澤登正朗が移籍を考えた夜「消滅しかけたチーム、でも残ってよかった」

2015年のJリーグは、初年度から参加していた名門清水エスパルスが降格するというショッキングな結末となりました。元日本代表で現役時代はエスパルス一筋で過ごした澤登正朗さんは降格に何を思うのか。1997年に存続危機を迎えた際のエピソードとともに語っていただきました。 (清水のグルメランチ

澤登正朗が移籍を考えた夜「消滅しかけたチーム、でも残ってよかった」

2015年のJリーグでは清水エスパルスのJ2降格が決定してしまいました。現役時代はエスパルス一筋でミスター・エスパルスと称される澤登正朗さんに、現在の思いと97年のチーム存続危機のエピソードを語っていただきました。

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私がかつて在籍した清水エスパルスはJ2に降格してしまいました。これから辛い時期が来ると思います。

 

僕たちもエスパルスでいろいろ辛い時期を経験しました。僕が加入した当時のエスパルスは立ち上がったばかりの時期で、環境面が何も整っていなかった。毎日違うグラウンドを使ったりもしていました。それは我々しか経験していない時代で、今の選手たちにはわからないことだと思います。J1からJ2に落ちたという辛さはまた別だと思いますが、エスパルスにはそういう苦しい時期もありました。

 

僕が経験した一番辛い時期は、1997年、当時の運営会社だった株式会社エスラップ・コミュニケーションズが20億円を超える累積赤字を抱えて、潰れる事態に陥ったときでしたね。

 

チームメートと焼き肉を食べても陽気にはなれなかった

クラブの財政状況は知らなかったから、1996年にナビスコカップに優勝して上り調子だと感じていた矢先に、まさかそんな状態になっているとは思いませんでした。最初に噂話が耳に入ってきたときも、「なんで?」って。そういう不安がありました。

 

チームが無くなるんじゃないかと本当に心配していました。無くなるのなら移籍せざるをえない。みんな、そこまで覚悟はしていたと思います。でもチームメイトと「無くなったらどうしよう」という話はしませんでした。いつものように、みんなと焼き肉屋さんに行っても、「チームが無くなる」という会話だけはありませんでした。いつもほど陽気にはなれませんでしたが。

 

何とか存続させたい。存続するためにどうすれば良いのか。我々にできることは何なのか。そう突き詰めたときに、「自分たちにできるのはこのチームでプレーすること」だということになりました。そしてサポーターも、みんなが署名活動をしてくれて、30万人以上の署名が集まった。それが選手たちの心に響きました。

 

だからチームは存続できそうだということになったとき、当然選手はみんな残ると思っていました。確かに現実は厳しいものでした。存続できない=お金が無いということで、全体の予算は減りました。選手の年俸の総額も減ったし、全員の年俸は抑えられました。

 

分母が小さくなったのがわかったし、誰かがそのパイの中から取ったら、誰かの分が減る。だから、下がらざるを得なかったんです。特に主力だった選手たちは、半額とまでは言わないけれど、3割、4割は下がりました。

 

移籍を考えた澤登を踏みとどまらせたものとは?

でも、お金が下がっても、誰も文句を言わなかった。もちろんかなり下がりましたから「何だよ、これ」とは思ったと思います。でも口には出さなかった。年俸が下がるというのは当然だとみんなわかっていましたから。僕はそれが「プロ」なんだと思いましたね。

 

30万人以上の署名があり、それだけチームを支えようと思ってくれているサポーターがいたら、我々選手は裏切れないですよ。それはみんな思っていたと思います。だから、存続が決まったときに、誰も移籍を考えなかったと思いますね。「この年俸だとやっていけないから、他に行くよ」と言っていた選手は誰もいません。

 

ただ、本当はいろいろありました。シーズンも終わりかけて、契約更改の時期だったから他のチームから誘いもあったと思います。でも、移籍しようと思う選手がいなかったことは、すごいことだったと思います。

 

「これしかありません」「はい、わかりました」と、大幅減額された年俸を見て即答できる選手ばかりというクラブなんて、他にはなかったでしょう。それは当時のエスパルスだけの特権だったかもしれません。

 

1つ言えたのは、みんな「お金じゃない」と思っていたんです。静岡県出身の選手たちばかりだったから。これが他の地域の選手が多かったら、また別の考え方があったかもしれない。でも、静岡県出身者だったから地元を大事にした。

 

実は僕も2回、他のチームから誘われました。試合に出たいし、活躍したい。僕が移籍することでクラブに移籍金が入って、クラブの助けになるんじゃないかとも考えました。でも「サポーターには理解してもらえないだろう」というのも考えましたね。非難は浴びるだろうというのは思いました。

 

最終的にクラブに残ることにしたのは、サポーターが僕を必要としてくれたということが、大きな理由の1つになりました。そして、残ってよかったと思っています。

 

降格したエスパルスには「男」が必要

来年エスパルスは降格して、本当に難しい時代を迎えると思います。勝負の世界では、そういう辛い時期に、頑張るだけではなく、どれだけビジョンを持てるかが重要です。アントラーズは、クラブのビジョンがしっかりしているし、クラブOBを戻して、それを立て直しの原動力にしている。外国人監督が来ても、ちゃんと日本人コーチをつけて、バランスよくみんなで見るなど、役割もハッキリしている。

 

エスパルスも何年後にこうなっているとか、そういう目標が必要なんです。そういうビジョンをしっかり持つことが大切ですね。

 

そして選手に関して言えば、「男」が必要です。他のクラブがJ2に落ちたとき、たとえばサンフレッチェ広島が降格したとき、その場で佐藤寿人が残留を表明して「来年1年で上がりましょう」と言いましたよね。ああいう感覚です。佐藤は「男だなぁ」と本当に思います。

 

エスパルスの立て直しは、今以上の「エスパルス愛」をどれだけ選手が持てるかということからでしょう。辛いと思うけれど、ここからがクラブとしての勝負です。サポーターがいる限り、諦めてはいけないんです。

 

 

澤登正朗 プロフィール

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元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。

1992年、清水エスパルスに入団し、引退する2005年までエスパルス一筋。日本代表としてドーハの悲劇も経験している。

引退後は解説者としてテレビ出演多数。2013年からは常葉大学浜松キャンパスサッカー部の監督も務めている。

静岡県出身、1970年生まれ。

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

ブログ:http://morimasafumi.blog.jp/

                             
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