選手育成に一番大切なのは親だった……トム・バイヤーが語る「日本サッカーに足りないもの」とは

有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回はトム・バイヤーさんに登場をしていただきました。1989年に現役を引退後、サッカー教室を日本全国で展開し、朝の子供向け番組「おはスタ」のサッカーコーナーに登場していたのを憶えている方も多いことでしょう。現在は世界中で自身の指導論をもとに育成を行うトムさんに、日本のサッカー界に足りないものを自身の経験を踏まえて語っていただきました。 (自由が丘のグルメランチ

選手育成に一番大切なのは親だった……トム・バイヤーが語る「日本サッカーに足りないもの」とは

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消息が気になっている人も多かったのではないか。

一時は平日の朝のテレビで元気な姿を見ることができた。

ユーモアたっぷりのサッカースクールに行った人もいるだろう。

 

「おはスタ」でサッカーを教えていた

トム・バイヤーは今何をしているのか。

もうアメリカに帰ってしまったのだろうか。

 

連絡を取ると中国から返事が返ってきた。

アメリカ出張もあるそうだ。

だが今でも日本に家があると言う。

 

東京に戻ってきたときに話を聞くことができた。

久しぶりに会ってもまるで変わっていない。

溢れる笑顔は昔のままだった。

 

日本で引退したアメリカ人は少年サッカーコーチになった

最初は、北米サッカーリーグがなくなってプレーするチームを探してたとき日本のことを聞きました。僕のカレッジ時代のコーチがハンス・オフト監督の友だちだったから、僕を日立に紹介してくれたんです。それで1年間日立でプレーしました。西野朗さんがキャプテンで、菅又哲男さんもいたチーム。トップチームには誰も外国籍選手がいなくて、セカンドチームでプレーしてました。

 

ただ自分は普通のレベルの選手。それで引退して、でも日本にいようと決心して、ミロ・サッカースクールをやることにしたんです。ミロ・サッカースクールを始めたのが1989年。それから1998年まで10年間やって、1993年にはクーバー・コーチング・スクールも始めて。

 

引退してからは、ホント、いろいろやりましたよ。コーチング、メディア、テレビ、DVD、雑誌、本、スポンサーとの交渉、日本サッカー協会、県協会、プロチームとのセミナーとか。どうやれば、いろんな場所でサッカーのコーナーを作ってもらえるかとか、どうやって取材されればいいかとか。マーケティングの勉強しましたね。自分には何が出来る? 何をやればいい? それ、一生懸命考えた。

 

ミロ・サッカースクールでは全国まわった。全部でのべ2000カ所ぐらい。会った人たちは50万人ぐらい。ボールコントロールをよくするにはどうすればいいかとか、どうやればひとりでも上達できるかとか。

 

それから小学館の「月刊コロコロコミック」でも2ページ、サッカーを紹介したり、「週刊サッカーダイジェスト」でも連載を持って。テレビ東京の「おはスタ」にサッカーコーナーも作ってもらって出たり。「おはスタ」は1998年から2010年までと、2015年から2016年まで出て、2000回以上。

 

技術を大事にして教えたかった。それから、とにかくいろんな年代で、技術力を上げないと次のステップ、難しいと教えてました。

 

強い国でも特別な指導をしているわけではないという事実

2008年にクーバー・コーチング・スクールを辞めて、自分でサッカースクールを始めました。あまりにクーバー・コーチングのトムというイメージが強かったので、新しいイメージを作りたかった。

 

それで自分の子どもをじっくり見た。2006年に生まれて今11歳、長男カイト。早く立って歩き始めたね。それでアディダスにお願いして小さいボールをたくさん貰ったんですよ。家の各部屋に2つか3つ、ボールを置いてた。

 

それでカイト見てたら、ボール蹴るんじゃなくて、いつもボールを引っ張るんですよ。右足の裏でボールを引いて左足の裏で引いて。あとは引きながら方向を変えて。2歳、3歳はボール蹴らないのがわかった。それから11歳のカイトと8歳のショウ、2歳のころからどれくらいのことができるか見て、ずっとビデオに撮って。僕は子どもたちにボールをキープすることだけ教えた。

 

そのころ、ラテン系の国は他の選手よりたくさんトップ選手が出てくるのはなぜかって、ラテン系の国勉強してた。ラテン系の国どうやってるか、いろんな強い国でどんな育成してるか、ナショナル・カリキュラムどうなってるのか勉強して。

 

そうするとトップの強い国、やっぱり特別の指導方法じゃない。サッカー文化が違った。特別なコーチいないよ。文化だから。そしてラテン系はボール蹴らない。

 

アメリカや日本で休みの日に公園に行って、お父さんと子ども、サッカーやってる。どんな練習やってるか見てると、ボール蹴ってる。それかゴールにシュートばっかり。アメリカ人、中国人、日本人、ボール持ってる子にチャレンジしたら、フリーズするか、蹴って走るか、ボールを手で持つ。だけどラテン系は抜こうとしてくる。

 

コーチングより大切なのは「親」の存在

昔からいろいろサッカーは進歩してきた。ゴールラインテクノロジーとか。でも子どもたちの教え方は古いまま。だいたいみんな信じてるのは、テクニックが身につくゴールデンエイジは10歳から13歳。それ僕は正しくないと思う。その年代も大事だけど、もっと大事な年齢がある。

 

サッカー協会が子どもたちを見つける最初の年代は6歳から9歳。運動神経悪い、集中力ない。ドジ。だから遊ばせるだけ。

 

だけどラテン系はちょっと違う。強い国は、2歳から6歳のころが違う。本当のゴールデンエージは3歳から始まっておかしくない。そこがサッカー文化。

 

文化が最も大事。コーチング、カリキュラム、ライセンス、マニュアル、エキスパートって全部、文化がなければ何も意味ない。だいたいはコーチングに焦点が集まってる。けれど、父親や母親から伝えられるのが文化。

 

小さな子どもでちょっとうまい子って、お父さんがサッカーをやってたというのが多いでしょ? だから親が一番大切。親が、2歳だったら何が出来るか、3歳だったら何が出来るか知らないといけない。

 

ところがお父さんにサッカーを教えるというプログラムはどのサッカー協会の中にもない。多くの国ではコーチの教育や、ナショナルトレーニングセンターなんかに焦点が集まるけど、それはジョーク。大事なのは親です。

 

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強くない国はグラスルーツ(草の根)への責任がグレーエリア

6歳以下の子どもの数は730万人。でも、そのグループについては誰も何もしない。最初にチームに入るのは1年生。そこまでにボールコントロールがよくなったら、すごいでしょう? ラテン系のところはみんなお父さんが子どもに手本を示して、そこまででもうテクニック身につける。

 

音楽だったらドレミを最初に習うでしょ? サッカーも最初にテクニックを習わないと、システム、フォーメーション、戦術、できない。ほとんどの子どもはテクニックを教わらないまま次のステップをやらなきゃいけないよ。

 

じゃあ、どうやってどこで練習する? 家の中で遊べばいいんですよ。ボール使って。

 

初めから蹴るんじゃなくて、ボールを扱う。僕はほとんど家の中で教えた。僕は42歳で初めて結婚して、初めての子どもが46歳。それまで僕は子どもたちを教えてきた。それもだいたい小学生。自分の子どもができて、やっぱり小学校に上がる前には目が離せない。だから家の中でやれることがいい。小さいから小さいボール使って。

 

テクニックを6歳までに学ぶと、あまり他のことは必要なくなってくる。パスとかドリブルとか、別に教えなくてもいい。ボールを持っても自信持ってる。両足でボール使える。

 

あまり強くない国は、このグラスルーツ(草の根)の責任が、サッカー協会、プロリーグ、メディア。スポンサー、誰がやるかグレーエリア。あまりうまくいかないね。アメリカはファシリティ(取り巻く環境)が最高で。子どもの登録人数は世界で一番。でもスペシャルプレーヤーは少ない。だって親が理解してないから。

 

これまで20数年間、日本の47都道府県行って、大きなサッカー教室で指導して、指導者集まって指導した。でも、今は教えてるのが、子どもじゃなくて、指導者でもなくて親。親が一番大切。「おはスタ」で僕を知ってる人たちはそろそろ親のはずでしょ? だったらこの考え方を知ってほしい。

 

中国や欧米でも指導を展開……でもやっぱり日本が好き

2016年に、「おはスタ」が終わったあと、どうしようか考えた。日本で仕事するのがいい。

 

日本に住んでるし、子どもたちの国籍は日本だし、もちろん日本大好き。和食も大好きですよ。スシのいい店はたくさん知ってるよ。これまで食べたところでベストスシは、世田谷区等々力駅の近く。「すし処 會」。予約待ちですよ。

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自由が丘には「Dining Bar とら」という店があるよ。「Dining Bar とら」は居酒屋みたいだけど、和食も洋食もあって、カウンターバーみたいなところもあって。ワインバーもあるし、焼酎もあるし、でも一番のオススメはペンネ・アラビアータ。そこの最高。行こう、ネクストタイム。

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でも、そのころ中国からもらった。中国の文部省と契約することになりました。2011年に中国サッカー協会と4年契約をしてたけど、それが終わったら文部省とやることになった。中国の方がもう少し開かれててね。

 

中国では6歳以下の子どもの数が1億人。その子どもたちがうまくなるように、親に考え方教える。中国の文部省が、すべてのサッカーの育成の責任を持ってて、5万校のプロジェクトがあるね。そこで僕入って、テクニックのアドバイスをやって。

 

それに0歳から6歳までの子どもを持つお母さん向けにプログラムをやったりしました。北京の幼稚園で体育のクラスを教えたり。それから毎日テレビ番組に出てます。「おはスタ」は1分だったけど、中国では中国教育テレビで3分間、365日。

 

それと最近、アメリカサッカー協会の契約もしました。アメリカサッカー協会とMLS(メジャーリーグサッカー)とアメリカユース協会(USYA)で協力しながら、シアトルで僕のU-6のプロジェクト始まった。それは成功すれば全米に広がっていきます。今MLSは22チームで、そのうち3チームはカナダだから、アメリカのチームの19カ所と、あとUSYAが55カ所ある。

 

ヨーロッパにも行ってて、UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)で去年12月7日、スイスのジェノバで、各国のテクニカルダイレクターにこのプログラムのプレゼンテーション見てもらった。そのあと、ドイツサッカー協会、イングランドサッカー協会にも見てもらった。

 

マンチェスター・ユナイテッドのライアン・ギグスにこのプレゼンテーション見せたら、次の日、ギグスのレストランに招待されて。そこにネヴィル兄弟、ポール・スコールズ、ニッキー・バットもいて、プログラム見てもらいました。

 

海外が多くなったけど、やっぱり日本が好きだし、どうやったらもっと日本に貢献できるか考えた。DVDも出したし、本も出した。それで今回新しい本を書いたんです。岡田武史監督も推薦文を書いてくれた。

 

これからもまた、みんなに会いたいね! 僕は昔と同じ。日に焼けてるから、すぐわかると思う。声かけて下さいね!

 

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トム・バイヤー プロフィール

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北米サッカーリーグ消滅後、プレーする場所を求めて来日。1987年から1988年まで日立のリザーブチームでプレーした。引退後は指導者へ転身。サッカー教室のほか、「おはスタ」のサッカーコーナーなど、メディア出演・執筆も多数。

現在は自身の会社、T3をベースに世界中でサッカー指導論を広め、サッカー選手育成を行っている。

1960年生まれ、アメリカ合衆国出身。

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

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