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川口能活と松田直樹の晩餐 あの夜、僕はトルシエのためにマツを説得した

サッカー元日本代表の伝説的DF松田直樹さんの命日が今年もやってきてしまいます。2011年8月4日、当時所属していた松本山雅での練習中に倒れ、34歳の若さで松田さんが他界したニュースは日本中に衝撃を与えました。国立競技場での勇姿がいまだ多くのファンの心に残る松田さん。横浜マリノスや日本代表で長い時間をともにした川口能活選手(現FC岐阜)が思い出を語ります。(表参道・青山のグルメランチ

川口能活と松田直樹の晩餐 あの夜、僕はトルシエのためにマツを説得した

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2011年8月4日、34歳の若さで他界したサッカー元日本代表・松田直樹さんとの思い出を、横浜マリノスや日本代表でともにプレーした川口能活選手に語っていただきました。

 

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また、マツ――松田直樹の命日、8月4日が来るんですね。今でもマツがいないなんて信じられない。体は丈夫だったし、身体能力も凄かったですから。

 

2011年8月9日、斎場に行くと、マツの遺影があって、花がたくさんあって、やっと本当だと思いました。お別れした後、帰りの車の中で悔しくてずっと泣いてました。 

 

アイツがなくなる3カ月前に磐田に練習試合に来たんです。当時、マツが所属していた松本山雅はJFLでJ2を目指していたけれど苦戦していた。その後、やっと調子が上がってきて、このままJ2に上がれるかなと思っていました。まさか、その練習試合が最後になるなんて……。

 

「オレが一番だから」の雰囲気 規格外だった能力と存在感

1995年にマツが横浜マリノスに加入してきたとき、僕はベンチでした。マツはいきなり開幕スタメンでしたが、とても高卒の選手とは思えないポテンシャルと態度の大きさでした。今の若い選手であんなポテンシャルと態度はいないでしょうね。それくらいの能力と存在感は桁外れ、規格外でした。先輩選手へのタメ口に近い話しっぷりにもビックリでしたよ。

 

当時、守備ラインを組んでいたのは日本代表だった井原(正巳)さん、オム(小村徳男)さん。その中にいてもマツは「オレが一番だから」というつもりでやっているのが雰囲気でわかりました。それくらいの強さがあって頼もしかったですね。

 

どんな相手に対しても臆することなく立ち向かっていたし、マツのプレーにはいつも余裕がありましたね。だから僕が試合に出るようになったら、マツに怒ることもありました。「手を抜くな!」「もっと集中しろ!」って。僕には80パーセントぐらいで流しているように見えていたんです。マツにすると100パーセントでプレーしていたのかもしれないけれど、どんな相手に対しても余裕があるように見えていましたからね。

 

本人は先輩たちに何か言っても、ピッチ上では全然気にしていませんでした。でも、ああ見えても繊細だったので、ピッチから降りたら「言いすぎたかなぁ」と言ってくることもありましたよ。

 

出場機会が減ったマツは「個人トレーナーを紹介してほしい」と申し出た

いったんピッチを降りてプライベートになると、仲間を大事にする、寂しがり屋かもしれないと思うところがありました。僕も何度か食事に行きました。だいたいサッカーの話です。DFとGKでという関係でしたし、日本代表でもマリノスでも一緒にいましたから、話すことはたくさんあったんです。

 

マツはサッカーが本当に大好きだったので、そのサッカーの好きな男が僕にサッカーの話をしてくれたのは、今になってもうれしい思い出です。お互いに若くてキラキラしていて、上を目指すいい思い出の時を過ごしました。

 

あるとき、マツから「ヨシ坊、今度話があるのでご飯食べに行こう」と誘われました。それまでは、だいたい安永(聡太郎)だったり、(中村)俊輔とか、誰かしら一緒だったんで珍しかったですね。席に座るとマツがいきなり話し始めました。

 

「ヨシ坊、オレ、トレーニングマジメにやりたいんだけど」
思わず、「お前、今までマジメじゃなかったのかよ」と突っ込んでしまいました。
「マジメにやりたいから、ヨシ坊の個人トレーナー、紹介してほしいんだよね」

 

それはちょうど1998年フランスワールドカップが終わった時期でした。

 

マツはアトランタ五輪が終わったあと、順調に日本代表候補に入りました。ところが岡田武史監督が見に来た試合で肉離れしてしまった。さらに1997年に横浜マリノスをハビエル・アスカルゴルタ監督が率いるようになると4バックになって、CBは井原さんとオムさんの代表コンビになり、出場機会が少なくなった。そして結局1998年のワールドカップには出られなくなりました。

 

その悔しさがあったからでしょう。そのときに個人トレーナーを紹介してからは、僕たちはプライベートでも一緒にトレーニングをするようになりました。

 

ところがその後、せっかく代表に入れそうになったらトラブルを起こしてしまった。日本代表監督と五輪監督を兼任していたフィリップ・トルシエにU-22日本代表として選ばれたのに、衝突して合宿中のソウルから日本に帰ってしまったんです。

 

トルシエと衝突したマツに「話がある」と食事に誘った

これは初めて話すのですが、実はその後、日本代表のスタッフの1人から僕に電話があったんです。「トルシエはマツを高く評価している。ヨシカツから戻るように説得してくれないか」という内容です。だから今度は僕が「マツ、話がある」とご飯に誘いました。

 

「お前、代表どう思ってる?」
そう聞くと、マツは即答してきました。
「いや、もういい。二度と行かない」
「トルシエはお前のこと買ってるらしいぞ。今度呼ばれたら二度とケンカするなよ」
「えー、もう呼ばれねぇよ」

 

そんな話をして別れたのですが、その後の合宿でメンバーに入った。そのとき、マツはすごくうれしそうでしたね。
「ヨシ坊、オレ、行ってくるわ。もう絶対ケンカしないよ」
それからはうまくやってくれました。その後、ずっとトルシエのチームの守備のリーダーになった。それだけにうれしかったですね。

 

アイツは不思議な魅力があって、助けたくなっちゃうんです。マツを見ているとなぜか手をさしのべたくなっていました。

 

2人でいろいろ話をしていたのは、新子安の「味の茶や」という店でした。今では別の店になったそうですが、今でもハッキリと店の中のことを思い出せます。そう言えば、最初のころ、マツはエビフライ定食なんかをよく食べていました。ところが個人トレーナーを紹介したころから体づくりにも気を使うようになって、「ヨシ坊と一緒のものを食べようかな」と、マグロ納豆定食や銀ダラ定食を頼むようになったことをよく覚えています。

 

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 「味の茶や」はいまでは別の店になってしまっただが、居抜きで使われている内観は、川口と松田が語り合った当時の面影を残している。

 

僕は今、J2のFC岐阜でプレーしています。4月に膝を負傷してしまいましたが、やっと全体合流できそうなところまで回復してきました。この年まで、脛を折ったりアキレス腱を切ったりしましたが、幸い肩やヒジ、足首などは痛めたことがなく、それだけに自分の回復力を過信していましたね。ところが今回はヒザを痛めて、とうとう自分も金属疲労のように傷んできたのかと思っています。

 

それでも、僕はまたなんとかピッチに戻ります。そして少しでも長くプレーを続けたい。そうしないと、もうプレーできないアイツに申し訳ないですからね。

 

川口能活 プロフィール

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サッカー元日本代表。ポジションはゴールキーパー。

1994年、横浜マリノスに入団し、海外移籍、ジュビロ磐田を経て現在はFC岐阜に所属する。

静岡県出身、1975年生まれ。

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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 佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。在学中からサッカー関連の職業を探すが叶わず、一般企業へ就職。だが10年を経てサッカーダイジェスト編集部へ。その後、多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。ワールドカップは1990年イタリア大会、1994年アメリカ大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会と現地へ。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

ブログ:http://morimasafumi.blog.jp/

                             
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