あの勝ちがなかったら今、監督ではいられなかった……長谷川健太の運命を分けた一戦

有名サッカー関係者にさまざまなエピソードを伺うこのインタビューシリーズ。今回は長谷川健太さんに登場していただきました。選手としても日本代表まで登りつめた長谷川さんですが、Jリーグの監督に転身した2004年のエピソードが自身の記憶に深く刻み込まれているようです。その後のサッカー人生に大きな影響を与えた、オシム監督率いるジェフ千葉との直接対決をはじめ、様々なエピソードを伺いました。 (吹田・摂津のグルメランチ

あの勝ちがなかったら今、監督ではいられなかった……長谷川健太の運命を分けた一戦

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どんなサッカーシーンを語ってもらえるのだろう。

高校時代、三羽ガラスとして活躍したときのことか。

大学時代、名選手たちと大暴れしていたときのことか。

 

清水エスパルス時代には酸いも甘いも噛み分けた。

監督になってからの思い出も多いだろう。

一気に栄冠を手にした日々を誇らしげに聞かせてもらえるのではないか。

 

ところがまるで違った。

長谷川健太監督が見つめているのは現在。

そしてそこにつながった名監督の台詞だった。

 

どんなときにもストレート。

自らの采配の欠点まで赤裸々に語ってくれる。

王道を歩み続ける人物像がそこにはあった。

 

オシム監督率いるジェフに勝った忘れられない1勝

自分のサッカーシーンの中で忘れられないのは……。現役選手のときはケガで試合に出られないときですかね。監督は負けるといろんなプレッシャーがかかってきますから……うーん、やっぱり忘れられないのは監督になったばかりの時のことですね。

 

2005年に清水エスパルスの監督に就任したんですが、本当はコーチという話だったんですよ。最初に話が来たときは、石崎信弘監督の下でヘッドコーチに就任するということだったんです。それまで浜松大学の監督を5年間やっていたのですが、コーチというポジションはやったことがなかった。それで自分の勉強になるだろうと思って引き受けたんです。

 

ところが何か事情があったようで、途中で監督のオファーに変わっていました。でも、いつかはJクラブの監督になろうと準備をしていたつもりだったし、それに自分だったらこうやってやろうという気持ちがあったので「わかりました」と引き受けました。

 

就任する前のエスパルスは低迷していました。2004年は2ステージ制で、ファーストステージが11位、セカンドが14位でしたね。年間順位も14位と上手くいってるとは言えなかった。そこに監督として就任したのですが、1年目だったし、非常にこう……自分が変えてやるんだという思いでした。

 

そう強い気持ちを持って引き受けたのですが、思った以上に「Jで勝つというのは大変だ」だと感じましたね。勝てないんですよ。開幕から3引き分けで、その後も引き分けを挟んで2試合負けた。途中ヤマザキナビスコカップで1勝したんですけど、リーグ戦6試合が終わったところで0勝4分2敗の最下位でした。

 

そして7節で迎えたのがイビチャ・オシム監督が率いる絶頂期のジェフ千葉でした。ジェフは2003年が年間3位、2004年が4位で、その2年ともセカンドステージは2位という強豪でした。

 

その試合の前、強化部長に話をしてたんです。強化部長は同級生だったので、いろんなプレッシャーがかかってるのがわかっていたから。だから彼に「お前、辛かったらクビにしていいからな」って。そういう意味で、すべてを賭けた試合でした。

 

千葉戦は予想どおり非常に激しいタフなゲームになりました。けれど最後は2-1で勝つことができたんです。選手たちは守りも頑張ってくれたし、それ以上に勝つためにプレーしてくれた。もし、あの試合に勝っていなかったら、今こうやって監督をやってなかったと思います。

 

あの勝利はいろんな意味で大きかった。一番苦しい時期でしたし、自分の中では自信を持ってやってたことが、こんなにも通用しないのかというのを思い知らされた時期でしたから。

 

試合が終わった後にオシム監督が気を遣って、「エスパルスの監督が今めざしているサッカーは間違ってない」という主旨の話を会見で言ってくれたらしいです。そんなオシムさんのフォローもあり、大きな自信になった一勝でしたね。あの一勝は今でも覚えてます。

 

 

リスクを賭けて勝ちに行かなければダメ

やっと1勝を挙げて、改めてわかったのは、「リスクを賭けて勝ちに行かなければダメだ」ということですね。「どううまく守ってやろう」とか、ちょっとでも「引き分けでもいい」と思った瞬間に、引き分けもできなくなる。「勝ち点1でいいや」と思った瞬間にその「1」も難しくなる。

 

それまで、勝てないと発想がネガティブになって「負けなければいい」と思ったりしがちだったんです。けれど、そんな気持になったときは引き分けも難しかった。初めは「勝ちたい」という考えしなかったのに。

 

やっぱり「勝ち」がすべて。結果が引き分けで終わることはあっても、すべての試合を「勝ち」にいかなければいけない。勝負事は小手先でやっちゃいけないし、全身全霊でやんなきゃダメなんです。当たり前なんですけどね。

 

勝つこと以外考えちゃうと、選手もどんどんネガティブになってしまいますね。だからどうやって倒すかだけを考える。倒し方の方法論は一杯あるから、守備に関しても「こうやって凌ぎながらここで活路を見いだそう」というのがないと、ただ守るだけじゃダメですね。

 

千葉戦の大きな一勝があった後も、すべてがいい方向に進んだわけじゃありませんでした。勝ったり負けたりしながら、終盤はやっぱり残留争いしました。でも、途中からいい意味で開き直ってやってましたね。若いプレーヤーを使おうとか。練習でいいプレーをした選手を素直に使おうとか。

 

あの1年、あの1勝がなかったら、今こうやって監督はしてなかったですね。あの年は最後に天皇杯で決勝まで行けましたし。監督として、すごく大きな経験をさせてもらった1年間でしたし、1勝でした。

 

今も負けたらやっぱり厳しいですよ。今年もアジアチャンピオンズリーグの第2戦で済州ユナイテッドに1-4と大敗することもありましたし。3バックを試したんですけどダメで。

 

それでも、自分の中で「今年はこうしなきゃいけない」という「答え」があったので、迷いは少なかったんです。もし、そんな「答え」なしに負けていたのならば、多分違うと思いますけど、長く監督をやってきたことで、こういう状態じゃないと勝てないというのは何となくわかるんです。

 

「チームをこういう状態に持っていかないと勝っていけない」「これいう状態でないとJリーグで勝てない」という方法論は何となくわかるようになっています。では、そういう状態にするためには、何をしなければいけないのか。それを今年のオフの間には近年以上に考えたんです。

 

そして自分の中で方向性は見えていた。だからあとはどうやって結果を出していくかということだけなんです。自分の中で、何と言うんですか……「ぶれないでやっていこう」という決意はあったので、「ここで負けてもこれしかない」と捉えられたし、感じられました。

 

そう思っていたけれど、負け方が強烈だったんでショックでしたけどね。それでも他の人――メディアの人にもそうですけど、口を閉ざしたりとか、そうならないでおこうと思ってるんです。自分らしくありたいといつも思ってるんで。だから素直に答えられる範囲は答えようと思ってます。ただね、本当は心乱れてるんですよ。いろいろ言われますから(微笑)。

 

監督というのは、いつかは契約満了になってチームを離れる職業ですから。もちろんそうなりたくないですし、それ以上にチーム、選手には気持ちよくプレーしてほしいし、見てる人には「本当にガンバは楽しい」と思ってもらえるようなサッカーをしたいと思ってます。

 

今までは、「もう一度ガンバをJ1に戻さなきゃいけない」とか、「このチームに来たらタイトルを獲らなければいけない」「タイトルを獲るためにこのチームの監督になった」と思ってやってました。

 

でもその「勝ちたい」という思いが強くなりすぎると、どうしても見てて楽しくないというか、そういう方向にサッカーがいくのは確かでした。だから今年は少しでも「おもしろいね、ガンバのサッカー」と言ってもらえるような、それでなおかつタイトルをもう一度獲れるようなサッカーを作りたいと思ってるんです。

 

4バックにしろ3バックにしろ、他のチームと同じになったらつまらない。ガンバらしいところは残しつつ、いろいろな形が作れれば幸せですね。エスパルスの監督だったころから選手を自分の型に嵌めるのは好きじゃない。そこにいる選手からどうやっていいところを引き出してチームを作るかってことを考えてきたんです。

 

エスパルスの時もいろんなシステムをやりました。4-3-3、4-3-1-2、4-4-2もやりましたし、浜松大の監督だったときは3バック、3-4-3もやったんですよ。もちろん対戦相手を分析してどんなシステムにするかというのもあります。

 

そういうサッカーを、「提示」というか……。できればいいなって。中位とか優勝争いに絡むだけでいいんだったらこれまでのサッカーから変えませんよ。でも、優勝しようと思ったら今やらなければいけない。

 

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「勝ったけどつまらない」ではダメ

本当はもっと攻めたいですね。だって、悔しいじゃないですか。いいサッカーをして勝てないのは。いいサッカーをして勝つのが大事なんですよ。そして勝たないわけにはいかないのがガンバで。

 

勝ったけどつまらないというのは「ダメ」だと思います。もっと攻めたいし、選手には楽しいサッカーをさせたいし。そして勝たなきゃいけない。もちろん自分も勝ちたい。

 

勝つために何をしなければいけないのか。そこについては思うところが自分の中にあります。エスパルスでは結果が出せずに申し訳なかったのですが、それでも同じものを持ち続けて、ガンバでは勝てました。もちろん選手の違いはあったにしても、勝つための方法論は自分の中である。そこはずっと崩さずにやってきました。

 

それを崩すと勝てないと思います。そして「ここはやらなければいけない」という最低限のことを押さえつつ、どうやって「楽しいサッカー」との両立を図っていくのか。今年はそれに「チャレンジ」しようと思っています。

 

だから3バックを使ってみたときも「ここはチャレンジ」だと思ってました。1戦目は上手くいかなかったけれど、そこで止めようとは思わなかったんです。選手もよくついてきてくれました。そして大敗したあとのJリーグで、柏レイソルに同じ3バックで3-1と勝ったことで、そのあとの戦いに自信を持って臨めるようになりましたね。

 

ただね、そこで自分でわかったんです。自分自身の弱点が。段取りをどっかすっ飛ばすんですよ。そこが自分のダメなところで。

 

2016年の天皇杯準々決勝、横浜F・マリノス戦は0-0で前半を終えて、後半から4-3-1-2にシステム変更したのですが、今年みたいに細かく4-3-1-2の練習をやった上での変更ではなかったんです。

 

もちろん、そこまでの5週間の中で4-3-1-2も試していて、選手の動きも悪くありませんでした。ただ、選手に細かい動きを落とし込んでいなかった。その状態で実際の試合でやってしまいました。そして先制されたけど、攻めはいい形ができて追いついた。それでも最後はミドルシュート打たれて、結局、1-2の敗戦になったんです。

 

4-3-1-2は後半の頭からじゃなくて、先制されてから、本当は追いつかなきゃいけない状況で使えばよかった、完成度としてはそういう段階だったんです。それなのに、やらせてしまった。今年の3バックにしても、最初にやったときは準備が完全に出来上がっていないんです。

 

一応練習でやってみた。練習試合でも半分の時間はやった。映像も見尽くして、まぁ準備はできている。けれど、それを実際の試合に落とし込む段取りが足りなかった。それでもやらなきゃいけないというのは思ってたんですけど、やって結果、大敗したんで。自分はね……そんなとこが、ちょっと抜けてるんですよ。

 

最初に3バックを試合で試したときは、準備期間が2日間しかなくて、1時間の練習ではそこまで落とし込めなかったんですね。4-3-1-2と大きく変わることはないんですけど、そこをうまく選手に伝えきれなかった。

 

でも高い授業料を払った甲斐はありました。1試合通してやれたというのと、そこで出てきた問題点というのをきちんと選手と話が出来て、修正はできたと思います。そしてその修正を次の試合でパッとやれちゃうというのは、やっぱり選手はすごいですよね。

 

プロの選手ってみんな賢いんですよ。だから練習でそこまでやり込まなくても、口で言ったり、映像を見せて頭で理解すれば、ハマったらすぐできちゃうんです。そこは学生との大きな違いですね。大学生だとちゃんと練習で全部やらないと、試合でできない。試合中でも「できないのでどうしたらいいですか?」って聞いてくる。

 

一方でプロの選手はみんな、「こういう方向で行こうぜ」と言うと、自分たちで考えてどうにかしちゃうんです。特にガンバにはヤット(遠藤保仁)とかベテランの選手がいるからかもしれないですけど、自分たちで解釈してプレーできるところがあるんです。

 

やっぱりそのへんは流石だと思いますね。そう言えばオジー(オズワルド・アルディレス監督)の時のエスパルスもそうやって選手が判断していました。当時は、1週間4バックを練習して試合直前に3バックだと言われたりしていましたから。

 

 

監督を辞めた後につなげようなんて思っているとややこしくなる

……今年は本当に日々が楽しい。かなりの数のサッカーの試合を見て研究しているし、自分はこうでなきゃだめなんだと思っています。これくらい考えないと、自分がマンネリになってやり甲斐がなくなっちゃうんですよ。そして考えたことをガンバは監督の自由にやらせてくれるので、ありがたいです。

 

僕は強化部長とかゼネラル・マネージャー(GM)になろうとは思ってないんです。監督業以外の余計なことは考えないようにしようと思ってて。そう思った瞬間に守りに入ると思うんですよ。だから最後まで監督でいたいなと。

 

どちらかというとうちの嫁さんも男らしいので(笑)、武士は食わねど高楊枝というか、そういう感じでいてくれます。エスパルスの監督の契約が終わった2010年は、スパッと辞めて次のチームに行くのを認めてくれました。嫁さんが「家はどうするの」とか言い出すといろいろ大変だったかもしれない。でも嫁さんは当時の何とか食っていけるぐらいの収入で切り盛りしてくれました。

 

今も例えばガンバで人脈作って、監督を辞めた後につなげようなんて思っているとややこしくなる。だからそういうことは何も考えず、トップチームのことだけやってます。そして、できれば監督で60歳までやりたいなと。それまでにタイトルは二桁何とか取りたいですね。

 

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スタジアムグルメでお好み焼きの価値観が変わった

僕は食べるのがすごく好きなんですよ。好きというのもあるんですけど、試合でストレスがあるとやけ食いしちゃうんです。現役の時からそうでした。酒よりも食に走っちゃってました。ジャンキーな食べ物をばーっと食べちゃう。お菓子も食べましたし、夜にラーメンとか(笑)。

 

ストレスがたまると、そうやって食べまくってました。監督になってからも変わらないんですけど、現役の時は運動してましたからね。エスパルスの監督の時は、時間がいつもなくて一番近い蕎麦屋さんによく行ってたんですが、負けるといろんなところで食べてました。だからすぐ太っちゃって。

 

しかも好物は焼肉なんですよ。肉系をガッツリ。肉を食べると元気が出ますからね。アミノ酸なのかタンパク質なのかわかんないですけど。魚がうまいところで育っているから魚も好きなんですけど、肉、食っちゃうんですよね。でも今は、単身赴任も長いですから、ベジファーストで最初に野菜をたっぷり食べてます。ただ、そこから肉もたっぷり(笑)。

 

僕は洋服とか車にお金をかけず、食に一番お金を使ってます。しかも高級料理の食べ歩きはしないんですが、B級グルメが大好きなんで、B級グルメだったら行列に並んででも食べてます。

 

大阪でおいしいと思ったのは、ガンバの試合当日、スタジアムグルメに出てる「AT THE 21(アット・ザ・トゥエンティーワン)」というお好み焼きです。そこは本当においしい。食べてビックリしました。

 

実はそこのお好み焼きを食べるまで、広島風お好み焼き――こっちじゃ「広島焼き」って言うんですけど――「広島焼き」のほうがおいしいだろうって思ってたんです。大阪お好み焼きがめちゃくちゃうまいと思った記憶はなかった。

 

けれど、あれでイメージがガラッと変わりました。もう「広島焼き」を食べても「大阪お好み焼きのほうがうまい」って思うようになったんですよ。家の近くにも「AT THE 21(アット・ザ・トゥエンティーワン)」の店舗があったので、子供も連れて行きました。

 

あとはこの吹田スタジアムの近くにホルモン焼屋さんがあるんです。これ以上混んだら困るので名前は秘密です。スタジアムから近いんですけど、そこもお勧めです。ホルモンってこんなにおいしいんだって思いますよ。スタッフも、選手も行ってるみたいですね。試合終わった後は満員では入れないと聞いてます。そこがどこなのかは「ぐるなび」で探してみてください(笑)。

 

 

 

長谷川健太 プロフィール

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清水東高校、筑波大学を経て1988年に日産自動車へ入団。91年には清水エスパルスへ移籍。93年には日本代表としてドーハの悲劇も経験した。05年にはエスパルス監督に就任、13年からはガンバ大阪の監督を務め同年にJ2優勝、14年にはJ1優勝を飾った。 

1965年生まれ、静岡県出身。

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

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