あのとき僕の出番は来なかった……齋藤学はピッチの外から見つめた2014年ブラジルW杯を忘れない

有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回は齋藤学選手に登場していただきました。得意のドリブルを武器にロンドン五輪に出場、代表メンバーにも選出されたが出場はなかったブラジルW杯、そして2018年には横浜F・マリノスを離れ川崎フロンターレへ完全移籍した28歳の選手です。ピッチの外から見つめたブラジルW杯やケガについて貴重な話を伺いました。 (関内・馬車道のグルメスペイン料理

あのとき僕の出番は来なかった……齋藤学はピッチの外から見つめた2014年ブラジルW杯を忘れない

f:id:g-mag:20181107141102j:plain

2014年ブラジルワールドカップ、日本の第2戦

1人少ないギリシャを相手に齋藤学の出番が来るのではないかと思われた

齋藤なら引いて守る相手をドリブルで引き剥がすに違いない、と

だが出番は来なかった

 

ミックスゾーンに現れた齋藤は青白く見えた

記者たちが囲んで話を聞くといつもどおり丁寧に答えていたが

もちろん元気はなかった

心中を察して記者たちも静かに離れた

 

捲土重来をめざした2018年ロシアワールドカップだったが

齋藤は2017年に右膝前十字靱帯損傷で全治8カ月の大ケガを負ってしまう

失意の中でのフロンターレ移籍

その後も一度は復帰したものの万全とは言いがたい

 

齋藤にとって本当に苦しい時期が続いているだろう

話を聞いている間も揺れる胸の内が見えるようだった

だがそんな時期でもこうやってきちんと言葉にできるのは

齋藤が前を向き続けているからだとも知ることができた

 

28歳はもうベテランかもしれない

ケガの状態は、練習試合で90分プレーできたかと思うと、その反動で痛くて別メニューになったりとか、そういうすごく微妙なところはあります。やったらやれるけど、その翌日には患部が固まって痛くなったりだとか。練習に参加するかどうかはメディカルチームと話して決めてもらってます。

 

今はもう28歳ですよ。僕が入団したときは28歳って結構いい年齢だと思ってました。もちろんカズ(三浦知良)さんがいるし、僕が育ってきた中ではドゥトラやボンバー(中澤佑二)もシュン(中村俊輔)さんもいたし、フロンターレに来たらケンゴ(中村憲剛)さんもいて、30歳後半とか40歳に足踏み入れてるのに試合に出続けてる人を見てる。だから中田英寿さんが引退したときが29歳だったとか、今聞いてびっくりしてますね。

 

だからこそ、やっぱり28歳っていったらもう10年目で、結構なベテランじゃないかなって。今は昔と比べると年齢が高くても試合に出続けているプレーヤーが増えてる気がするけど、僕はプロになったとき、同学年の(端戸)仁と「一緒に10年はやろうね」「10年目標だね」って言ってたぐらいですからね。それが今年で10年目。

 

10年前だったら30歳まで現役をやってるって貴重だったと思うし、それなりにやってないとクラブに残っていられないというか。J2やJ3ができて受け皿がしっかりしたというのはあるかもしれないですけど。そう考えると、僕の選手生活はまだまだ長いものになる。

 

それだけで言ったら、今は無理してやらなくてもいいんだけど、今の立場ではそんなことは言えなくて。移籍してきて、フロンターレに移籍するにあたってオレを取ろうと言ってくれた人がいて、ファンやサポーターの人はいろいろ期待してくれてる人もいる。

 

そんな気持ちに応えたいというのが自分の上に乗ってると、やっぱり休んでる場合じゃなくて体をちょっとはいじめないとコンディションは上がってこない。早くコンディション上げてチームに貢献しないとダメなんです。

 

ただそこでコンディションを上げようとすると体のどこかが痛くなるという、とても微妙なラインで戦ってなきゃいけなくて。ケガしないというのがベストですけど、サッカー選手にケガは付きものですから、負傷してもどの程度で納めるかというのは大事ですけどね。

 

試合に出てちょっとドリブルしたときや、天皇杯で点取ったりしたときでもたくさんの声援をもらえる。でも、自分はこんなもんじゃないと思ってるんだけど、それが出せないふがいなさとの戦いで。もっとやれるしもっとできると思ってるけど、結局川崎では見せられてない。これからどうなってくるんだろうという不安との戦いもある。本当に人生って難しいですね。

 

今が一番キツいし辛い とにかく試合に出たい

この前、アメリカでNFLの選手が、ハーフタイムに引退を表明して、その後その試合も出るのを止めてチームメイトが「無礼だ」って怒ったっていう記事を見たんですよ。

 

その日、自分のパフォーマンスが全然ダメで、終わった後風呂場に一人でいたらその記事が蘇ってきて。「オレ、これで引退するのかな」って思ったりして。「あぁこんな考え方じゃダメだな」って思うんですけど、でもふと思うことはあります。

 

このケガで自分の能力的なものが回復しなくて、そうしたら自分の存在価値ってどんどんなくなっちゃうワケじゃないですか。そういうのを感じちゃうときが、やっぱり辛いですよね。

 

ただフロンターレに来て思うのは、止めて蹴るとか、パスとか、それなりに自分はできると思ってた部分が全然出来てないという感じがわかって。もっと止めて蹴るとか、サッカーとしてどうやったら強くなれるかというのを見る、体感するという点では本当に来てよかったと思います。

 

「自分はできる」という気持ちは強く持ってるほうだと思うんですが、自分のパフォーマンスによっては不安に思ったりするんですよ。心を作って練習に行くんだけど、結果うまくいかないことが多くて「あー、難しいな」って思うんです。

 

ただ、ドリブルが本調子ではなくても、ラストパスを出したり真ん中でプレーしたり、ボールをちょっと運びながらスルーパスを出すプレーも少しずつ出していきたいです。

 

フロンターレは少ないボールタッチ数でどんどんパスを回して相手を剥がしていくけど、その中でどれだけドリブルするのか、ボールを抱えていくかというのはちょっと変わったプレーで。ただ自分はそういうプレーをする異色な存在でありたいとは思ってるんです。

 

今難しい状況に直面してますしけど、逆に今苦労している分、それがまた意味のあるものになっていくのかなっていうふうに感じるというか、意味のあるものにしなきゃいけないと思うんです。

 

今は辛いしネガティブになるかもしれないけど、自分がネガティブになっててしんどいというのもわかってるから。このしんどいことから逃げたり、解決策を見出そうとしないで過ごし続けてたら意味ないんだけど、しっかり考えてる。

 

この状態に対して、どういうアプローチをしていればどうなっていくというのをやっておけば、今後のサッカー生活や人生においても、どんだけこの1年が苦しくても、意味のあるものになると思うんですよね。

 

それにこれまでも苦しい思いをしてるし。ただ、ワールドカップで出られなかったこともあるけど、そういうのを経験しても今が一番どん底かな。これまでも辛いと思ってたかもしれないけど、自分の過去って全然幸せじゃんって思う。今が一番キツいし辛いからこそ、意味のあるものにしなきゃいけないかなって。……とにかく試合に出たい。その一心です。

 

ブラジルW杯では人生最高のコンディションだったけど…

2014年にワールドカップでブラジルに行ったときに、自分は今みたいな感じで、代表の中でどうやれば自分のポジションを確立できるんだろうなって思ってました。ザック(アルベルト・ザッケローニ監督)ってだいたいワンタッチかツータッチ以内でボールを動かすという考えだったから、どうやってドリブラーは結果を出せばいいんだろうって。悩んでましたね。

 

初戦のコートジボワール戦の前に、試合に出るAチームと、コートジボワール役のBチームで紅白戦をしたんですよ。そのとき自分はコートジボワールの左サイド、ジェルヴィーニョの役で、「ドリブルで仕掛けてくれ」って言われて。

 

その時からめちゃくちゃ調子がよくなりました。そこから体がキレて、2戦目のギリシャ戦の前って本当に調子がよくて、試合に向けて準備してた5日間ぐらいは、人生でもう最高レベルの体のキレとコンディションだったんですよ。だから「チャンスあったら絶対オレ行けるぞ」って思ってたんです。

 

ところがギリシャ戦ではシンジ(香川真司)君がスタメン外れちゃった。たぶん1戦目でシンジ君が普通の調子で、2戦目もスタメンがあまり変わらなかったら、僕も出られたかもしれない。

 

けど、左サイドで選手交代するぞってなったとき、やっぱりシンジ君が1枚目じゃないですか。そこはもうタイミングだし、運命だし。「たら」「れば」なんか言ってもしょうがない。

 

ギリシャ戦の後のミックスゾーンにどんな顔して出てきたかとか、どの記者に話しかけられたかとか憶えてないです。どんなスタジアムだったかも憶えてないですね。

 

ワールドカップメンバーの23人には選ばれたけど、そこから試合に出す11人プラス3人の中には入れなかったのは、自分の能力が足りなかったからだし。でも、23人に入れてくれた、あの経験をさせてくれたということで、自分はザックに対して「なんでだよ」という思いはないんです。本当に感謝してます。

 

でもやっぱりギリシャ戦で最後まで出番が来なかったという悔しさは忘れられないし、自分がピッチに立てなかった思いってのはずっと持ってるから。ピッチの外でずっとアップしていた景色は忘れられない。

 

出場できなかったからこそ、自分のその後の人生で何かを選択するときに影響している。だからあれから何かを判断するときには、あの悔しさを晴らすために決断している。

 

ブラジルワールドカップから戻ってきたとき、気持ちの切り替えはうまくできたんですよ。もうしょうがないですからね。前は向いてたと思います。逆に試合に出てた人たちのほうが悔しさを引きずったと思う。だって自分は試合に出てないから、思うにも思えない。前を向くしかない。

 

ただ海外には行きたかった。海外に行って自分がどれくらいできるかというのをずっと知りたいと思ってて。今でもチャンスがあれば行きたいと思ってるし。ワールドカップ前後で破談になっちゃった話もあったんですよ。ワールドカップ前に話を聞いてて契約書まで見てたんだけど、ワールドカップが終わったらそのチームが取ったのは違う選手になってた。

 

ほぼ決まりのところから話がなくなっちゃったりして、「サッカー界、サインするまで確定じゃない」って話、本当にそうでした。しょうがないんだけど。それからも話はたくさん来るけど、最終的にはまとまらなかったです。

 

ワールドカップのあともケガして、(ハビエル・)アギーレ監督のときはバックアップばっかりで。ハリル(ヴァイッド・ハリルホジッチ)監督のときも、たまに呼ばれるくらいで。

 

結局2018年のロシアには行けなかったけど、またワールドカップに行くために、ワールドカップのピッチを目指すために、何をするか判断する。そう思って行動しないと、つながってこないと思うから。

 

あの悔しさをどうやって晴らすかって言ったら、次のワールドカップ、次の代表に選ばれるっていうことしかないし。そういう高いところに目標をずっと置け続けてます。結果的に今はフロンターレで苦しんでますけど、その苦しみや悔しさがまた何かにつながるだろうと思うし。日々の過ごし方、何をするかしていくかが重要だって思います。

 

やっぱり2022年カタールワールドカップを目指したいです。自分がどれだけできるかという深さを作り続けるしかないんです。試合には出られなくても、やっぱりやることは一つで変わらないですよね。ちゃんと日々の過ごし方から見直して。ヒザをケガしてから自信を少し失ってるから、もう一回代表選手になるためにフロンターレで活躍して、そうやって目標は1つずつ作られていくんですよね。

 

ところで、2018年ロシアワールドカップ、本当にすごかった。ブラジルワールドカップのときに、決勝トーナメントに行くというのがどれだけすごいことなのか、わかりましたね。あんだけ堂々とプレーしてるの見て、「すげぇ」って。

 

……自分、ワールドカップ行ってたんだなって思うもん。2014年って遠い記憶だけど。遠すぎて。また代表選手になるために、一日一日を大切に過ごしていく。そこに尽きますね。

 

f:id:g-mag:20181107141150j:plain

 

スペイン料理が好き…横浜にお気に入りの店も

スペイン料理が好きなんですよ。大好きなのは横浜・関内のレストラン「エスタディオ」ですね。

 

最初、人に紹介されて行ったんですよ。昔は中華街に料理長の店があったんです。すごい小さな店で。その前はバルセロナでやっていたらしいです。ニューヨークで店をやってたときに、FCバルセロナの偉い人が来て地元で店をやらないかって誘われて、バルセロナに移ったって。

 

バルセロナに店があったときにはデコ、シャビ、ロナウジーニョとか若いときのメッシが来たこともあったらしいです。それで日本に戻ってきて中華街に店を開いて、で、今は関内に。

 

特長というと、まずシェフがいい人です。僕、ご飯は玄米を食べてるんですよ。ただ最初は置いてなくて。ところが次の週に行ったら玄米が置いてあって、「この人はすごい」と思って。

 

それでサラダがおいしかったんです。ドレッシングが素晴らしくて。初めて食べたときに、「このサラダすごいな」って感心しました。フルーツと野菜が同居するんですよ。すごいマッチしてて。本当においしいんです。普通一緒にしないじゃないですか。「それってアリなんだ!」って思って。うわー、食べたくなってきた。

 

あとはやっぱりパエリャかな。アヒージョもおいしいしなぁ。一番と言われると難しいな。パエリャが一番スペイン料理って言えるじゃないですか。そのシェフの力がすごいから何でもおいしいんだけど。一応健康に気を遣ってる人のためにグルテンフリーのパスタもありました。

 

場所がわかりづらくて3階建ての3階で、階段で登っていかなきゃ行けないんです。だから知ってる人しか来ない。ただ、行くと満足できると思いますよ。ぜひ探してみてください。

 

r.gnavi.co.jp

 

齋藤学 プロフィール

f:id:g-mag:20181107151259j:plain

横浜F・マリノスユース在籍中の2008年から二種登録ながらJリーグに出場し、2009年にトップチーム昇格。2012年にはロンドン五輪代表としてベスト4進出に貢献した。

2013年には日本代表に選出され2014年ブラジルW杯に帯同したが出場はなかった。2018年に川崎フロンターレへ完全移籍した。
1990年生まれ、神奈川県出身

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

f:id:g-gourmedia:20150729190216j:plain

佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

バックナンバー

                             
ページ上部へ戻る