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「またボールが蹴りたい」 脳梗塞で倒れた木村和司はつぶやいた

かつて日本代表の司令塔として活躍し、横浜Fマリノス元監督としても知られる木村和司氏が2015年、脳梗塞で倒れるというショッキングなニュースがありました。その後の病状はどんなものだったのか、完全復活に向けての意気込み、そして大好きなお酒について語っていただきました。 (横浜のグルメダイニングバー

「またボールが蹴りたい」 脳梗塞で倒れた木村和司はつぶやいた

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2015年3月、突然ニュースが飛び込んできた。1月に木村和司氏が脳梗塞で倒れていたという事務所の発表だった。

 

木村氏は1980年代、日本代表の10番を背負って活躍し、Jリーグが開幕した後は「ミスター・マリノス」と呼ばれ、横浜Fマリノスの監督を務めた。日本のサッカーがプロ化する過程で、最初に「スペシャルライセンス・プレーヤー」として認められた選手でもある。

 

その日本サッカー界のレジェンドが病魔に倒れたというのだ。その後、木村氏の回復具合がなかなか報じられることはなかった。秋になりテレビの解説で変わらない話しぶりを聞かせたり、イベントに登場して話すことはあったものの、今どんな状態なのか生の声は聞こえてこなかった。

 

今回、木村氏がその声をゆっくりと聞かせてくれた。復活の狼煙は、ゆっくり静かに上がっている。

 

「あれ、おかしいな」…木村和司が異変を感じた瞬間

2015年の12月にウチ(木村和司氏が理事長を務める有限会社シュート)の忘年会やってね。復活というか記念というか。それでやっと酒が飲めるようになった。食事も普通。食べ過ぎず、飲み過ぎず、塩分と甘いのは控えめで。それくらいかな。

 

杖はつかなくて良くなったよ。今は右足に装具をはめてるけどね。まだ足首はほおっておいたら自然にぶらぶらだもん。それでも、最初のころは膝の近くまである装具をしてたのが、今は簡単になった。

 

ただ古傷というか、右足首がボロボロだから、それが痛い。リハビリの先生がレントゲンを見て「こんなの見たことない」って言ってたよ。「相撲取りとかそのクラスの足首だ」って。

 

現役時代は学生ぐらいからずっと右足は痛いままよ。ちょっと疲れたりすると足首痛かったもん。足の軟骨はないから周りの筋肉で痛い足首を支えていた。それが入院して筋肉が落ちたからね。麻痺もまだ多少残っとるんだろうけど、足首の痛さで歩くのが辛い。

 

言葉は(病気になった)最初から大丈夫。電話でしゃべってたりするとみんながビックリする。「え? 大丈夫なの?」って。だけど「そんな大したことないんじゃないの」って見られるのがイヤだったよ。こんなひどいのにね。まだ足が動かないんだから。それにまだ腕なんかも肩とか痺れてるし、おかしいことはおかしいよ。

 

(発病したのは)2015年1月のゴルフコンペのとき。当日は寒かったけど、最初は普通にプレーして。4ホール目だったかな。ティーショットを打って、2打目に空振りして。「あれ、おかしいな」ってもう一回打ったらまた空振りして。

 

これで「ちょっと違うな」って感じて、「おかしいから、もう止めた」って言って、カートに乗ってクラブハウスに帰った。そこから総合病院へ友だちに連れて行ってもらったら、すぐ入院だもん。痺れも何もなかったけど、ちょっとおかしいという感じ。歩いていてもフワフワしている感じでね。

 

病院に行ったら「脳梗塞です」って言われて「えー、ウソだろう?」って感じ。「まさか自分が」って。「ラクナ梗塞」っていうことやった。

 

最初は医者に観てもらったら帰ろうかと思ってたけど、「すぐ入院してください」って言われてね。ホントは、はよ退院させてくれという感じやったもんね。普通にあと1カ月ぐらいしたら歩けて、ちょっと走れるかなと思ってたけど、結局もう1年ぐらいかかってるもんね。よっぽどひどかったんだなぁって。

 

入院した次の日から身体が動かんくなった。ベッドから足がだらんと下がってても全然わからん。落ちてること自体わからんかったもんね。夜中も1人でトイレに行きよったら倒れたりして、看護師に怒られた。「何してるんですか! 呼んでください!」ってね。ワシは「あ、そう」って(笑)。

 

最初はいきなり車イスよ。あとは歩行器も使った。最初は本当にひどかったもんね。右手で積み木を持ち上げて左から右に移すとか、そういうリハビリするんやけど、これができんわけよ。機械で肘を持ち上げてやっと動かせる。今でもサインするときに肘が浮いているとうまくできない。肘がついているとなんとかできる。

 

入院は2カ月。2カ月で「もう飽きたから帰らせて」って言った。医者はオッケーというか、ワシはもう帰ると言ったから帰らせてくれたよ。そのときはまだ痺れがあった。でも退院のころは杖。回復は普通の人以上と思われてるかもしれないね。

 

今もリハビリに通ってるけど、総合病院に通ってて正解だったよ。いろんな検査ができる。それで血管で細いところがあるとわかったから、2015年12月にはカテーテルの手術もしたよ。首の左側の血管にステントが入ってる。だからレントゲン撮ったら出る。

 

ただ手術は1時間から1時間半ぐらいの予定だったのが3時間ぐらいかかった。血管の中にコレステロールの塊があって、広げるのが大変だったみたい。でもこれやっとかないとまた脳梗塞になるからね。

 

頭を切れば大変だけど、足の付け根から入れたから2週間後にはサッカースクールやってる。すごいよ、今の医学は。……だったら足も治してほしいけどね。

 

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監督1年目でストレスから糖尿病を患うも入院は断っていた

ある意味、ええ経験したというかね。やっぱり人間バカだから、やってみにゃわからんというか、なってみないとわからないことは一杯あるよ。本当はね、死ぬかもしれない大病だからね。周りのヤツはビックリして、マネージャーなんか泣いたりしてたけど、ワシはあっけらかんとしてたからね。

 

この経験から学んだのは、何でも飲み過ぎとかやり過ぎとか気をつけにゃいかんということ。いろんなことがやっとわかった。

 

倒れる前は、たくさん食ってたし、たくさん飲んでたもん。監督1年目のときから。あんときは甘い物欲しいというかね、普段飲んだことなかった甘いコーヒーとか甘いジュースとか欲しくなって、自分でもおかしいと思ったもん。何で飲むんじゃろうと思ってたら糖尿病にかかってた。

 

血糖値は300mg/dl(通常は70~130mg/dl)近くあった。「すぐ入院してくれ」と言われたけど、「監督やってっから」って断った。親が両方糖尿病だったから気をつけんといかんかったのにね。糖尿はもう慣れた。食事療法でもう大丈夫だと思うんだけど。やっぱ気をつけなきゃいかんよ、ストレスには。

 

だからこんなに入院したのも初めて。医者嫌いもあったし、こんな病院にかかったというのも初めて。現役時代もいかんかった。ケガはいろいろあったけどね。

 

1985年のメキシコワールドカップ予選、アウェイの朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮戦)では頭を亀裂骨折したりしたね。空中で肘で頭にガツンときて、そのまま人工芝に倒れて。40分ぐらい意識なかったもん。目が覚めたらロッカールーム。そっから国際病院に入院した。日本人でワシぐらいじゃない? 平壌の病院の個室に泊まったの。個室だからさ、看護師なんかがテレビ見に来たりして騒いだりするのよ。ワシはフラフラなのに(笑)。

 

復調しやっと飲めるようになった酒 「タダじゃ倒れない。好きなこと言わせてもらう」

毎年チームの身体検査とか、そういうのは1年に1回受けてたけど、クラブ辞めたら行かなくなった。あんまり病院に行ってなかったから、倒れる前に周りが心配するんで病院にやっと行って、そこで高血圧と言われたよ。お医者さんからその検査結果を説明するから来てって言われて、行く前に(発病した)ゴルフのコンペがあったんよ。

 

塩分に気を付けてたんだけどね。おいしいじゃない、やっぱり酒飲んでたら。倒れる前は高血圧で200mmHg(正常値は最高血圧が140 mmHg未満、最低血圧が90 mmHg未満)ぐらいあったからね。今は高くても130mmHgぐらいよ。

 

歳取ったらちゃんと調べた方がいいよ。ちゃんと定期的に病院に行ったほうがいいよ。あとはちゃんと保険に入っていたほうがいいよ。三大疾病を保証してくれる保険に入ってて本当に良かったよ。周りの家族が大変やもん。仕事もできなくなって収入がなくなったら大変やから。

 

苦しい目に会うのは、病気になってからだもんね。やっぱりしんどかったもん。今まで出来たことが出来んようになるというのが一番しんどいよね。歩くことだってさ、あれ、この右足どこに置けばいいんかなって感じだもん。なさけないよ、あれは。

 

サッカーの時、苦しい練習や嫌な練習はほとんどサボっていたからね。どう楽するかって現役の時はいつも考えてた。それがこういう病気になったらサボれんぶん、きついよね。楽しようにも楽できんからね、こういう病気は。

 

(発病してから)11月ぐらいまで飲みたくなかったもんね。12月になって、人が酔ってるの見て、酔いたいなぁというのがあった。おいしそうに飲むヤツがおるし、酔っ払うヤツがおるし、ワシもそうだったなぁという感じで。やっと飲めるようになった。やっと元に戻ってきたという感じやもん。

 

飲むのは気分が良くなるし、いいんだろうけどね。もう麦焼酎飲んでるけどね。もっぱら「いいちこ」飲んでるよ。また飲めてうれしい。

 

1年に1回はみんなで飲み会をしとかんといかんよ。ワシだけじゃないけど、何年かの間に、いい人たちがこの世からいなくなってたもんね。森(孝慈元日本代表監督・故人。木村氏を10番に据えた)さんにはもっと生きててほしかったね。もっといろんなことを話してほしかったよ。

 

そのためにも、やっぱり1年に1回は顔を見とかなといけんなぁって思ってたもん。ワシだってわからんかったもんね。ああやって会うの、いいよね。そう言えば、現役のころの日本代表の集まりは飲み会みたいなもんだったもん。飲んでまとまってたけどね。

 

ワシ、2016年はバリバリ働いて取り返さなきゃいけん。タダじゃ倒れんぞ。倒れても生かす。経験談言えるからね、「ちゃんと病院行ったほうがいいよ」って。解説なんかもやらせてもらってるけど、好きなこと言わせてもらおうと思ってるよ。


これでボールが蹴れたらもう間違いない。2016年はボールを蹴られるようになって、一緒にゲームしたいよ。「完全復活」はボールが蹴られるようになってからやね。

 

 

木村和司 プロフィール

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元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。

明治大学を経て1981年、横浜マリノスの前身となる日産自動車に入団。フリーキックの名手として知られ、1980年代半ばの日本代表を支える。

引退後は解説者としてテレビ出演多数。2010~2011年は横浜Fマリノスの監督も務めた。

広島県出身、1958年生まれ。

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

ブログ:http://morimasafumi.blog.jp/

                             
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