんですよ。信頼してもらったかどうかちょっとわからなかったですけど。でも見てくれてるというのはよく思いましたね。テグ(手倉森誠コーチ)さんがよく視察に来てましたから。
だからホンマ、ワールドカップに行きたかったですね。ワールドカップ、正直、目の前にちらっと、行ける可能性はちょっとはあると初めて感じられたから。だからホンマに行きたかったですね。
俺はハリルさんがやってた3ボランチのワキが一番合ってると思ってたんで。守備も運動量も出せるし攻撃も行きやすいし。ただ、ワールドカップのときはフォーメーション、変わりましたからね。4-3-3やったらよかったですね。
まぁハリルさんが交代になりましたから。あのままハリルさんが続けてても選ばれてたかどうかわかんないですけど。それに西野さんが監督になったけど、西野さんは自分がいたチームだからって選ぶ人じゃないから。ドライと言えばドライやから。
自分の何が足りなかったんだろうって……。まず代表に行ったときに「存在感」を出さなアカンかったかなと思うんですよね。サッカーってチーム競技じゃないですか。チームにはピッチ内だけじゃない絶対的な「存在感」ってあるんですよ。チームってちょっとグループ的に分かれちゃうんです。上のほうの人と、下のほうと。それはどこのチームでもあるんです。
レギュラーかどうかということじゃなくて、うーん……あのとき、サッカーの実力以外の部分も大事やなって思いましたね。ある選手がアシストするのと、もう1つ上の存在感がある選手がアシストするのじゃ全然違うと思うんですよ。あそこで生き残っていくにはその存在感を普段から作っていけなかったですね。難しかった。
人間的な押し出しとか、そういうのも必要やったかなって。人のいいのがよくない方向に出ちゃって(笑)。まぁみんなめっちゃ優しいし、人はいいんですけど、やっぱり自分の表現の仕方がうまいんです。
そこは出せんかったけど勉強になりましたね。代表に行ってわかりました。何をしたら存在感を出せるかっていう正解はないけど、日々の仕草とか発言とか、そういう積み重ねで作って行くもんやと思いますね。それが代表ではできなかったです。
代表で存在感があったのは、長友佑都君かな。(吉田)麻也とかもあったし、(川島)永嗣さんもありましたね。上でスタメンで出てる人はあるんですよ。自信もあると思うんですけどね。
でもガンバの若手で試合に出てないメンバーでも、そういう存在感が出せるヤツもいるんですよ。だからただ単に試合に出てるってことだけじゃないというか。そういうのは思いました。だからサッカーって難しいなって。プレー以外の部分が結構関係しちゃうんでね。
2022年ぐらいまでにその存在感を出せるように……ガンバでは出せるんで。どこに行っても、周りが全然知らん人でも出せるようになりたいですね。まぁシャイなほうなんで、それをまず払拭したいです。気が知れた人やったらいいんですけどね、それが俺の一番のウイークポイント。でもまぁこれでここで話したからもう大丈夫ですよ。
2022年に選ばれる可能性はゼロじゃないし、何があるかわからないんで。サッカー寿命って今メチャメチャ伸びてるし。今(野泰幸)ちゃん、(藤本)淳吾さん、ヤットさん(遠藤保仁)見てても、全然衰えてないし。
ヤットさんは今年のJリーグのデータでも90分間で11キロ以上走ってるし。だから選手寿命ってこれからもっと伸びて、40歳の選手ってたくさん出てくると思うし。それに乗り遅れないようにしないと(笑)。
体は今が一番いいんですよ。動きやすいし。それを維持して、とりあえずガンバでタイトル獲って。昔って引退って30歳で意識するのかと思ってましたけど、今は30歳とか全然余裕ですね。2022年出て、独占インタビューやってもらえるようにします(笑)。
シャウエッセンが食べ物の中で一番好き
食べ物で僕が好きなのは、シャウエッセンです。あれが食べ物の中で一番好きですね。あれさえあれば俺は大丈夫。お好み焼きとかたこ焼きも好きですけど、一番はシャウエッセン。
シャウエッセンって普通のソーセージですよ。スーパーで袋で売ってるやつです。ホンマに普通のヤツ。ちょっと普通のより高いんですけど。スマホに写真も入ってます。メチャメチャ好きだから。
外食のときは基本、肉系が多いですね。肉も好きなんで。今やったら赤身ばっかりです。体にいいって言われてるササミとか胸肉は、家で嫁に作ってもらって食べてます。外食では牛肉と、今やったら韓国料理ですね。オ・ジェソクとか来て、大阪の結構うまい韓国料理屋とか教えてくれて。一緒に行ったりしてます。「うまー」って、今ちょっとハマってます。
韓国料理は肉を野菜に挟んで食べますもんね。サンチェっていう葉っぱ。あとはシソみたいなので挟むのもおいしいですね。
行くときはチームメイトと行くときもあるし、嫁と2人で行くこともあります。オシャレなとこじゃないんですけど。
お勧めの店を教えときますね。インスタにも上げたことがあるんですけど、「プロカンジャンケジャン大阪店」っていう店がメッチャうまいです。普通のカニと、カニのユッケ丼みたいなのがあるんですよ。それがうまいです。それもスマホに写真入ってます。値段は……ちょっとします(笑)。だから俺もそんなには通えないです。でも、行ってみてほしいですね。カニ好きの人には避けられない店です。
倉田秋 プロフィール
ガンバ大阪ユースを経て2007年、ガンバ大阪へ昇格。千葉やC大阪への移籍を経て、ガンバへ戻った2012年以降はレギュラーに定着。2017年からは背番号10を背負う。ハリルホジッチ監督率いる日本代表でも活躍した。
1988年生まれ、大阪府出身
取材・文:森雅史(もり・まさふみ)
佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。