テイクアウトOK
: テイクアウト時は税率が異なります。お店へご確認ください。
- 日本で唯一の人生を切り開く夢叶え 開運招福「たれなし餃子」
- 日本で最も古く満州伝承日本式「焼き餃子」を世界中へ紹介した永楽「たれなし餃子」 Since1936
- たれなし餃子」のお取り寄せは? https://gurusuguri.com/shop/b990000/
- Google/Yahooにて「たれなし餃子 永楽」と検索していただければこちらよりご注文承ります。
- 焼餃子の歴史 /中華料理 永楽歴史 History of fried dumplings/History of Chinese cuisine
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- では中国で言う焼餃子とは?
- 老舗「永楽」の由来
- 永楽?永楽倶楽部?永楽焼?永楽帝?永楽銭? 数ある永楽がありますが、
- 創業者初代店主 永嶋久吉・キヨが小岩の地で開店したお店 それが唯一無二の小岩永楽のみです。
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- 永楽の祖 創業者
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- 永嶋の「永」久吉の「久」
- そして、楽しいという言葉が好きだった二人は、
- 「楽」という言葉を付け加えて
- 人生「永久に楽しい商い」をしたいという 願いを込めて・・・・
- 永楽 という店名が生まれました。
- 当時は永楽という屋号の中華料理店は一件もありませんでした。
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永楽のご先祖さまは江戸時代から続いている商家でした。
深川の和菓子家 丸米「いせや」の店主であった曾祖父の
お店には大勢の政府要人が訪れており、日露戦争で
活躍された 大日本帝国陸軍大将の乃木将軍とも親交がありました。
その筋から日本政府の要請で昭和初期 久吉じいちゃん
(永楽初代店主)が中国東北部へ蒸気船で渡り、
大連から瀋陽/しんよう(改称/奉天)、
首都の長春/ちょうしゅん(改称/新京)へ居住しました。
(満州国建国1932年/昭和7年) -
満州ではとても地元の方々に良くしていただいて、
満州の家庭料理をいつも美味しく食べていたそうです。
その後帰国をして支那の満州の味が忘れられなく
小岩駅前昭和道り商店街に、永嶋の永と久吉の久から
永久に楽しい商いと願いを込めて「永楽」が誕生しました。
お店は10人程のちいさなお店で 裏の庭で薪を割り
大釜に薪をくめ湯を沸かし 石炭コークスで火力を上げながら
鍋を片手に調理をしていたそうです。
だから白衣はいつも真っ黒!
やがて灯油バーナーで調理することで、
一気に切り盛できるようになりました。 -
お品書きはというと 支那(中国)の国のそば 支那そば(らあーめん)と雲呑(わんたん)
縁起ものの餃子で商いを始めたそうです。
その後すぐに 雲呑麺(わんたんめん) 焼豚麺(チャーシューめん)
湯麺(タンメン) 炒飯(チャーハン)などを始めました。
中国東北地方(満州)はとても寒い地域の為に味が濃いのですが
江戸も同じように味付けが濃かったために大衆の方々にすぐになじみ
やがて満州からの引き揚げ者などが なつかしい味を求め大賑わいを
していたそうです。この当時東京には数件の中華料理店しかなかったそうです。 -
その後二代目 永嶋 驚冶が店主となり
現在の地 北小岩へ 昭和30年代後半に移転しました。
その当時 この辺りは田んぼと畑がほとんどで 母は毎日寂しくて
涙がでてきたそうです。
そして平成元年 三代目 永嶋 三寛が店主となり
永楽の味を今に伝承しています。小岩=恋輪 恋和 恋話 恋の味♪
四代目
接客・接遇・食品責任者・上級救命救急・ホテル接客
語学・国際交流などの資格取得を終えて
心身一体 器を大きくするために
只今修行中! - 「江戸下町の隠れ家」
- 初代店主 永嶋 久吉の足跡・・・
- 支那の国 旧満州へ 渡中
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久吉 支那の国 中国へ
日本から蒸気船で中国は関東州 大連港へ 渡中しました。 -
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久吉 支那の国 中国へ
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- 満鉄 超特急「あじあ号」流線形のパシナ型蒸気機関車に乗って大連から奉天 新京へと久吉は旅をした。
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- 映画「ラストエンペラー」の舞台にもなった満州は、永楽の原点!日本ととても深い関係の満州
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- 奉天(改名/瀋陽) 清朝時代の首都でした。
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新京(改名/長春) 満州国 首都
政治・経済・商業の中心 当時は超近代都市 -
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新京(改名/長春) 満州国 首都
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- 満州は中国の東北部にあるため とても寒く必然的に濃い味付けの料理が多いです。
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- 永嶋 久吉 昭和初期に焼き餃子を日本へ持ち帰る
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明治を代表する武士 乃木大将
自宅に遊びに来るほど親交があり、漢詩などを書に多く残されました。 -
東京港区 乃木坂に乃木邸の跡地に明治天皇崩御のち自刀された乃木希典将軍と妻静子夫人の御霊をお祀りしている神社です。
余談ではありますが、
ゆかりの地である乃木神社において結婚式を執り行いました。
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明治を代表する武士 乃木大将
- 思い出の一枚・・・
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- 創業地 JR小岩 昭和通り商店街
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昭和初期 最初に店を構えた
思い出の昭和通り商店街・・・
同じく昭和通り商店街には、二代目女将の
実家である和菓子店「いせや」があった。
ほかにも その先に小岩初の化粧品店など
親族みな 生粋の商人として
小岩で可愛がれました。
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- 旧国鉄小岩駅
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国鉄時代の小岩駅
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- 旧京成小岩駅
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昭和30年ころ京成小岩近くの
現在店を構える 北小岩に
移転しました。
そのころの 北小岩は田んぼと畑だらけの町で、
とても静かで、のどかなところでした。
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- 小岩の町
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昭和30年代頃の小岩の町・・・
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初代女将 きよ(後列中央)店先にて -
JR小岩駅 昭和通り商店街の店舗前にて
親族一同記念写真 撮影者 店主久吉
みんなこの時代は 洋服ではなく着物なんですね。
昭和 初期 映像
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- 初代店主 久吉と二代目女将 光江
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初代店主は、明治生まれの気質
無口で男儀があり
生粋の江戸っ子!
酒がなにより好きであった。
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- 初代女将(キヨ)二代目女将(光江)自宅庭にて
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明治生まれの女将は 美容室のことを
髪さんと呼び
頭髪に独特の髪形をさせて(芸者風?)
寝る時には 髪型が崩れないように
高枕で寝ていましたぁ(思い出します)
蒸かしたエンドウ豆が好きでした。
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二代目店主(驚冶) 二代目就任ころ -
初代から跡目を継ぎ永楽二代目店主へ
寡黙で物静
一番苦労をした店主であり
永楽の可能性を広げました。
いまだに 二代目ファンは多いです♪
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- 江戸川区 認定店
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- 江戸川区健康サポート店!
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江戸川区より認定されたお店です。
「健康作り協力店」「禁煙店」
栄養成分・カロリー・塩分を表示をすることによって、毎日健康的な食生活を!
永楽は安心・安全なお店です。
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こぼれ話し
三代目 実は若いころはお店を継ぐ気は全くなかった!
芸術の世界を目指していた・・
理系の大学在中に「やぱり家業を継ぐ!」
母親は嬉しくて泣いてましたねぇー
父親は店は気にしなくていいから 大学続けなさいと・・・
蛙の子は蛙
両親の後ろ姿を毎日毎日見て育った・・
おのずと小学校から手がない時は 皿洗い 出前 店番・・・
知らず知らず家業の楽しさを感じ始め
とうとう三代目へと
独学で調理師免許、食品衛生責任者取得
- 各紙マスメメディア他
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- 小岩ランキングで第7位
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http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi
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- JR総武線編「小岩」 にて
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「永楽」に立ち寄りました。 -
http://www.ntv.co.jp/burari/
- 満州の人々から90余年前に教えていただいた家庭料理とギョーザ焼餃子を日本に持ち帰って夫婦二人で中華料理店を小岩でを創業しました。またたくまに美味しいぎょうざが評判になりいつしか行列の店となりました。 戦前 戦中 戦後 と時は流れて三代目へと伝承されていきます。
永楽 のサービス一覧
- シェフ紹介:
- 永楽
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- TEL050-5484-4783