今のアナウンサーは言えないことが増えている……元NHK・山本浩が振り返る日本代表とマラドーナ伝説

有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回は山本浩さんに登場していただきました。NHKの実況アナウンサーとして数々の名勝負を伝えたことで知られています。オールドファンならメキシコW杯予選の韓国戦で飛び出した「メキシコの青い空」という名フレーズを覚えているのではないでしょうか。この記事ではそんな山本さんにサッカー実況の裏側、マラドーナ伝説や日本サッカーに関するエピソードについて、じっくりお話を伺いました。。 (千駄ヶ谷のグルメランチ

今のアナウンサーは言えないことが増えている……元NHK・山本浩が振り返る日本代表とマラドーナ伝説

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 1985年10月26日、曇天の国立競技場で日本はワールドカップ初出場をかけ、韓国と対戦することになった。チアホーンが鳴り響く中、アナウンサーはこう言って放送をスタートした。

 

東京千駄ヶ谷国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいてきているような気がします」

 

1986年6月22日、ワールドカップメキシコ大会の準々決勝、アルゼンチン対イングランド戦、伝説のディエゴ・マラドーナ5人抜きを実況はこう伝えた。

 

「マラドナ、マラドーナ、マラドーナ! 来たー!! マラドーナー!!!」

 

山本浩アナウンサーはその後も、ジョホールバルの歓喜、日本が初めて出場したワールドカップなどを伝え続け、数々の名台詞を残した。その裏話と、そこに至るまでにどんな苦労があったのか、今の実況の難しさを聞いた。

 

プロ野球の実況がアナウンサーのステータスだった時代

変化の多い時代だったですね。たまたまといいますか。

 

昔はですね、NHKだけではなくて民間放送もそうですけど、プロ野球を実況するのが多くのスポーツアナウンサーのステータスだったんですね。みんなプロ野球に対して憧れがありました。

 

ただプロ野球のないシーズンには一体何をやるのか、あるいはプロ野球を他の人が担当しているときにどうするのかということで、他のスポーツ、アマチュアスポーツを実況するんです。そのとき、じゃあサッカーはどうなんだと言いますと、あまりに強くなくてですね、壮年になってきたアナウンサーが男一匹目ざすものとしては、それだけでは頼りないという時代だったんです。

 

陸上競技ならまだやってもそれなりのステータスはあると。柔道というと世界でも戦って華々しい成果がある。あるいは体操ならオリンピックでメダルが取れましたからね。昔のNHKのアナウンサーには体操の実況で名を馳せた人もいて、一つの職業の檜舞台として目指すにふさわしいと考える人もいたわけです。

 

私の前ですと、相撲の故・北出清五郎さんとかですね、体操の故・鈴木文彌(ぶんや)さん。そんな人たちは、当時、まだ映像の精度もまだ高くない、でも世界で戦って強いぞっていうときに、修行を積んで技量を上げてきた人たちがやっていたわけですよ。

 

我々がそこに行こうとしてもとてつもなく距離があってですね、10年早い、20年早いという時代だったわけです。

 

これがサッカーですと、だいたい五輪のアジア予選で敗退ですから、それを目標に、という人はなかなか出てこなかったという現実があったんですね。それからテレビ局も新聞も、メダルが取れませんから、それほど大きな扱いが出来ないと。となると、どうしてもサッカーの専門家というのはどちらかというと2番手、3番手のアナウンサーになるわけですよね。

 

ところが我々が30代から40代にかけてのころというのは、テレビで言うとチャンネルの数が増えるんですね。というのは、衛星放送の試験放送が始まるんです。その衛星の放送をやるアナウンサーって、当初若い人ばっかりだったんですよ。

 

なぜかというと、地上波はみんな見るけど、衛星放送は全国の人が見てるわけではない。だったら若い人に練習やらせろよ、みたいなことだったんですね。そこにたまたま私のキャリアとしての世代が重なったっていうアドバンテージがあったんですね。

 

それから、当時は試験放送ということでまだ無料の時代だったのですが、海外サッカーを放送するにしても時間が悪いわけです。放送開始が深夜の2時とかでしたから。そうすると、若い人しか見ないだろうということで、どちらかというと若い人向けのチャンネルで、若い人向けの番組がサッカーだったというところだと思いますね。

 

それに、サッカーはある意味で言うと、若いアナウンサーたちにとっては失敗しても苦にせず出来るぞと。その代わりに誰も見てないかもね、というスポーツだったんです。そういう幸せというか、幸運、巡り合わせがあったということですね。

 

練習後に選手たちとそのまま飲みに行く時代

1982年に全国中学校サッカー大会を愛媛県でやったんです。当時、私は愛媛県松山市に赴任していて、その大会の担当アナウンサーをやれと言われたんです。たしか教育テレビで土曜日の午後3時からの試合だった気がします。

 

とても東京から経験豊富なアナウンサーを呼んでやるものではないだろうし、それに中学生だから、誰がやっても基本的なことから調べなきゃいけないぞと。だったら地元でやれば出張旅費もかからないし、お前やれよ、みたいな感じで当てられたわけです。

 

そのとき、サッカーを担当していた東京のプロデューサーが、解説に日本代表のコーチだった花岡英光さんを当ててくださった。花岡さんは若い世代も見てらしたので、中学生のことも非常によく知っておられたんです。

 

それで私がアナウンサー、それこそ駆け出しの転びかねないアナウンサーですね、横には花岡さんというコンビで、その全国中学生大会を放送したんですよ。花岡さんはのちに私が教壇に立つことになる法政大学の卒業だと聞いて、これまた巡り合わせでしたね。

 

当時四国では帝人サッカー部がJSL2部にいました。私はサッカー好きで、練習なんかもよく見に行ってたんですよ。ただそのころは2部の試合を、帝人の社内の平地のピッチで試合をするんですよ。お客さんはほとんど入ってなかったですね。その状況を見たりしてましたので、サッカーはどうかなぁ、と思ってたんです。

 

すると四国に日本代表が来てキャンプをやるというんです。しかも特別コーチで来たのが、1974年ワールドカップ優勝メンバーで、のちにドイツ代表チームの監督になったベルティ・フォクツだったんです。

 

日本代表の取材をしてる記者は、専門誌の方以外では、そんなに多くなかったころですよ。フリーランスの方はおられなかったと思います。僕は大学でドイツ語専攻だったものですから、「フォクツが来るから行かせてくれ」と言ったら、「じゃあ何か撮ってこい」と。そのときにインタビューを撮影して四国のローカル放送で出したんですね。

 

どうして日本代表が四国に来たのかというと、当時愛媛大学に田中純二先生というJSLの理事の方がいらっしゃって、その方が声をかけたんだと思うんですよ。温泉があるからどうだ、と。で、フォクツが温泉があるから行くと言ったとは思えませんから、そこは森孝慈監督と花岡さんが行こうと言ったと思うんですけどね(笑)。

 

我々は取材に行って、練習後に選手たちとそのまま飲みに行ったりご飯に行ったりする時代ですからね。たとえばGKの田口光久さんと一緒に寿司屋に行ったり、田中孝司さんと食事をしたりして。そういう時代で、そこから日本代表のとっかかりが始まったという感じです。

 

選手と一緒に食事に行ってたときは、お寿司とかで、お酒が付いてましたね。彼らは彼らで食事はホテルや旅館で出たわけですから、それとは別に息抜きをしたかったのだと思います。同じ人たちだけでずっと合宿という籠もった生活空間にいるわけですから。

 

そんなときの息抜きに食事というのは大きな力を発揮してくれるわけです。体を作るとか栄養補給というだけではなくて、気分転換のためにとても重要だったんです。グルメを求めるのは必ずしも満足度とか食欲を満たすということだけではなくて、そこに生まれる環境と言いましょうか、空気というものに非常に大きな影響があったのだと思います。

 

たぶん、旅館で食べたほうがおいしいものが食べられたと思うんですよ。僕は安サラリーマンでしたから、選手のほうが給料が高かったでしょうし。あ、選手もアマチュアだからそんなに給料も高くなかったかな。当時は日当も出てませんでしたしね。だから庶民的な寿司屋に行ってました。

 

国立競技場の韓国戦は鳥肌が立ってる中でマイクに向かった

1982年スペインワールドカップのときは、アナウンサーが羽佐間正雄さんと水野節彦さん、解説は当時ドイツに滞在中だった松本育夫さん、それから故・岡野俊一郎さんとか、そういう重厚なメンバーが行かれました。

 

それが1986年メキシコ大会では、衛星放送が出来たから放送が増えると。そうしたら試合の放送は夜中になるけれども、BSでどんどん流すことになったんです。だったらこの先のことを考えて若いのを行かせようかということになったんですね。

 

また6月と言いますと、通常はプロ野球で非常に大事な時期ですね。羽佐間さんはプロ野球やゴルフで、ゴルフもたとえばオープン競技なんかやるときは羽佐間さんが欠かせないメンバーでした。それで羽佐間さんが、サッカーは若いのにやらせろよと言われたと思うんですね。

 

じゃあ若いのは誰かというと、たまたま当時東京に異動してきたばっかりの私だったんです。そのころ私は毎週火曜日午後1時半から、ラジオの冠婚葬祭入門の相談の番組をやってました。メインの担当は女性で、私はそのアシスタントだったんですね。

 

あとは、日曜日の午前中に放送がありました「あなたのメロディー」という音楽番組、その他はプロ野球のスコアラー、アマチュアスポーツのインタビュアーとか、そういうのが多かったですね。

 

そういう意味ではマイクに向かって放送するというのは、私にとって大きな仕事ですね。それまでも日本サッカーリーグ(JSL)の放送は担当もしてましたし、東ドイツハンドボール代表が駒沢体育館に来たときのインタビューなんかもやってました。

 

ですけど、初めての大きな舞台がそのワールドカップの前の1985年ワールドカップアジア予選だったですね。それで1985年10月26日、国立競技場の韓国戦が来るんです。

 

放送前にテストがあって、だいたい始まる1時間前に始めて30分前に終わるんですけども、そのときにどういう様子の映像が出るかだいたいわかるんです。その映像の中身で、実際に始まるまでに何が何分間しゃべれるのかという想像が大体つきます。その段階で「さぁどうしようか」と考えるんです。

 

前日考えたフレーズがあったとしても、天気が違う、お客さんの入りが違う、けが人が出てるかもしれない、ということがありますから使えないんですね。何を話すかその場で考えるしかないわけです。

 

放送が始まって、たとえば「機材が壊れたのでここの映像を流すのは止めます」ということもあるわけですし、最初にビデオを出しますから黙っていてくれということもあるんですね。事前に打ち合わせした映像がなくなってしまう場合もありますから、急に何かしゃべらなければいけないということもあるんですね。

 

ですから私の場合はですね、直前まで何もしないというのが普通のパターンです。夏休みの宿題も最後の1日か2日でやらないと気持ちが入らないタイプでしたので。それこそ多くの場合で、テーマ音楽が鳴っているときに、目の前のメモに書いておくという感じでしたね。そうじゃないと気持ちが入んないんですよ。その気持になってこないんです。ギューっとこないんです。

 

チャンチャカチャーン、チャチャチャチャンチャカチャーン、っていう当時のスポーツ放送の前のメロディ「スポーツショー行進曲」には、長さが2つバージョンがあって、長いのが鳴った場合は音楽が始まって話し出すまでに20秒ぐらい時間があるんですね。その間に単語を3つぐらい書いて、それをつなぐという感じです。

 

事前に書いておくと読んじゃいますんで、単語にしないとマズいんですね。もし読んでしまうと隣にプロが一杯いますから、終わった後に「お前、読むんじゃないよ」って言われちゃうんです。

 

それで、読まないようにするにはもう単語しかないんです。でも単語が何も思い浮かばないことがあるんで、そのときはそのまま出たなりに話してました。僕の前の人たちは、「サッカーファンのみなさん、こんにちは」とか「たいへんいい日和に恵まれました国立競技場」とか、そういう形だったんですよ。でも僕は人と同じことをしたくないタイプだったもんですから。

 

もし何か前日考えていたら青空のコメントにしてたと思うんですけどね。天気予報を見てたとしても、普通は雨のことなんか考えないですから。でもその日は曇り空だったんですよ。

 

あのコメントは確か、放送前にトイレに行って、戻ったときにフレーズを、単語を書いた気がしますね。それで試したとき、最初僕は「東京代々木の」って言ったんですよ。そうしたらディレクターが「ここは代々木じゃないぞ、千駄ヶ谷だぞ」って。

 

それで「代々木」を消して「千駄ヶ谷」って書き直したのを何となく憶えてるんです。だけどフレーズは「東京」「代々木」「国立競技場」「メキシコ」って書いたぐらいです。「青い空」って書いてないんですよ。

 

あの日はチアホーンがすごくてですね、僕の精神状態としては周りからギューっと絞られてる感じですよ。当時のサッカーファンから「行くぞ!」って絞られた感じです。それが出たんですね。

 

もし前日、何も絞られてないところで単語を出してたら、たぶん緩んだコメントになってるはずなんですよ。当日その場に行って、「うわ!! すげぇ!!」って鳥肌が立ってる中で始めますから、余計にそういう、それなりのものが出たと思います。

 

ですが自分では何を言ったつもりもなかったんです。ディレクターも、先輩アナウンサーも何も言わなかったです。だから一般の方が「あれよかったね」とおっしゃっても、何のことだったかわからなかったんですよね。本当に。今から考えてみると、当時は他の人に比べるとちょっと変わったコメントだったかなと思うんですけどね。

 

マラドーナの伝説的プレーの裏側 放送席で起こっていたこと

1986年メキシコワールドカップ、準々決勝のアルゼンチン対イングランドで、「マラドーナ」を連呼したのは、メモに書いてあったからじゃないです(笑)。

 

あの大会は解説が岡野さん、松本さん、釜本邦茂さんですね。一緒に試合を見ながら、いろんなことを教えてもらってました。

 

ディエゴ・マラドーナに関しては、みなさんやっぱり1979年日本ワールドユース選手権のことなんかを教えてくださいました。松本さんなんて、その大会で日本ユースの監督を実際にやっておられたんで、マラドーナの凄さを知り抜いていらっしゃいましたし、岡野さんもべたぼめだったですよ。

 

マラドーナの試合の放送は、ベスト16のウルグアイ戦もやったんですけど、あのイングランド戦のときはちょっと図抜けていたと思います。マラドーナはよく見てましたし、取材にも頻繁に行ってましたので、マラドーナがこんな感じだというのは把握してたんですけど、結果的に言うと、マラドーナがあそこですごいプレーをしたために、世界中のアナウンサーが私と同じようなことを言ったんじゃないかと思うんですね。

 

たぶん世界中のアナウンサーがあれ以上、言いようがないと思うんですよ。だから誰がやっても言えたフレーズなんじゃないかと思います。そのぐらいのマラドーナのプレーだったと思うんです。

 

ただあのときは、直前に岡野さんにいろんな話を聞いてました。岡野さんが間をつないで結構長い解説をなさったんですね。当時我々は、解説者が長めの話をしたら、話が終わって一回短いフレーズでまとめろというふうに指導を受けてたんです。

 

それで岡野さんの話が終わりそうになったときに、ハーフラインのアルゼンチン・エンドでマラドーナにボールが入るんですよ。そこでマラドーナはターンしてドリブルを始めるんです。

 

そのとき、私はマラドーナにボールが入っているのを認めてるんですけど、確か岡野さんの話をまとめようとしてるんですよ。それで最初にマラドーナにボールが入ったときに「マラドーナ」って言えてないんです。

 

普通ならば、マラドーナにボールが渡ったら、すぐに名前を言わなければいけないんです。私がもっとずうずうしいアナウンサーになっていたなら、その後はずうずうしくなるんですけど、全然岡野さんの話を気にせず「マラドーナ」って言ったはずなんですけど、そうしてないんです。やっぱり礼を尽くさなければならないんじゃないかと思ってて。そこで一回モゴモゴやってるんです。

 

それで1発目に「マラドーナ」って言ってないので、その瞬間に「いけね! 1発目言えてない。帰ったら叱られるんじゃないか?」と思ってました。それで「マラドーナ」っていうのは2つ目のプレーから入ってて、本当のプレーから言えば1つ少ないんです。

 

自分としては「いけない!」という思いがあったんですけど、その「いけね!」を消すぐらいマラドーナがすごいので、次第に音程が上がらざるを得なかったというところですね。「いけね!」から逆に集中しなければいけないとガーッと気持ちが入っていくんですけど、それが結果的にマラドーナのすごいプレーで引っ張られたということですね。

 

1990年イタリアワールドカップもNHKは全部放送したんですけど、決勝戦の解説には王貞治さんもいらっしゃいました。これは理由があったんです。

 

当時、野球の解説者の方には年間の給料が払われてたんです。たしか年間数百万円で、あまり高くなかったと思います。解説に来ていただいてた故・川上哲治さんや故・鶴岡一人さんは、NHKの放送で食べていくとかそういう人じゃないですから、金が少ないから嫌だとかそういうことをおっしゃる時代じゃないんです。広岡達朗さんにしても広瀬叔功さんにしても。その給料に加えて、1試合ごとの謝礼金もありましたが、全体で出せる年間予算は決まってたんです。

 

そんな中で王貞治さんが現役をお辞めになって、NHKがぜひ解説にお迎えしたい、王さんもNHKでやりたいとおっしゃってくださいました。ところが王さんにその年間のお金が払えないんです。そこでどうしたかというと、1試合の放送のお金を多くしましょう、大きな舞台を設定しますからどうですか、ということになったんです。

 

それでそのときの大きな舞台は何かというと、ワールドカップだったんですね。ですから王さんの立場を考えたつもりのプロデューサーと、当時の解説者の枠、そういったものが関係して、決勝戦の解説になっていただいたんです。

 

余談ですが、当時プロ野球のほうが早くプロスポーツとして放送の経営計画の中に組み込まれていました。ですが、サッカー解説者には年間給料というのは、釜本さんにしても木村和司さんにしても出てませんでしたね。

 

民間放送も年間契約のない解説者もおられると思います。当時はまだ放送の数そのものがチャンネルの問題もあって多くありませんから、テレビだけじゃなくてラジオも含めて年間数百万円ぐらいだったと思います。

 

話を元に戻しますと、決勝戦のとき王さん、大変だったと思いますよ。アナウンサーも聞くことがなくて本当に大変だったと思いますね。王さんもキツかったでしょう。ですが、とにかく王さんを出せばいいんだという経営者の判断がありましたね。

 

今だったら特別スタジオに王さんを出せばいいんでしょうけど、ところが当時はそういうモノが制度としてできない時代です。ハードウエアとしても、スタンドのそういうスペースを売ってないですし、スタジアムの外でそういう場所を作っても、回線でつなげなかったでしょう。

 

そういうことが出来なかった当時は放送席に王さんを置かざるを得なかったんです。私は3位決定戦のイタリア対イングランドを担当してまして、決勝戦のときは放送席の隣の階段に座って聞いてたんですけど、いやぁこれは大変だ、オレだったらどうしようかってくらいに思ってました。

 

カメラ性能の進化が実況アナの仕事を変えた

私がサッカーの実況を始めたころは、今に比べるとスローインが非常に多かったり、プレーが良く止まってました。話す立場としては、何人ものプレーヤーが絡まないことは楽だったと言えますね。3人プレーしていれば残りのフィールドプレーヤー、7人は止まっているという状況だったと思うんです。止まっている7人のうちの2人は酒臭いみたいな(笑)。

 

放送する側から言えばやりやすいんですけど、変化に乏しいというかですね。それはプレーの中身だけじゃなくて、スピードの変化とか、ボールの展開の変化も少ないし、サイドチェンジも少ないわけです。

 

だからあまり何も書いてない絵画を論評するみたいなもんでした。キャンパスの中にあまり書いてないと白地が多いですよね。それを論評すると言いましょうかね。ですから、余分な話がすごく必要なんです。味付けのために。

 

松本さんなんかはよく、イングランドではこうだとか、ブンデスリーガではこうだって、日本リーグの試合の中でおっしゃっていたんですね。それはそこでプレーが止まってる、選手が文句言ってる、倒れて起き上がってこないという状況のときで。

 

そんなときに付ける話が必要だったんです。プレーそのものの味が薄いもんですから、そういうのを挟まないとお客さんが飽きてくるんです。蕎麦のタレがあるんだけど、薬味がほとんどないみたいなもんですよ。

 

ですから、若いアナウンサーにとっては自分の下手さがよくわかってしまう、経験のなさがよくわかってしまう放送だったんですね。それを松本さんはわかっていてフォローしてくださっていたんです。

 

今はプレーの中身が濃いから、アーとかウーとか言っているだけでも、それなりに見ている人が楽しめます。逆にプレーそのものが濃いのに、そこに重い資料やデータを出してくるとうるさく感じてしまうんですね。

 

ご覧になっている方のレベルも非常に高くなっているし、プレーヤーも戦術も、それから外国の情報もわかっている。番組の中のビデオの出し方、字幕、データ、その他も明らかに豊富になっていますから。それに比べると我々は売り物のない皿で勝負してたということです。

 

技術的なことで言うと、今とはカメラの性能がまるで違うんです。そうすると遠くから撮ることが出来ないので、どうしてもワイドな画面になってしまうんですね。ワイドな画面だと、もうちょっとこのプレーを詳しく見せてくれっていうときに苦しいんです。

 

たとえばイングランドのプレミアリーグですと、もっと近くから撮ってるんです。陸上用のトラックがないから、ピッチに近いところにカメラが置いてあって、アップの映像も撮れるわけですね。

 

それと同時に、当時のハイビジョンカメラは「パン」という動きに対して非常に弱かったんです。カメラを固定したまま右から左、左から右、上から下、下から上に動かすのを「パン」と言うんですが、「パン」すると、当時の出来たばかりのハイビジョンは、横に映像が流れてしまうんですよ。跡を引いてしまうんです。そのためにパンが出来ないので、ワイドのまま固定してそれをアナウンサーがしゃべって説明するということだったんですね。

 

ですから90年代に入ったばかりのハイビジョンでは、どこに誰がいるかを言わなきゃいけない。そうすると、どんなプレーかを言う前に、どこに誰がポジションしているというのが優先するもんですから、放送の仕方が今とだいぶ違うんですね。説明役だった。

 

その前は画面の精度が低いので説明しなければいけませんでした。それはカメラの性能、レンズですね、それから、お客さんのご覧になっているモニターの精度が低いわけです。場合によっては白黒でご覧になっている方もいらっしゃったでしょうから、色を言えとかですね、そんなことを指示されたりしてました。

 

カメラの映像をそのまま電気的に信号に変えて発射して、受け側に届ける途中の部分に回線があるんですけど、その回線の性能がよくなくて、よく見えない。焦点の合わないメガネで見ているような時代ですよね。極端に言えば。老眼になった目のよかった中年の男って感じですよ。

 

野球で言いますと、あるときからプロ野球はカメラがバックネット裏からセンターに移るんですね。バックネット裏からだとアンパイアの姿が邪魔になってボールの行方が最後までは見えないんです。

 

我々ネット裏から放送してまして、当然モニターもそこから撮ってる。甲子園なんかは高いところから撮るようにしましたから、それでもまぁボールのコースなんかは見えるようになりました。

 

けれど、カメラがセンターに移動してキャッチャーを真ん中に入れるのがメインになるわけです。それはとりもなおさず、カメラの性能がよくなったからです。カメラの性能によっていろんなモノが変化した。我々の見るものも変化していったんです。

 

我々が初めて放送していたときというのはカメラの性能が低くて、説明をするというのが10のうちの3から4あったようなきがします。今は説明というのは0.5ぐらいしかないですね。説明を字幕で出したりしますし。昔は手書きの字幕も出ていましたし、その後はタイプで打った文を焼いてから出すみたいな、すごく時間がかかるものだったので、全部口で説明しなきゃいけないんです。

 

それから時計も出てませんので、手書きの数字を30分、45分って出してたましたね。そういう時代です。時間も口頭で言わなきゃいけなかった。実況はいろんなことしなきゃいけなかったんですよ。お客さんのほうも昔の放送をずっとご覧になってなかった方が今の放送をご覧になったら「なんてノンビリした時代だろう」って感じになるんじゃないかと思いますね。

 

今のアナウンサーは言えないことが増えている

今のアナウンサーは、試合の中で言えないことが増えてきてると思いますね。

 

その1つがコミュニケーションの問題です。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が退任なさる際のキーワードが「コミュニケーション」だったですね。ところが、「コミュニケーション」とは、実況が試合の中ではなかなか口に出して言えない言葉です。チームそのもののベースの部分ですから。

 

もう1つ、チームがどれくらいリフレッシュに成功してるかというのも、言うのが難しい言葉ですね。疲労からの回復はチームのパフォーマンスに影響します。今、ヨーロッパの指導者たちが現場の選手たちによく言う台詞があるんです。

 

「技術とフィジカルは足すことが出来る。技術の力を7、フィジカルを8とすると、15というのがこのチームが持っている力である。それに対して、そのときの気持ち、つまり戦う気持ちとか勝ちたいという気持ちは掛け算しろ」

 

この気持ちの部分ってなかなか試合の中では比べにくい部分ですよね。一方で、一発勝負じゃない、ワールドカップやオリンピックのような中数日で戦うような試合ではコンディショニングもかけ算になるんですね。

 

では試合の中で選手の動きが悪かった場合に、もともとこの選手には体力がないのか、それともこういう大会だからないのか、この大会の中のリフレッシュメントを誤ったからなのか、大会に入る前のコンディションの上げ方が悪かったからか、そういうものがなかなか見極めにくいんです。ただそれが結果的には勝敗につながってしまうんですよ。

 

先日、ドイツ・ライプツィヒのRBライプツィヒ、レッドブルが買収したクラブですね、その選手たちの試合前の練習施設を、メディアと言ってなかったら、ちょっと見せてもらえたんです。そのときに担当のスポーツディレクターが言ってました。「今の時代の一番大事なことは、ドイツ語の『レ・ゲネラチオン』、英語で言う『リ・ジェネレーション』だ」と。

 

これは、組成、再組成、疲労からの回復という意味なんですね。疲労からの回復のためにどれだけのことをやるかということが今のプロのクラブに求められているんです。ブンデスリーガでは金、土、日に試合をして、火、水にも試合があったりして、ほとんど毎週のように、1週間のうちの7日間を全部使うようなすごく厳しいスケジュールになってるんですね。

 

そうするとツープラトン、ターンオーバーを使ってもどのぐらい選手の疲労が回復できるかというのが大きな問題になるんですね。それで疲労回復のための大きな施設があるんです。窒素を使って氷点下になる部屋を使ったり、足だけ入れる冷たい水の浴槽だとか、いろんなことをやってる。疲労回復が最大の課題だと言ってましたね。

 

金のあるクラブは、ある程度の才能をお金で買ってきて、そこで十分な自分を高めるための状況を作り出し、その能力を発揮してもらい、あとはどうやってそれをキープするかっていうことなんですね。1つのクラブでもここまでやる時代に入ってきたのかなという、そんな感じを持ちました。

 

ワールドカップの中4日というのは非常にきついと思うんですけど、決勝トーナメントに入ると中3日が入ってるんですね。これロシアワールドカップの場合には途中に中5日のチームもあって、明らかにFIFAはグループAのポット1、つまり開催国というのは決勝トーナメントにあげて上げるんだという、そういう日程の組み方ですね。

 

それに対して中4日、次も中4日という日程で来た日本は、3戦目のポーランド戦の残り10分をやらなかったことで、どのぐらい得したのかですね。評判を落としましたけど、どれくらい体力的に借金を増やさないで済んだのかという、そういうのをなかなか試合の中で言い切ることは出来ないんですよ。

 

あれもし、ポーランド戦を最後まで正々堂々と戦っていたら、ベルギー戦で最初にリードしてないと思うんですね。最初から3点取られて終わってるかもしれないんですよ。そういうことを考えると、体力という要素をどうするのかというのは、サッカーの技術部分では出てこないので、その関係性をわかったうえで放送しなければならないんです。

 

疲労回復の方法にしても、そういうことを放送に臨む前に知っているのと知らないのとではお客さんに提供できるサービスが違ってきます。そういう、かなり厳しい時代になってるんじゃないでしょうか。

 

たとえば放送の世界では、すでに2014年ソチ冬季五輪で、距離レースの選手の体に赤外線を当てて、体温の上昇をテレビに出せないかという、そういうトライもしてるんですね。競技団体によっては実際にそれぞれのワールドカップでやってるところもあるらしくて、心拍数と体温で選手の疲労度のある程度の想像がつくらしいんですよ。

 

そういうデータを出すと競技団体によっては困るというところも出てくるんですけど、サッカーの場合でいうと、何キロ走ったのかとか、時速何キロだったのかというデータ的に持ってますが、それを常時コンピュータで置き換えて、この選手の残っている残留体力なんかがわかり、すると試合展開もある程度のことはわかってくるはずなんです。

 

実は我々もそういうデータがどう影響しているのか知りたがって放送してるんですね。そろそろこの選手を代えたほうがいいんじゃないかとか、チーム全体で今はどうかっていうことがわかりたいんです。

 

今は、「序盤からこんなにプレスをかけていいのか?」というのを解説者に投げかけなければいけなくなってるんですよ。そうじゃないと、「この試合はもう1点取りにいかなくてもいいか、体力を残しておいて次の試合でうまく戦えるようにするべきかどうか」という話題になる。そんなところまで時代は来てるんじゃないかと思います。

 

ですが体力のことを言葉にするにはしっかりとした根拠がないと言えないと思うんです。アナウンサーがちゃんと知った上で解説の人に投げかけなきゃいけない。解説の人もアナウンサーが何でそんなことを聞くのかなっていうところを、放送が始まる前にお互いの共通項として持っていなければいけないですね。

 

それから、本当はテレビを見ている人が結ぶ、あるいはスマホを見ている人が自分の中で結論づける、「おれはこうだと思う」というようにしなきゃいけないんですよ。アナウンサーは答えを出しちゃいけない。解説も答えを出しちゃいけないんです。

 

解説は「この可能性とこの可能性があるんだけどね」って言って、あとは見ている人が「これはこうだと思う」というように持っていく、それが本当は一番、放送と視聴者のコミュニケーションになると思います。

 

たとえば2016年リオ五輪の体操で、最終種目の鉄棒の前に2位の内村航平と1位のオレグ・ベルニャエフには点差が0.901ありました。そんな状況で内村は「3回捻り」を入れるのか入れないのか。解説者の方が、入れると点数はこれくらいになる、入れないとこれくらいになる。だけど左手の中指の状態を考えたときにチャレンジするかしないか、ということを言って、どうなるかを視聴者の方が見るという感じですね。

 

完成品を渡すんじゃないんですよ。見ている人の「画面じゃ見えてないけど、現場だとそこまで見えるのか」という材料を提供して、「オレはこうだと思うよ」というところに導いてくれるというか、そういうゆとりをくれるというか、そういう放送がそろそろ求められると思います。

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市場に行くと今の日本の台所事情がわかる

2017年9月から2018年8月までドイツに赴任していたのですが、あっちに行ったら肉、肉、肉でした。今回、ドイツから帰ってきてご飯を食べてると、日本の食事って脂が全然ないって思いましたね。

 

朝はご飯でしょ。味噌汁、納豆、漬物。それからサラダ、これにかみさんが気を遣って冷しゃぶ。脂が何もないんです。ポン酢かけましたし。ポン酢に脂ないですよね。

 

ヨーロッパだったら、ポン酢は「体が乾く」っていう言い方をすると思うんですよ。脂がないから。日本人は脂を本当に摂らない民族なんだと思いました。その脂を摂らないことが、もしかしたら20万年の間に体を変えたんじゃないかと、そんなふうに思いましたね。

 

このまえある大学の先生が、日本人の腎臓はネフロンが欧米の人に比べて少ないっておっしゃってましたね。日本人は63万個ぐらいで、欧米は90万個ぐらいだって。3分の2ですよ。腎臓の機能が当然違うんです。

 

ヨーロッパに行くと、水にミネラル分が多いじゃないですか。それから塩分の高い食事も多いですよね。あれ、たぶん、腎臓の機能の関係もあるんじゃないかと思うんですよね。それからヨーロッパ人はトイレに行かないですよ。日本人はやたら行くんです。ヨーロッパ人に言わせると、お前らなんでそんなに行くんだっていうくらいですよ。彼らとはいろんなものが違うんですね。これ、食べ物のせいだと思うんですよね。

 

そういう食事をしきたので体の構造とか仕組みとか出せるパワーが違うじゃないですか。それをチームの力として持ち出すためには何をするかということは考えておかなきゃいけないと思うんですよ。肉を食べたらいいとかいうのは精神的な問題だと思いますよ。そりゃ20万年ぐらい経たないと変わらないんじゃないかと、帰ってきて思いましたね。

 

それから食べ物って、その空気を作るという意味でも大事なモノですから、僕らがヨーロッパに行っておむすびを食べたいとか、うどんを食べたいというのはある意味正解だと思いました。

 

帰国して、僕は天ぷらうどんが食べたかったですね。僕一番最近食べておいしいと思うのは川崎市中央卸売市場北部市場の中の店に「タンメン」があるんですけど、これがメッチャクチャうまいです。これはお勧めですよ。

 

僕は市場巡りが趣味なんです。出張の度に朝の市場に行ってました。函館に行ったときは、普通の格好では入れないと知ってましたので、上も下も濃紺の作業着を持っていって、それで見て回ったんです。

 

市場は面白いんですよ。岐阜に行きますと、鮎とカジキが素晴らしいんです。宮崎に行きますと、ミズイカがすごかったりですね。大きなミズイカが3杯で4000円。「それでいいの?!」って言いながら担いで帰ったり。

 

市場って通常、一般の消費者は入れないんですよ。お魚屋さんと料理屋さんを保護するためにそうなってるわけですけど、市場の人は、最終的にお魚屋さんと飲食関係の方がお帰りになった後、余ると困るわけですね。

 

だから我々は市場が閉まるころになってそういうものを買わせていただくというのはあるんです。早く行くと、モノを見て回るだけです。売り子の若い衆と話をして帰っていく。市場に行くと今の日本の台所事情がわかってきますよ。

 

山本浩 プロフィール

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1976年にNHK入局。1980年代からサッカー実況に携わり、1985年メキシコW杯予選韓国戦「メキシコの青い空」などの名フレーズで知られる。2000年以降はNHKの解説委員も務めた。2009年のNHK退局後は法政大学教授など、多岐にわたって活動している。

1953年生まれ、島根県出身

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

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