あのときは心が「無」だった…玉田圭司が振り返るジーコJAPAN最後のゴール

今回は2006年と2010年のW杯に出場した玉田圭司さんにご登場いただきました。日本代表に敗退の色が濃くなった2006年W杯ブラジル戦。日本国民のわずかな希望となったスーパーゴールを振り返り、当時の代表チーム内部の様子についてもお話してくれました。また、デビュー当時の食生活、そして名古屋グランパスからセレッソ大阪へと移籍していく中で経験したこと、今後への思いについても伺っています。 (心斎橋のグルメランチ

あのときは心が「無」だった…玉田圭司が振り返るジーコJAPAN最後のゴール

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忘れられないゴールというのがある。
そして忘れられてしまいそうなゴールというのもある。

 

どんなに素晴らしいゴールでも、
その試合に負けてしまったことで記憶の片隅に追いやられてしまうことがある。
特にその試合が負ける以上の悲しい結末を迎えたとき、
なかなかゴールだけが語られることは少ない。

 

だが、実はとても美しいゴールなのだ。
玉田圭司はそういうゴールを決めた。

 

2006年6月22日、日本はブラジルとの一戦を迎えていた。
ワールドカップのグループリーグの2戦を終え日本は1分1敗。
ベスト16進出のためには2点差を付けて前回大会の王者を倒さなければいけない。

 

そんな相手に向かいながら、チームは不安を内在していた。
1999年ワールドユースで準優勝に輝いたメンバー、
ヨーロッパで活躍していた中田英寿、中村俊輔など豊富なタレントを揃えたものの
大会前には「海外組」と「国内組」の対立などが報じられ、
まとまりが心配されていたのだ。

 

だが、日本には一瞬光が差し込む。
34分、三都主アレサンドロのパスにタイミングよく走り込んだ玉田は
そのままダイレクトで強シュートを放つ。
ボールはニアサイドでGKの頭上を抜いた。
日本が先制したのだ。

 

もっと偶然入ったようなゴールだったら、
ブラジルはあそこまで本気にならなかったかもしれない。
ところがこの得点はサイドチェンジ、スルーパス、
相手の一瞬の守備ラインの乱れを読み切った
美しいゴールだった。
そしてブラジルに火を付けた。

 

日本は1-4と大敗して大会から姿を消した。
だからといって、玉田のゴールを忘れる必要はない。
ブラジルにボールを触れさせる前に決めたあのゴールは
しっかりと記憶に留めて
日本がそこまでできたという印にできればと思う。

 

相手の逆を取りながらボールを止め、
ダッシュするように腰を落とした姿勢でストップし、
そのままの体勢からトップスピードに持ち込める。
今でも同じフォームをキープする玉田に「あのとき」を振り返ってもらった。

 

 心が「無」だった…意識せずに体が動く時がある

三都主アレサンドロからのパスを蹴り込んだんですが、それが、あんまり憶えていないんですよ。心が「無」というか。そこまで鮮明に記憶していないんです。がむしゃらとか無我夢中というのがコレなのかなと。三都主アレサンドロと呼吸を合わせた――体はそうだと思うんですけど、映像を見てこんな動きをしてたんだと自分でもわかった感じで。

 

たぶん計算はしたと思うんですよ。でも何を細かく見て、そこからこうやろうと考えたなんかは覚えてないんです。意識せずに体が動くときがあって、そういうゴールはいくつかあって。たとえば、2015年のJ1昇格プレーオフ決勝の得点(60分、センターサークルでパスをもらうと関口訓充とのワンツー1回だけでペナルティエリアまで進出し先制点)。あれもどうプレーするか頭の中に描いてはいるんですけど、パス出して走る道なんかは、何か導かれているというか。自分が意識してないので、相手のDFは読めないでしょうね。自分の記憶力が悪いだけかもしれないんですけど(笑)。

 

ブラジル戦の先制点が決まった後のことは憶えてます。スタジアム、すごかったですね。雰囲気がすごくて。だいたいドルトムントのスタジアム自体がすばらしかった。スタジアムが最高ですよ、ゴール裏だけで2万人ですから。そのスタジアムの一部はシーンとしましたけど、あとはボンっと沸きましたからね。気持ちよかったです。あと1点以上取れば得失点差によってはグループリーグ突破できるという状況でしたし。

 

でもめちゃくちゃブラジル、強かったです。一人ひとりが本当にうまかった。違いました。全然ボール取れなかったですからね。あのときブラジルの評判ってあまりよくなかったですよね。でも日本と対戦する前にもう2勝していて余裕があった。ゆとりがあるときのブラジルはすごすぎました。

 

いつ同点にされてもおかしくなかったですね。それに僕は左足の足首を狙われたりしました。でもすごく楽しかったんです。相手が格段に上というのがわかっているから、自分がどれくらいやれるのか試せるという楽しさがあった。そんな心の状態だったから、僕はあまり緊張しなかったんです。僕はそういう気持ちって大事だと思うんですよ。今、日本代表はワールドカップ予選戦っているでしょう。その中で、勝たなきゃいけない、ミスしちゃいけない、良いプレーしなきゃいけないって、そういう気持ちが強くなりすぎている気がします。もっと楽しんでほしいんですけどね。

 

2006年のチームはギクシャクしてると思われてましたけど、ホントはそういうのなかったんです。国内組、海外組で完全に二つに分かれているとか。外からはヒデさん(中田英寿)が浮いているように見えたかもしれないけど、それはヒデさんの性格というか。食事会場では普通に話すし、リラックスしてみんなでプールに入ったときは、オレたちが泳ぎがうまくなかったので、教えてもらったりとか(笑)。「違うんだよ、こうやってやるんだよ」って手の動きを教えてくれたり。でもオレ、本当にヘタで水泳、できなかったですね。

 

ドイツワールドカップの後はケガなんかがありました。それで代表チームにも行けなかったんですが、岡田武史監督になってまた日本代表に呼んでもらえるようになった。そして2010年ワールドカップでも、オランダ戦、パラグアイ戦で出してもらったんです。けれど、2010年は自分としてはふがいなかった。チームとしてはベスト16に進出してPK戦で敗退したんで、満足はできなかったけれど、ある程度は日本の強さを見せることができたと思います。でも自分個人としてはもっとチームに貢献したかったし、それができなかったという歯がゆさがのほうが強かった。

 

だから僕にとってはグループリーグで敗退したけれど2006年のほうが自分としてはよかったと思っています。周りもその印象が強いと思いますね。ワールドカップ、しかも相手がブラジルということで、僕のゴールはあの1点の印象が強くなったんでしょうね。ワールドカップでブラジルと対戦できるってのは、そうそうないんでね。

 

でも他にも自分らしいゴールはあると思うんでよ。日本代表の試合でいえば2004年、中国で開催されたアジアカップですかね。僕自身も憶えているし、周りの人も、今の若いセレッソの選手も憶えてくれていますね。その中でも一番の思い出は準決勝のバーレーン戦ですね。90分に中澤佑二選手のゴールで同点に追いつき、3-3で延長に入った苦しい試合でした(40分に遠藤保仁が退場になり日本は数的不利でもあった)。

 

93分に僕が決勝ゴールを挙げるのですが、あれも狙いどおりでした。相手が結構足にきていた(痙攣していた)んです。でも自分はまだやれる力があると感じてました。そのパワーを生かそうと思っていたら、そういう勝負が出来るパスが来ました(クリアボールをセンターサークルで受けた玉田はDF3人を振り切ってGKとの1対1を決めた)。あのときは自分たちが圧倒して勝ったという試合はなくて、毎試合苦しくて、そういう大会で優勝できたというのは、そのときの代表にとっては大きかったですね。あのときに団結力が生まれました。

 

 

体が細かったので肉ばかり食べていた

僕はプロになって今年で18年目になりますが、いままで苦しいと思ったことって……。うーん、苦しいと思ったことって実際ないんです。自分で苦しいと思わないようにしているというか。

 

プロになって最初の1、2年は試合になかなか出られなかった。出てもうまくいかなくて、ベンチからも外されて。しかもケガが続いたりもして。でも逆にその時期にフィジカルコーチと相談したのがよかった。

 

僕は体が細かったんですよね、プロに入ったときとか。60キロ前後だったんです。ホント、ガリガリでしたね。高校でうまくプレーできていたんですが、プロになって接触プレーは避けられない。それに耐えるためにどうするかって考えました。

 

他にも取り組みたいことはあったんですけど、足りないものを考えていくうちに、僕の中で答えは「フィジカル強化」でした。そしてフィジカルコーチと一緒に体作りじゃあしようよってことになったんです。でもスピードを殺したくない。じゃあスピードを落とさずに筋力を付けようという話になった。

 

重いウエイトを上げるんじゃなくて、そこまで重くないウエイトを早く俊敏に上げ下げするという方法でした。そうしてしばらくすると体重も増えましたが、スピードは落ちませんでしたね。体重は7、8キロ増え68~69キロになって今もそのままです。

 

試合には出られなかったけど、そういう課題に取り組んだ時期があったからこそ今もこうやってやれているのかなと思っています。もし別の監督だったら出してもらえたかもしれない。出られたらそれでもよかったのかもしれないけど、試合に出られなくても「よかった」とも思っていました。そう考えているから苦しいとは思わなかったんですね。

 

その筋力をつけなければいけなかったときは、肉ばっかり食べてましたね。脂身が多いところを結構。今は好みが変わりましたが。肉も魚も好きなんで、自然にいろんなものを食べるようになったと思います。

 

それから辛いものが好きなんです。刺激物が大好きで、韓国料理、タイ料理は好物ですね。日本代表の遠征で東南アジアに行って辛いものが出てきても、お腹を壊したことはないですね。まぁ、日本代表はシェフもついてくるので、ある程度日本の味にしてくれるんですけど。もちろん日本料理も大好きなんですが、僕は本格的なエスニックも大丈夫なんですよ。

 

でも僕にとって食事で大切なのは、料理の種類じゃなくて「バランスよく食べること」と「ストレスなく食べること」なんです。食事制限があると多少のストレスですけど、それは奥さんが気を遣ってくれているので任せています。そして、一番ストレスなく食べられるのは家族と一緒に食べることです。

 

柏、名古屋、大阪とプレーして来て、どこもいろんなおいしいモノがあるところばかりでした。僕も家族も外食は好きなんですけど、家族と一緒に行くことのほうが大切ですね。今はスペイン料理が好きで。店の名前は伏せさせてもらいますが、心斎橋近辺においしいところがあります。そこには結構通ってるんですよ。

 

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何歳で止めようとか決めてない…まだ納得していない

辛いことはないって言いましたが、でも、2005年に柏を出ることになったときは……柏がJ2に落ちたのは辛かったですね。育ててもらったクラブに対して結局何もできずに出て行かなければいけなかった。それはやはり辛かった。翌年ワールドカップがあって、出場するためにはJ1でプレーしていなければいけなかった。だからすごく心が揺らいだんですけど……、やっぱり夢に向かってやりたいという気持ちが強くて名古屋に移籍させてもらったんですけど……最初に入ったクラブを出て行くのはやっぱり……。でもプロですから、そういう決断をしなければいけない時って絶対ありますから……。

 

ケガもね……2009年はほぼケガして、代表に召集されても辞退せざるを得ないという状況でした。そうやってしばらく日本代表に行かないと、やっぱり自分の居場所を自分でなくしてしまったところがあった。今思えばそうだったと思います。後悔はしてないですけど、もっといい状態で臨みたかった。ただ、僕は大きなケガは無かった。ある程度のケガはどの選手にもあるんで、それを言い出したら切りがないです。

 

そう考えると、やっぱり自分のサッカー人生の中にあんまり辛い場面ってないんです。辛く思えても、そのときにこそ、できることがあるんじゃないかと思ってやってるから。サッカーを嫌いになるってことは絶対にないですし、サッカーを止めろとか止めざるを得ない状況ぐらいじゃないと、辛いと思えないんじゃないかと。たとえ苦しく見えるような状況でも、これ乗り越えられればまたサッカーできると考えてるんで。そしてサッカーやれたら、それまでのことはすべて吹っ飛ぶというか。人以上に僕はサッカーが好きだと思うんで。

 

僕はまだ現役を止めたいとか、何歳で止めようとか決めてないし、ボロボロとまでとは言わないけど、自分が納得するところまではやりたいと思いますね。そしてまだ何にも納得してないです。どうすれば自分が納得するかわからないので、止められないんですよ(笑)。

(このインタビューはシーズン終了前に行いました)

 

 

 

玉田圭司 プロフィール

f:id:g-gourmedia:20161206112416j:plain習志野市立習志野高等学校から1999年に柏レイソルへ入団。2002年にレギュラーポジションを掴み2004年には日本代表に選出される。

2006年、2010年にはW杯に出場。2006年のW杯ではブラジルからゴールを奪う。

2015年からはセレッソ大阪に所属。千葉県出身、1980年生まれ。

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

ブログ:http://morimasafumi.blog.jp/

                             
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